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死にたいと親に言ってしまった

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はじめまして、こんばんは。

私は20代大学生です。中学生くらいの頃から、容姿、性格など自分のことが嫌いで、漠然と死にたいなーと考えていました。

確かに、今も自分として生きるのは辛いです。何かの拍子に死んで、別の人間になりたいと思います。
不謹慎ではありますが、自殺した人のニュースを見ると、同情やショックでなく、生きなくていいことへの羨望しか感じません。

それはそれで問題だとは思うのですが、今一番の問題は、母に、つい死にたいと言ってしまったことです。

最近は、もともと自分が嫌いなところに持ってきて、コロナ禍で外出できないことや先行きが不透明すぎること、そのくせ国家試験や受験などのために勉強しなければいけないことなどのストレスが重なり、それにうまく対処できなかったことが原因かと思います。

自殺する勇気もないのに死にたいだなんて言っても、周りに迷惑だし、引かれるし、メリットなんてありません。
どうせ寿命が来たら人間は死にますよね。
「身体と心、どちらかが限界に達すればその時に死ねる、どっちが先に壊れるかはさほど問題じゃない。」
このような考え方から、死にたいと思っても口に出さずにやってきました。

しかし、前述の通り、去年の10月ごろから母に「死にたい」「屋上に行ってみたけど飛べなかった」などと話してしまうようになりました。

親じゃない人に表出したのなら、「構ってもらいたいだけだ」と一蹴されるくらいで終われていたのでしょうが、人に弱みを見せるのが苦手なので、できません。前向きで天真爛漫な人物だと周りからは誤解されているようです。そう誤解されればされるほど自分を繕って、疲れてしまうので、昔から悩みを話せるのは母くらいでした。

こんな歳になっても、親くらいしか相談相手のいない私を母は受け入れてくれて、私も年甲斐もなく甘えていましたが、
「死にたい」だけは違うと自分でも思います。母は深く傷ついているでしょう。

母の相談相手といえば、母の姉(伯母)なのですが、伯母も旦那さんが病気療養中なので、私が死にたがっていることなど相談できないと思います。

こんな歳になってこんな形で親を苦しめたことは反省していますが、死にたいのは事実だし、どう謝ればいいか、どうしたら心配をかけずに済むか分かりません。
私はどうすればいいのでしょうか。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「死」ななくても良いと言って欲しい、のでは

こんにちは。

「中学生くらいの頃から」「漠然と死にたいなー」考えていたのですね。しかし、周囲からは「前向きで天真爛漫な人物」と思われている。自分から見た自分と、他人から見た自分に大きな開きがある。

だから、内面の深刻さを他者に相談する事ができない。相談できるのは唯一母親だけである。「親くらいしか相談相手のいない私を母は受け入れてくれて」いたけれども、この度「死にたい」等を口にしてしまい、「母は深く傷ついているでしょう」と悔いている。こういう現状だと思います。

あなたが「死にたい」と口にした時、お母さんは何と返したのでしょうか。言葉に出来ないほどの衝撃を受けていた、ということでしょうか。ここが一番肝心なのですが、今回はこれが分からない為、文面の言葉に想像で補って回答します。

基本的に思春期から20代にかけては、自分とは何かというアイデンティーティー確立の不安定な時期で、年齢的なものという可能性もあります。

ただ、あなたが「人に弱みを見せるのが苦手」で、自分から見た自分と、他人から見た自分に大きな開きがあるというところが気になりました。それは、自分をさらけ出すことが怖いということであり、どんな風に思われるのか、リアクションされるかの経験が不足していることでもあると思うのです。だから、どんどん孤立を深めていく。周囲の人はどうせ私のことを分かってないんだろうな、と。

そうすると、他者と何かを心の底から共有して喜ぶとか、誰かに頼られ慕われ内面をさらけ出し合う(親友関係)ということが希薄になります。

このような人間関係の基礎は、やはり生育過程の親子関係に依る所が大きいと私は思います。あなたは、「どうしたら心配をかけずに済むか分かりません」と言っています。もしかすると、あなたはお母さんの前で、ずっと「心配をかけずに済む」ような取り繕った自分だったのではないですか。

本当は、「容姿、性格など自分のことが嫌いで、漠然と死にたい」自分をさらけ出して、不安で不安で仕方がなかった自分を受け止めて、そんなことないよ、大丈夫だよと安心させてほしかった。「死」ななくても良い自分だと言って欲しかった。今も言って欲しい、のではないですか。

直接お話するのもいいですが、カウンセラーを通して心理的安全を確保した上で親子同士の意思疎通のスムーズ化をお勧めします。

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有り難し
おきもち

釋 悠水(しゃくゆうすい)
浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布...
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質問者からのお礼

こんばんは。
お忙しい中、回答ありがとうございます。

母には、中高時代に自分の容姿が嫌だと泣きながら話していました。当時の母はそれに対し、我慢強く聞いてくれたり、時には怒ったり、と言った感じです。
もちろん、言っていいことと悪いことがあると思うので、ある程度自制はしていたつもりですが、母が威圧的で悩みを話せない、良い子を演じていたほうが楽ではありますが、良い子でなければいけないとまで思っていた記憶はないです。

ただ、「あなたは分かりやすい(感情を表に出しやすい)し、大袈裟だからね」と笑われた時は、自分なりに我慢していることは伝わっていないんだな、と思いました。
しかし、基本的には親子仲は良好です。親も人間だし、私も親を失望させたり傷つけたりしていると思うので、お互い様な、普通の親子だと思います。
生育過程に何かあったのだとしたらどこが問題か自分ではわかりません。
仰る通り、専門家の力を借りる必要があるのかもしれませんね。

ちなみに、死にたい旨を話した際、母は最初は「うん…」と静かに相槌を打ち、聞いているだけでした。
しばらくすると、「本当に死ぬのなら、その前に教えて。お母さんも一緒に死ぬから。でも、その前に旅行にでも行こう」と言っていました。
その言葉を聞いて、そこまで言ってくれるんだな、と思う反面、「私が死ぬからという理由で死ぬのは勘弁してくれ。荷が重い。私の行動を判断基準にしないでくれ。」とも思いました。まあ、口に出してしまった私がいけないのですがね。

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