命日
亡くなった人の命日が誕生日の代わりとなると聞いた事があるのですがそうなのですか?
でも命日は祝うものではないですしそれを聞いてから命日が不思議に思います。
命日を明確にしたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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おめでとうではなく、ありがとう
こんにちは。
私も、若い頃、疑問に思っていました。
うちの寺では命日でも33回目以降の法事ではお祝いの意味を表す赤いロウソクを灯しておつとめします。
亡くなることをおめでとうの意味ではないです。
人との別れは悲しいです。
でも、何十年か経つとその悲しさも忘れてしまう。
忘れ去ることも、生き延びる本能的な知恵ですが、誰からも思い出されないのはもっと悲しいです。
(リメンバーミーという映画があります)
命日を縁として、その人が確かに生きていたことを偲ぶ。
平成から令和に入り、法事を省略する人もいる中、家族の縁を法事を営む気持ちを尊重してくれる有り難さはあります。
故人は後に遺す人を悲しませるために、この世とお別れした訳でないことが多いです。
故人に対して伝えたい気持ちは、悲しいではなくありがとうを大事にしたいです。
私はおめでとうではなく、ありがとうの意味合いの縁日を大切にしてます。
「命日」=「誕生日」
こんにちは。
「命日」=「誕生日」というお話をどちらかで聞かれたのでしょう。
あなたは、生前という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
生前故人がお世話になりました、等々と述べることもあるかもしれません。
生前は、極楽浄土への往生の前、つまりこの世の命がある時には、という意味です。
つまり、これは故人が極楽へ往かれ、そこで仏様としてお生まれになったという世界観が前提の表現です。これが一般的な使い方として定着している、それが生前という表現です。
よって、この極楽で仏様として「誕生」されたという意味での「誕生日」というお話を聞かれたのでしょう。これは、仏教、浄土真宗的にはそのように表現しても差し支えありません。
あとは、あなたがこの仏教の世界観を、自分の世界観にするか否か、です。
「命日」=「誕生日」であるのか、どうか。
この先は、あなたが仏教と縁を持つかどうかによります。