気持ちの保ち方
以前にも毎日のお勤めという事でお世話になりました。その節はありがとうございました。
あれから、毎日の生活ペースは父が亡くなる前に戻りつつあります。母の悲しみの表し方も私の受容範囲です。
でも・・・何故か私の心が 日を追うごとに不安定になるのです。
母の前や、妹、私の子どもには決して涙も感情も見せないようにしています。
でも・・・1人の時や、例えば仕事中に父の亡くなる前の日付の書類を見るだけで、涙が溢れてきます。
父とは複雑な関係だったので、余計にあれこれ考えてしまいます。
もっと話がしたかった・・・・・とか、私に言いたいことはない?とか
今どこにいるの? あちらの世界って本当にあるの?とか
誰にも言えないんです。私が頑張らなきゃいけないとついつい思ってしまうから。
泣き言・・・・・言えないんです。
私はどう気持ちを整えていけばいいでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたが死んでも続いていく世界の為に
Aさんは家族もみんなまだ生きているのに、自分の死、家族の死を恐れて四六時中、死を恐れながら生をないがしろにしながら生きています。
Bさんは死後の世界を信じていて、死後の世界で亡き人と再会できると信じながら毎日を感謝の気持ちで幸福感に満ちて生きています。
Cさんは死後の世界などない、この世界こそ、いつでも誰かの死後の世界。
自分は残されて生きているのだから、子供たちをしっかり育て、懸命に生きるだけであると気づかれ、毎日を楽しんで生きている。
Dさんは毎年お墓参りを欠かさず、生きながら亡くなった故人様と活きた関わり合いをしている。
Eさんは、自分が何時死んでもいいようにお墓の準備も抜かりなくすべて済ませてあるので、毎日を自由に幸せに生きている。
色んな人のいろんな生き空があります。
あなたはこれからも幸せになるべきでしょう。
終わりなんてありません。この世は止まったためしがないのですから。
いずれにせよ人間の死亡率は誰であろうと100%。
不幸になる率、幸せになる率は、半々ですが、自分で変えていけば幸せになれます。
それは自分が幸せの縁を加えて心を救う学びを重ねて功徳を利益(りやく)を積んでいくしかありません。
ネガティブな事を考えれば心はどんどん暗くなります。
それは不幸になる率を高めるだけです。
あなたは自分の死に向けて一つ一つゆっくり為すべき事をし尽して卒業していけばいいのです。最後は自分、この世からちゃんと卒業できます。卒業しないでとどまる方法があります。
遺された家族の中で笑い、泣き、自分をさらけ出して同じ土俵、同じ目線に立って、しっかり人間の生きざまを生きていくことです。
悲しみを、大切に。
青い海さま
初めてお答えをさせて頂きます、なごみ庵の浦上哲也と申します。よろしくお願いします。
前回は、お義父さんが亡くなり、お供えやお経のお勤めについてのご質問だったようですね。その後はいかがですか? 毎朝のお供えは無理せず出来る範囲で続けて頂ければ結構ですし、お経のお勤めにしても同じです。上手に読経するのが良いのではなく、お経をお勤めするのが尊いことなのだと思います。
さて、今回のご質問を読ませて頂きましたが、青い海さんがちゃんと悲しめていないご様子で、心配をしております。実父ではなく、複雑な関係と仰いますが、それでも存在感のある方だったのではないでしょうか。そんな方が亡くなり、青い海さんとしてはご家族(お母さま、妹さん、お子さん)の前で「私がちゃんとしなければ!」という思いに突き動かされて、頑張ってこられたのではないでしょうか。
青い海さんは、今まで泣き言を押し殺して充分に頑張ってこられました。どうかこれ以上、頑張らないで下さい。人にとって、悲しむことは大切なのです、大事なことなのです。まっすぐに悲しんでこそ、再び立ち上がる力が湧いてくるのです。
1人でも、ご家族の前でも、涙を流しましょう。涙を流しつつお義父さんのことを話し、悲しみをシェアして下さい。「いろんな思いはあるけど、私は悲しいのよ」と素直に打ち明けて下さい。青い海さんが悲しむことは、回りの方にとってマイナスにはならないと思います。
気持ちを整える近道は、悲しみを押し殺さないことだと思います。
海はなぜ青いのか・・
青い海様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
青い海・・海はなぜ青いのか・・当たり前と思っていることでも、調べてみると、なるほどそうだったのかと始めて知ることも多くございます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/水の青
人は必ずや死にます・・この事を頭では理解できていて、それが当たり前だと思っていても、いざ身近な者、愛する者、あるいは自らの死の現実に直面してみて、ようやくに始めて知ることもあるかと存じます・・
死の意味を改めて知ること・・つらく、悲しく、苦しい、死の現実・・釈尊は、この思うようにならないこの世における私たちの苦しみの現実をまずはしっかりと捉えなさいとして「苦諦」をお説きになられました。
生・老・病・死、愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦・・
特にこれまでも「愛別離苦」につきましては下記の各問いにても扱わせて頂いております。
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/tag/愛別離苦
時間がまだまだどうしても掛かることかとは存じますが、浦上様もおっしゃられているように、悲しみを無理して我慢せずに一つ一つ出されていくことで、感情を整理されていかれることと、ゆっくりとでもお父様の死の現実を受け入れながら、その苦しみとも真正面から向き合って頂きつつ、釈尊のお説きになられた苦しみを滅するための方法論への関心を起こして頂けましたら有り難くに存じております。
前回にお答えをさせて頂きました毎日のお勤めももちろん大切なことですが、そのお勤めの本質である仏法、その中でも、お悟りを開かれました釈尊が最初に説かれた教え(初転法輪)である「四聖諦」という真理について、まずは是非ともこの機会にお考えを賜われましたらと存じております。そして、徐々に日々のお勤めの内容、弘法大師様の教え、または、真言密教の教えについても学ばれていかれましたらと存じます。
善処を祈念申し上げます。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
浦上さま、ご回答頂きありがとうございます。『悲しみのシェア』がうまく出来なくて、1人の時にうじうじしていました。私はついつい強がったり、平気な顔をしたりで本心を出せないところがあります。1人でストレス溜めてます。でも、浦上さまのお言葉通り、悲しみを押し殺さないことを少しやってみようと思います。
丹下さま、前回に続きご回答頂きありがとうございます。生き方は千差万別、出来ればAさん以外の生き方に近づきたいですね。今まで私がなかなか出来なかった、素直になる・表現する(わがままではなくて)
肩の力を抜くを心掛けてみようと思います。