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輪廻とは

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飲料水のCMであなたの身体はあなたの食べた物で出来ていると言うのがありました。
お寺さんにこれって輪廻ですよねって伺ったらそこに魂が無いので違いますと言われました。
魂は必要でしょうか。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

まず「輪廻」というのは生まれ変わるということです。

食べ物を食べ、それが体の一部になる。
確かに一見、細胞や便の違うものになるので、
「輪廻」と言いたくなるお気持ちもわかりますが、
それは「食物連鎖」といいます。

お寺様が「そこに魂が無いので違います。」
と言われたとのこと、私もそう思います。

仏教において、伝統的に輪廻が教義の前提となっております。
輪廻を苦しみと捉え、輪廻から解脱することを目的としています。

生まれ変わる…
さて、何が生まれ変わると思いますか?

魂でないとしたら、何が輪廻の苦しみに会うのでしょうか?
魂でないとしたら、「我」でしょうか?
私は「魂」が生まれ変わると思っていますよ。

「我」というのは、字の通り「われ自身」のことです。
「私自身」が永遠と認識したり、
あらゆるものに「私」というものの存在や固執を認識する事をいいます。
従って、それはそのものの魂の事ではないのです。

簡単に言えば、「我」とは「自分やものに対しての執着」であって、
「魂」とは「命そのもの」とでも言えばよくわかるでしょうか。

以上です。

ここからは余談になります。

しかし、お釈迦様は、
色・受・想・行・識(肉体、感覚、感情、意志、意識)
で捉えることのできない、形而上のものには、沈黙されています。

経験・観察できない世界(形而上学の世界)に関しては、お釈迦様は沈黙し、経験・観察できる世界においては無我を主張した、ということです。

なぜ沈黙されたのか、それは経験・観察できない世界は修行の目的の役に立たないからです。

お釈迦様が沈黙し答えることを拒否した質問のすべては、
世界の始まりとか、死後の世界に人の生が残るのかという、
経験・観察できない世界(形而上学の世界)に関する質問であり、
仏典に現れるすべての「無我(非我)」の主張は、
例外なく、「色・受・想・行・識」などの、経験・観察できるものに関する主張です。

ということで、
永遠の魂を教える宗教は、もちろん、もしかしたら真理なのかもしれませんが、それは仏教ではないのかもしれません。

諸説あります。ご了承ください。

参考になるかもしれない教え
お釈迦様「毒矢のたとえ」、「ヴァチャとの対話」
弘法大師空海の『金莊の不異』

亮英合掌

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皆様のお悩みを聞き、お答えすることで、 苦しみが少しでも和らいでくれれば...
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小難しいかもしれませんが、あえて仏教用語の定義を

「輪廻(りんねsaṃsāra)」という言葉は、「有情(うじょうsatta)」が生死を繰り返すこと、転生することを言います。
有情とは心を有するもの、生き物を指します。物質は有情ではありません。

私たちの体を構成する物質・要素を「色(しきrūpa)」といいます。
色が生じる条件は4つあります。業・心・時節・食 です。
このご質問の場合の「食べたもので私たちの体ができている」というのは、そのうちの「食生色āhāraja rūpa」に当たります。「この食という原因によって、この色が生じた」という現象ですので、やはり輪廻という表現は適切ではないです。

でも、ご質問者さまのおっしゃりたいことはよく解りました。
原因があって結果がある、私たちの知らないところで回りまわっている、本当に不思議で壮大なことだと思います。

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それが輪廻するのです

必要というより、それが輪廻するのです。

呼び名はいろいろありますね。
魂、霊、精霊、念、心、などなど。

それが単なる脳細胞でしかないのか、あるいは何か宿る物があるのか、凡夫の私には見えないし、分かりません。

ただ、その分からない何かを、例えば魂と名付ける事で、イメージ的に理解し易くなり、私達が様々な苦しみや悲しみ、迷いから救われるという事が事実あるのです。

しかし、考え方は人それぞれなので、あなたはあなたの納得する考え方を大切にしてもいいと思いますよ。
あなたが食した命があなたの中で生きている、輪廻ではありませんが、そう考えるのは間違いではありません。

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私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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質問者からのお礼

お答え有難うございます。なかなか全てを理解できてはいませんが、私が死んで腐り分解され土になりそこから草が生えその草を動物が食べ心を持った子を産む。一度断ち切られた心がよみがえる、でもそれは私ではありません。仏陀は輪廻に魂をみたのでしょうか。

「輪廻転生」問答一覧

解脱する方法は確立されていますか?

私には、「もう二度と人に生まれたくない」という、漠然とした、でも強烈な願望があります。 生まれ変わった自分は今の自分とは関係のない赤の他人であり、そんなことを気にする必要はない、なぜそのような悲しいことを考えるのか、もっと楽しく生きなさい なんてことを言われたりするのですが、むしろなぜ他のみんなはそう考えないのだろうと思うくらい 私にとっては本当に強く願っていることが「もう絶対に、絶対に生まれてこないこと」です。 仏教には輪廻転生の考え方があり、その輪から外れる方法が解脱だと聞き齧りました。 まだ仏教について何も知らない人間の質問で大変恐縮なのですが、 つまり解脱することができれば、もう命として何かに宿ることは二度とないのでしょうか。 私にはそれがとても魅力的なことに感じます。そこで、解脱の方法とは、こうである、と言うものが確立されているのであれば教えていただきたいです。 でもきっと、そんな簡単な、うまい話はないのだろうとも思いますし、この質問自体どこかズレているのかもしれません。 もし回答できるものではないのだとしたら、自己研鑽として、仏教について学びたいとも考えておりますので、何も知らない人間がまず手始めになにをすべきかを教えていただけますと幸いです。 このような場を設けていただいていること、質問のご縁をいただけたことに感謝致します。

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神通力

 前回「釈尊の悟りは神通力を得た結果?」を投稿しましたが、当たりのようです。  駒沢大学学長を歴任された水野弘元先生の著書「釈尊の生涯」の「成道と三明六通」には「(前略) そして濾尽智通以外の五神通は、必ずしも仏教者だけでなく他の宗教家や鬼神狐狸の類に至るまでも、浅深の差はあっても、これも得ることが出来るとせられる」と書かれています。  三明六通の「六通」とは先ほどにに記述の「五神通」とあるように、「六神通」と考えることが出来ますので、「神通力」を得たと考えて差し支えないと思います。  古代インド社会では「輪廻転生」は常識であったそうですが、当時のインド宗教者は、互いに神通力を競い合ったと考えられます。  三明の最初の一明は「過去に関するすぐれた智慧の宿命通(宿命明)」となっていますから、釈尊だけでなく、それ以前の宗教者にもそこに到達して、「輪廻転生」が世間に広まったと考えられます。  余談ですが、阿含宗を創設した桐山靖雄師は、著書「輪廻する葦」のなかで、成仏法と称して、神通力を修練することを勧めたようです。私は読んでいませんので想像ですが、論理の「阿含経」ではなく実践法の「雑阿含経」を研究していたようです。

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輪廻転生の考え方について

質問が2つあります ①仏教では輪廻転生と言う考え方で生まれ変わると言われていますが 人口の増減についてはどう考えているのでしょうか? 今の日本の人口は1億人を超えていますが 奈良時代 大宝律令ができたころは310万人~320万人ほどだったようです。 日本史の教科書では 昭和初期の満州事変が始まった頃のことを 日本は中国人4億5千万人を敵に回すことになった と書かれていますが 今は中国の人口は軽く10億人を超えています 同じ国籍だけに輪廻転生するとは限らない 世界規模で考えるべきとしても 現在世界の人口は70億人程度いるようですが 1世紀に前に比べても数倍になっています もっと言うなら 数万年前の ~~原人 とかいたころはどうなのか? とか いろいろ説明がつかないことばかりです。 昔の 江原啓之さんが出てくるような心霊番組はテレビでやらなくなりましたが (便乗した霊感商法 悪徳商法がはびこるようになるとか、輪廻転生を信じた人が人生をやり直すために自殺するケースが出たなどの理由で弁護士などがテレビ局に抗議したそうですが) 当時の番組では江原さんは輪廻転生を言っていて 「あなたの前世は~」と言う話になると 全て人間であり、他の動物だったケースは見たことがありません。 しかし 全ての人間が また人間に輪廻転生をするとすると 個体数の関係で辻褄が合わないことになります。 これは仏教ではどう考えているのでしょうか? ②私は亡くなったら全て「無」に帰す 霊魂も輪廻転生もないインチキだ と言う考え方は好きではありません。 それは 大切な肉親を亡くし時点で「永遠の絶縁」を意味するからです。 死ぬことは怖いとは思いませんが、肉親と未来永劫絶縁になると想像するほうが怖いです。 霊魂や輪廻転生を完全否定する宗教家の方もいるようですが、肉親を亡くしたら情なんて捨てろ と考えているのでしょうか?

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誕生の仕組み

 輪廻転生が真実であるとすれば誕生の考え方が大きく変わります。  まず結論から言いますと、「心は自分自身であり、親から貰ったものではない」と言うことです。 即ち自分の生老病死は自己責任であるということです。  ことわざからはじめますと、  「身体髪膚これみな父母より賜う。あえて損傷せざるは孝の始めなり」  これは身体だけであり、心は別ということになります。  「子は授かりもの」   もし心も親譲りであれば我が子であって、授かるとは言わないでしょう。  「とんびが鷹を産む」  親子の気質は別物であるという事でしょう。  「愚兄賢弟」  もし親譲りであれば、兄弟でも性格が違うとは、遺伝子的には考えられません。 原則的には類を以って集まるはずですから、性格が似ていることは多々あります。  臨死体験者(新堂のぶ子氏)の言葉(講演会にて)  「親が子を生むのではなく、子が親を選択する。」  ある宗教学者はネットで「龍樹と輪廻転生」と題し   「ブッダは、『大縁経』で、意識が母胎に流れ込むことによって、そして、そこで身心(名称と形態)が増大することによって、この世に転生するありさまを説明した。」と述べています。  「意識」は心と同一と考えてよいと思います。   以上が結論の根拠です。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ