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母の死と後悔

回答数回答 2
有り難し有り難し 70

はじめまして。
苦しくてこちらのホームページにたどり着きました。

昨日、病院に長期入院中の母が亡くなりました。
血流が悪くなる病気で、1年ほど前から痛みが酷くなり、足指から壊疽が始まり、痛みのために1人では何もできなくなった時点で大学病院に入院。足指を切断しました。手術後、今度は肺気腫が悪化、肺炎を起こし、何度かは覚悟を、と言われながらも、なんとか持ちなおし、病院を転々としながら半年が経ちました。

術後の傷口は塞がら無いまま、痛みも続く中、リハビリも無理で、ほぼ寝たきりになったため、家に帰りたがる母を我慢させて、入院を続けさせました。

コロナのせいで、半年間で会えたのは、手術時や転院の際の5回のみ。最初のうちは携帯を使えていましたが、だんだんと通話も無くなり、会話もほぼなくなりました。

結果的には痛みと孤独に耐えさせて、ひとりぼっちで、旅立たせてしまったのです。

最善は何かと探り続けていましたが、コロナの規制が厳しく、私の判断が鈍っていたのかもしれません。

病院にいることが母にとって最善だったと、今になって思うことが出来なくなり、一人で旅立ってしまった母が、かわいそうで、悲しくて、心が潰れてしまいそうです。家に連れて帰り、在宅看護を検討できなかったか、入れる施設は必死に探したものの、在宅は無理だと最初から諦めた自分に一生後悔をすると思います。
もっと母と一緒に居てあげたかった。母とおしゃべりしたかった。

自分の家族の前では明るく振る舞うため、心と身体が分離していく感覚が恐ろしく感じています。

どうやって心を保っていけばいいでしょうか。

よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

その後悔もお母様からのいただきものです

ご相談拝読しました。お母様のご命終に謹んでお悔やみ申し上げます。

お母様にとって、せいきち様にとって何が最善だったのか…その判断は難しいです。もしも在宅介護をしていたらその負担の厳しさからせいきち様の身心が追い詰められていたかもしれませんし、そのことでお母様に優しくできなかったかもわかりません。とにかく今の不安な気持ちや後悔はお母様の死を受け止められないというところから来るのではないでしょうか。
 まだご命終から間もない今はその気持ちはある意味当然の事と思います。無理に心をフラットに保とうと感情を押し殺さなくていいのではないでしょうか。思い切り泣いたって、誰かに当たったっていいのです。

「何度かは覚悟を」と促されても最後の最後までお母様の回復を信じていたからか、どこかで本当に死ぬとは思えなかったからか…様々な要素があると思いますが、いずれにしろせいきち様はその時その時で必死に考えて判断を選択したのだと思います。
後から知り得たり整理出来た情報や感情から遡って過去の自分を裁いても浮かばれません。お母様も頑張りましたがせいきち様も一緒に頑張ってきたのだと思います。

これからどうするかですが、こうしてhasunohaにご縁もいただきましたし、もしよろしければ仏教を学んでみるのはいかがでしょうか。

今お抱えの疑問や不安や悲しみはお母様がその命の終わりを通してせいきち様に与えてくださった大きな大きな課題です。お母様を深く思うからこそ、そうした感情も深く湧いてくるもの。

私たちはいつか最愛の人と別れなければなりません。自分自身も命を終えていかねばなりません。その時どこで誰と一緒にいようと死そのものは一人で引き受けていかねばなりません。誰も代わってはくれないし、代わってもあげられないのです。

仏教に学ぶ中でお母様からの課題に答えはでなくとも、その課題を引き受けて共に歩んでいけるせいきち様にはなれるかもしれません。その時お母様の死の受け止め方も自分自身への思いも変わるかもしれません。

これからご葬儀もお勤めすることかと思いますが、今は亡きお母様を偲び、そして自分の心を責めずに大事な時間を過ごされることを願います。

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有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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よくがんばりましたね!

ご質問拝読いたしました。
本当に御苦労さまでした。
お母さま、
極楽浄土から手を合わせて、
感謝していらっしゃいますよ。
ありがとう!
ありがとう!
ありがとう!
と愚僧にはお母さまの、
お気持ちが
痛いほど伝わってきましたよ。

本当に御苦労さま。
ひと段落したら、
しっかり休んでくださいな。

本当にお疲れ様でした。

愚僧も、
痴呆の両親を
グループホームに入所させました。
今でも自責の念はございます。
一応、
医療や福祉関係の資格を
有していて、
人様のお世話をさせていただいた、
ことのある愚僧でさえ、
自分で両親の介護は無理でした。
四六時中、ついて回る
などということは、
仕事や家庭のある人間には
土台無理な話でございます。

プロの方が交替で、
適切な対応をしていただくのが、
最良でございます。

我がこととして、
本当に思い知らされました。
在宅看護は無理だと
思われます。

愚僧は
患者さまや利用者さまには、
努めて冷静に対応できますが、
我が親に対しては、
お恥ずかしい話、
時には感情的に
なってしまうことが、
ただございました。
あのまま進めていたら
共倒れしていたかもしれません。

それほど、
看護や介護は大変です。
プロだから、
交替制だから
対応できるのです。

愚僧は、
毎日毎日両親の写真の前で、
頭を下げてお詫びと感謝を
しています。
今のわたしには、
これしかできませんから。

あなたはやり遂げたのです。
お母さまが、
感謝されないはずが
ありませんよ。
極楽浄土で、
すっかりお身体も、
元の健康な姿に
戻られて、
笑顔いっぱい、
心から感謝されています。

どうか、
自分を褒めてあげてくださいな。
あなたをしっかりと、
御見送りされたのです。

御立派です。

しっかりと休養、
休息を御取りください。

お母さまへの最大の御供養は、
あなたが笑顔で、
しあわせでいること。

子の幸せを
祈らない親がいましょう。

どうか笑顔を
取り戻してください。

極楽浄土にまします、
お母さまと一緒に
あなたの幸せを
愚僧も祈っています。

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有り難し
おきもち

浄光寺の三浦康昭です。 くよくよと考えてもしかたがありません。明るく前向...
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質問者からのお礼

回答ありがとうございます。

私も頑張ってきたこと、ずっと母の病気に向き合ってきたことを認めてもらえたことが嬉しくて涙が出ました。

確かに母の死を受け入れられていない自分がいました。母はどんどん見るたびに痩せて弱っていたのに、死ぬと思いたく無い自分がいたと思います。
ご意見いただきまして、少し自分を客観的に見れることができました。今日は食事も少しとることができました。時間も必要なのかもしれません。

後悔と付き合う方法がみつかるかもしれない、自分の見方が変わるかもしれない、そしてそれが母の残した課題ならば、是非仏教の勉強をしたいと思いました。

2年前に父が亡くなってからは生きる気力を無くしていた母でした。父が亡くなってからは一度も心から笑うことが無い、と母が言っていました。入院するまでは母をずっと笑わせたくて頑張りました。でも母はそのまま病気になり、亡くなってしまったのです。

今日、携帯にある母の写真を見返しておりましたところ、父が生きていた頃の母は、こんなにもいつも笑顔だったのか、ということを思い出すことができました。
私が思い出すのが、病気になってからの日々ばかりでした。
幸せだった時間がたくさんあったこと、何故忘れていたのだろうと今は考えています。

本当にありがとうございました。

花山様

お言葉ありがとうございます。朝から声をあげて泣いてしまいました。一番聞きたかった言葉がありました。苦しい涙ばかりがずっと続いていましたが、今の涙は楽になれる涙です。毎日、母にお詫びと感謝をして過ごしたいと思います。ありがとうございました。

「親・家族・恋人・大切な人の死・亡くした後悔」問答一覧

父の死に激しい後悔

 こんにちは。日に日に積もる気持ちにどうしようもなく、相談させて頂きます。  父の死に後悔ばかりです。2~3年前から股関節骨折を機会に父の持病が悪化し、病院から老健の行ったり来たりで、父は家に帰りたいとか死にたいとか言うようになりました。  もともと父と私は昔から喧嘩ばかりしていて、口も聞かない時期が沢山ありました。  そしていたずら電話を何度もするようになり、電話に出ても何も言わないでこちらの声を聞いたりしてましたが、私はキレてきつい言葉で罵りました。言い過ぎたので悪いと思い病院に顔を出しましたが、父は普通に話してくれました。  でも父との最後の会話は 父『家に帰りたい』 私『痰を常に取らないといけないから仕事あるから無理』 父『私の心配はしなくてもいいから帰りたい』 私『いい加減にして!お父さんの心配なんか一つもしてない。私は自分の仕事と将来のだけを心配をしてる。絶対に嫌』 父『あーもうーいい加減にしろ』 父『もうお前に頼まん』  絶望のような声で言ってました。これで二週間後に危篤になり、息を引き取りました。  またきつく怒鳴ったのでそろそろ顔見せに行こうかと思いながらも、また家に帰りたいと言われたらどうしようと思って、顔を出すのを控えてました。  危篤の父に何度も謝ろうと思っだけど『介護の何一つもしていない自分が言える言葉か』と思いなぜかどうしても言えませんでした。  今、後悔しかないです。本当に自分の愚かさが嫌になります。今ごめんねと謝っても後悔ばかりです。父はどんな思いでイタズラ電話をしてきたのか。どんな思いで帰りたいと言ったのか。  私が有給をとり自宅介護を一週間でもした方が良かったのに、私は汚い言葉で罵る事しかしなかった。。。もっと言い方はあっただろうに。。ただ怒るだけの私  お葬式で家に遺体を運んだ時に、亡くなってからでしか家に帰れなかった、父のその姿が頭から離れません。  日に日に思いが強くなり、激しい後悔です。この気持ちにどう折り合いをつけたらいいでしょうか。ご教授お願い致します。

有り難し有り難し 15
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2022年1月に、4つ下の弟を自死で亡くしました。 亡くなってから気づくもので、同じ年の8月ごろから自ら死を選ぼうとしていたようでヘリウムガスを購入していました。 私は結婚して家を出ているので、祖父母と両親と5人暮らしです。普通の家庭で、何不自由なく育ったと私自身は思っています。 弟とは仲が良く、結婚して家を出てからも二人で飲みに行ったり両親を連れて出掛けたり、私の家族とみんなで旅行に行ったりしていました。なぜ死を選ぶのかが、正直わからない程です。 弟が亡くなってから、弟の友人に聞いたのですが中学生ごろから「そんなに、長生きはしたくない。」大人になってからも、「どうせいつか人は死ぬんだから自分で自分が死ぬ年齢は決めたい。」などといっていたようです。今思い返せば、弟が20歳になった時に私と母に「20歳まで生きるはずじゃなかったんだけどなー。笑」と言ってきたことがあります。 未だに、弟がいないという現実を受け入れたくないので考えないようにしている自分がいて時間が経てば経つほど苦しいです。 自死を選んで後悔してないのか。気になって気になって絶対にわからないのに答えがほしいです。 出棺のときに、霊柩車が実家に向かう途中にエンジントラブルで3.40分遅れたり 告別式で拝んで頂いているときに私の主人の数珠が突然弾けて数珠がすごい勢いで散らばったりハプニング続きで、葬儀会社の方もこんなこと初めてだと驚いていました。その出来事がなおさら、やっぱり死ななければよかったと思って後悔しているのではないかと思えてなりません。 何か、いいお話が聞ければと思ってこちらに書きました。よろしくお願いします。

有り難し有り難し 3
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2週間前に夫を会社の事故で亡くし死別しました。 現在2歳児の息子がいて2人目妊娠中36wの妊婦です。 これから先、どうしようと途方に暮れていましたが 義実家が受け入れてくれお世話になる事になりました。 義両親はとてもよくしてくれ関係もすごく良好です。 夫が亡くなった日の翌朝、夫のスマホから 連絡を取ったりしないといけない用事等があり パスワードを入力し開くと何通か通知が来ており 急ぎかな?と思い開きました。 夫はTwitter、Instagramで裏アカを作成し、 その他出会えるアプリに登録しており 何人もの人と不貞行為におよんでいました。 亡くなった翌朝に会う約束をしてる人もいました。 私には残業があると言っていたので すごくショックを受けました。 また、不貞行為を始めたのは私の2人目の妊娠がわかった時位からでした… 私がつわりが酷くて保育の送り迎え往復4、50分かかってつらかった時も 夫は3交替で私はワンオペ、家事育児仕事の両立がきつくて泣いていた時も 早出や遅出や会議や出張や飲み会があると ずっと嘘ついて女性と会ってたやり取りが見つかり その日からずっとふとした瞬間苦しくなります。 私と息子の存在は夫にとって何だったのかな? 亡くなった後に久しぶりに乗った夫の車から息子の チャイルドシートが外されトランクに隠されていて あー夫は他の女性をこの車に乗せて 独身であることにしてたんだなあと思い、 リュックサックからバイアグラも見つかり虚しくなりました。 夫が亡くならなかったら私は一度も夫を 疑いもしなかったし気付かないままだったと思います。 夫の死はとても悲しく、だけど呆れや虚しさや 腹立たしい気持ちもあり今でも涙が出ます。 夫は最期まで私や息子を愛してくれていたのでしょうか… ずっと苦しい気持ちが消えません。 どうしたらこの気持ちが消えてくれるのでしょうか。

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昨年末に夫が亡くなりました。 結婚30年目の事でした。一度離婚して別居した事があったのですが、その後思うところあり再婚し、私は別居先で仕事を始めてしまったので、週末婚の状態で過ごしていました。 週末には必ず一緒に過ごし、買い物したり、ご飯食べに行ったり。 夏には私と一緒に別居している娘達と旅行に行っていました。 しかし、昨年は年頭から私たちがコロナに次々と感染し、更には娘が職場で怪我をする、更年期の私は外出もままならない、となり、一度も会いに行けないまま、年の瀬を迎えてしまいました。 しかし、年末恒例でいつも私が年越しの料理を大量に作って持っていくのが定番でしたのでそろそろ、と思っていた時に、同居していた息子から『父が死んでいた』と連絡が来たのです。 それからの事はあまりよく覚えていないのですが、自宅で亡くなったので警察に遺体を持っていかれ、家では会えなかった事、身内が殆どいなくなっていたので子供達だけで火葬した事、それまで全く泣かなかったのを覚えています。 ですが、今年になってからの半年は相続関係、遺産分割などで段々と主人がいないんだと思うと泣く、と言うより胸を掻きむしりたいくらい自分が悪女になったようでどうしたらいいのかわかりません。 主人はどんなに寂しかったろう、たった1人で冷たい部屋で最後にどんな思いで逝ってしまったのだろうと思ってしまいます。 私はどれほど酷い妻だったのだ、と泣く資格なんてお前にあるのか、と言われている気がするのです。今更遅いのはわかっています。でも、どうしたら主人に詫びる事ができるのでしょう。納骨もしなくちゃならないのはわかっていますがまだ、離れたくなくて自宅においたままです。生前から散骨希望ではあったけど、そうしたらもう本当に主人はいなくなってしまう。 一体どうしたらいいのかわからないのです。 夢にでも出てきて私をとことん罵ってくれればいいと思うのにたまに夢に出てくる主人は穏やかに笑って昔みたいに一緒に料理したり、キャンプしたりなのです。 亡くなった人と会話ができたらいいのに、と思うばかりで胸が苦しくてたまりません。

有り難し有り難し 11
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