死後の世界について
最近死ぬことがとても怖いです。今私は20代でまだまだ先の人生があると周りに言われます。死ぬ時よりも死んだ後無になるのだと思うと怖くてたまらなくなり涙が出てきます。今は祖父母も両親も夫も健在で幸せな生活を送ることができています。だからこそこの幸せがいつか無になることが怖いです。また、時間には逆らえないので祖父母、両親が先に亡くなるのだと思いますが、自分が死んでから会えますか?お母さんは必ず迎えにくると約束してくれました。夫も死ぬからといって離れ離れにはならないし、ずっと一緒だと言ってくれています。ただ、死んだら怖いとか迎えにきてくれるとか、そのようなことも思うことすらできなくなくなるのでしょうか。意識が無くなり、思いや感情や記憶も全て無くなってしまうのでしょうか。怖くて仕方ありません。自分が数十年前はこの世に存在しなかったというのも不思議でなりません。死んでも幸せな時間が続くという保証があればきっと怖くなくなるのだと思いますが、そんなことは誰にも分からないし、だからこそ怖いという思いが無くなりません。これまで亡くなってこられた方々も生前にこのような気持ちを持ちながら生活し、気づかないうちに亡くなっていたのでしょうか。文章がまとまらずすみません。辛く、怖いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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私たちのイメージは超えているのでしょう
ご相談拝読しました。死後について不安や恐怖があるのですね。実はそれが正常というか本来の感覚なのかもしれません。
おっしゃるとおり死後については誰もわかりません。死んで帰ってきた人はいないのですから。それなのに恐怖も何も感じないというのは、死後についてごまかしたり、考えないようにしているか、自分でこうと決めた考えに心を固めているだけなのかもしれません。
さて、順番はないとはいえ、おそらく自分自身の死よりも祖父母様やご両親など身近で大切な人の死を先に経験することになるのが多いでしょうか。そしてその経験こそが死後についての感覚を変えうる大きな契機であるのかもしれません。
すなわち、亡き人とどう出会い直し、出会い続けていけるかという問題です。死んでから再会というのは結局問題の先送りであって確証は得られません。しかし生きているままで亡き人と何らかの形で出会えるならば死後の再会についても同様であると感じられるのではないでしょうか。
とはいえ肉体は有限ですから私たちが思うような形での再会というのは難しいのだろうなと思います。
宗教はこのわからない死後の問題について物語を持つ場合が多いです。物語とは単なるフィクションや気休めではなく、本来は言語で表し切れないような大きな大きな事実、それこそ真理と言われるようなものをなんとか私たちに伝えようとした結果の表現の形なのだと思います。
仏教の中の浄土教では死後の極楽浄土という物語があります。そこで皆が仏様や菩薩様方と共に一つの処で再会するというものです。
その再会の形はどのようなものなのでしょうか。浄土とはけしていわゆる天国としてイメージされるような理想郷ではなく、仏様となる悟りを得るための境界です。
仏様は無分別(むふんべつ)の智慧に目覚めた方です。私たちはそうでなくあらゆるものを分別(ふんべつ)します。私とあなた、この世とあの世、生と死、良い悪い…そうやって全てを分断し評価しているのが私たちですが、仏様はそうした見解を超えているのです。
すると浄土での再会というのは私たちが会いたい人だけと会うという再会ではなく、会いたくない人も含めて全ての人と出会っていけるものであると想像します。それは自分というものへの囚われが壊れることで、一切と繋がっている事実、その本来性への目覚めなのではないでしょうか。
説明は難しいですが究極の課題です。
生き返ったという人はいますが、たしかに死んでしまった人と生きているように会ったという人はいません。ゆえに死後の世界を証明するのは難しいです。多分単純なのでしょうけど、現状では難しいのかもしれません。
しかし、死んで無になる訳ではないと思います。何故なら、私たちは魂と意識と肉体から成り立っているので、死と言うのは単なる肉体の変化に過ぎないと思います。魂と意識はそのまま継続していると考えますが、ではどのような状態でというのは見えない次元なので説明のしようがありません。
でも、多くの心霊現象はこれである程度説明はつくと思います。
さて、miiさんのご心配も分かりますが、大前提において無になってしまう考えとそうでない考えではかなり異なります。しかし、どちらを信じようかは自由です。
私自身は、お話したような理解でご葬儀、ご法事、ご供養を営ませて頂いています。
もちろん、大切な人が死(肉体とし存在しなくなる)を迎えることは寂しく悲しいことですが、それも、この世の摂理です。又、自分もいずれはそのようになるでしょう。そして、肉体が滅びても他は継続していることを、改めて経験するのだと思いますし、むしろ、そのような次元から生まれてきたのでしょうね。
質問者からのお礼
ありがとうございました。死に対する恐怖がなかなか消えず苦労していますが、今生きている奇跡に感謝して過ごしていきたいと思います。