裏切り喪失、謝罪なき人間を許すということ
この世は常に他者との関わりの中にあり、悩みの多くは人間関係が何かしら関わり苦しみを生みだすように思います。
他者との関わりによって自分の人生を大きく侵害されることが大なり小なりあります。
今回一度に多くの物を失いました。初めは相当に他者を怒り、憎み、恨みました。しかしその対象は私からすぐ逃れ、あてどころのない感情は次第に世の出来事は、自因自果であるという自責の方向に向かい、自分と自分で向き合う他ありませんでした。自らを毎日責めるしかない、それは更に自らを苦しめる行為となり過去に縛り付けられ、脳に深く刻まれ自分の生きてる価値さえ感じぬ程身も心も衰弱しました。一方で、侵害した側は責められぬことを都合良く謝罪なく変わらぬ今をそして未来を歩いていきます。
相手からの謝罪を求めることは欲望であり、
喪失したものは謝罪では戻らないことも理解しています。しかし、身動きがとれないのです。
悲しく耐え難い苦しみの日々、消えることでしか解放されることが見えません。人のため人の助けとなる仕事をし、真面目に生きてきました、自死を望むことすら許されないのでしょうか。自死をすることで、私を喪失し遺されたものの悲しみをと言うなれば、それは遺された者の欲望であり、自死を選ぶその人の苦楽を本当に思うのであれば、もう苦しまなくて良かったねとなるものではないでしょうか。耐え難い苦しみ、消えてしまいたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「欲望」と「怒り」ついての考え方
こんにちは。
「耐え難い苦しみ」、そのご心情をお察しします。
お悩みの件は、具体的なあなたの生活背景や人間関係の記載がありませんので、仕事、プライベートいずれか或いはその両方なのかは分かりません。よって、私は事実関係に則した具体的なアドバイスよりも、あなたの考え方に焦点を当てることが妥当と考え回答したいと思います。
私が気になったのは、あなたの「欲望」についての考え方です。
仏教では、人間は誰しも自己中心的な視点で生きており、自己都合に心地いいものが満たされる方向性を「貪欲(とんよく)」といい、逆の方向性で満たされず怒り退けていく方向性「瞋恚(しんに)」といいます。
では、ここで「欲望」は一律に否定されるものか、というと私はそうではないと思います。人間は、食欲、睡眠欲など人間が生存していくための最低限必要な「欲望」を否定することが仏教ではありません。時に、知識欲など人間の向上発展に欠くべからざる「欲望」だってあるのです。
あなたは「今回一度に多くの物を失」った、「初めは相当に他者を怒り、憎み、恨」んだけれども、「侵害した側」からの「謝罪」はなかった。本来ならここで極端に言えば訴訟なりをして、「謝罪」をさせたいけれども「相手からの謝罪を求めることは欲望」であって慎むべきだから、具体的な「侵害した側」へのアクションは起こさない。けれども、「怒り、憎み、恨」んだ感情をどう処理すればいいかわからなくなって、「身動きがとれない」となっているのではないでしょうか。
人間として、社会生活を営むものとして、一定程度の「欲望」と「怒り」はあって当然です。これが、あまりに極端の方向に振れすぎると「貪欲」、「瞋恚」の観点から見直すべきだし、慎むべきだと考えればいいのです。
事実関係が分かりませんので、あなたの「欲望」と「怒り」が第三者から見て妥当なものかどうかは分かりません。しかし、あなたは至極妥当な「欲望」と「怒り」に自分で制限をかけてしまっているから、「身動きがとれない」という思考の悪循環になってしまっているのではないでしょうか。
「自責の方向」が極端に「自責」の方向に振れていませんか。
物事には「自責」すべき点と他責すべき点両方あるはずです。
自分の内面で引き受けすぎずに、自分にリミッターをかけすぎずに、バランスを取ることが必要ではないでしょうか(字数制限)
無駄だけど無駄じゃない
詳しい事情がわかりませんが、あなたは他人のことにもう少し無関心になっても良いのかもしれません。
裏切りとか許す許さないとか、他人のことを気にするから思いつく発想でしょう。
台風が通りすぎたあとに、「あの台風のせいでひどい目にあった、あの台風を許さないぞ!」と憎む必要はありません。
台風は、通りすぎたらもう自分には関係ないです。
今、目の前の1秒間に、本当に耐えられないような苦痛はありますか?
あなたの感じる苦しみは、通りすぎた台風への憎しみであり、実際の自宅の周りはすでに晴天ではありませんか?
なお、自殺願望が何日も続く場合は「うつ」の可能性があります。
脳・神経の体調不良が原因でネガティブになっているだけかもしれません。
医療機関に相談してみてはどうでしょうか。
どうせ短い人生ですが、死ぬ前に、映画の1本でも見て楽しんでみましょう。
人類だってどうせいつかは滅びます。
それでも、世界中で目の前のコロナ患者を助けようとしたり、戦争をなくそうと努力している人々がいます。
もしも輪廻転生があり、再び地球の人間に生まれるなら、来世はもう少しマシな地球人類でありますように、悲しみの連鎖を終わらせるようにしたい。
だから、無意味なようで意味があることもありますよね。
たとえ苦しみを伴うものでも。
まぁ、結局は死ぬまで生きれば良いだけですけどね。
恨みは忘れて、楽しい世界を味わいましょう。
質問者からのお礼
ご回答頂きありがとうございました。
自分を悩ませていることについて、視点を変えて考えなおし、少し肩の荷が下りました。
本当にありがとうございました。