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働きたくないです

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働きたくないです。働くと考えただけで嫌な気持ちになります。
毎日他人の顔色伺ってへーこら頭を下げてやりたくないことを金を貰うためにやるなんて辛くて我慢できません。これを年寄りになって引退するまでやるなんて生きる気持ちになれません。
私のような人間の場合は、働かないで生きることを目指すべきではないでしょうか?
働かないといけない、働かないのは良くないことだ、悪い人間だというふうに思うのは社会に洗脳されてるんでしょうか?
人間は働かないといけないという世俗的な価値観と自分の幸せを感じれる基準が噛み合っていません。
私は自由でゆったりと好きなことをしていられるのが幸せです。ストレスを感じて生きるのは明らかに幸せではないです。仕事や働くは私にとって好ましくなくストレスです。
お坊さんの考えを聞かせてください。私は間違っていて矯正されるべきなんでしょうか?


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

一つのことを問いかけるのみ

こんにちは。

あなたが今使っているPCなり、スマホは働いている人がいるから存在しています。

インターネットを可能にする通信環境を維持する人がいるから、こういうやり取りが出来ます。

そして、あなたの衣食住を支えてくれている人がいます。

「自由でゆったりと好きなことをしていられる」のはその人たちがあってこそです。

あなたの言葉で言うところの、「毎日他人の顔色伺ってへーこら頭を下げてやりたくないことを金を貰う」人たちが。

あなたが就労についてどう考えるかは自由です。

私は、「間違ってい」るとか、「矯正されるべき」とは言いません。

ただ、自分を支えてくれている無数の人たちがいるという事実を、あなたがどう考えるかと問いかけるのみです。

※就労の是非はともかく、質問したら返信するぐらいのマナーは守りましょう。

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有り難し
おきもち

浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布教研究専従職員 元龍谷大学講師 元篤志面接委員(法務省管轄) 真宗学修士、心理学学士 Fmみっきい(地元ラジオ局)出演中 趣味:サックス 2019年末頃から回答しています
応談できる時間帯は、その日によって違いますのでお確かめ下さい。 月曜日〜金曜日(祝日除く)13時〜21時 土曜、日曜、祝日 18時〜21時 お盆(8月1日〜15日)、お彼岸は対応できません。

私も働きたくありません だからこそ そのエネルギーを転じる

言葉を具体的にもっとさらに限定的にされると良いのかもしれません。
「働く」ということをしたくないわけではないはずです。
面白い事ならやる。
楽しい人間との面白いワークならやれる。
そうでしょう。
だから、同じような考えを持った人たちでチームをつくれば「働きたくない連盟」同士での同志たちでの仕事は発生します。
人にこき使われるのは誰でも嫌なはずです。
ですが、尊敬できる人の為にお役に立ちたいという意識は人間は持つことができるものです。任務や使命があれば何よりもそれを優先するように人間はできているのです。
私もこのhasunohaをしばらくはなれて日本の国防や人権や嘘を正す活動をしていました。仏教業界の布教活動にも害を及ぼしてきた人間がいまして、彼らのウソや不正や非道を伝えて、騙されていた人たちの目を覚ます防衛活動などをしておりました。もちろん、無償です。ものすごくハイリスクです。誤解もされます。それでも人は本当に守るべきもののためには「動く」「働く」「活動」はする・できるのです。あなたもあなたの愛するものを破壊するような人間が現れたら鬼滅の刃の炭治郎くんばりに守るために戦うような意識が自然に表れるはずです。
働きたくないのも、守るものがあるからです。
この自分が苦しみたくないという意識の元で働きたくないのです。
ですから、あなたの考えは間違っていません。
だからこそ、冒頭に申し上げたように、自分で言葉を厳密に限定していくことでより高い意識に自分を導くことができるようになるでしょう。
仏教では菩提心と言ってテメーの為にやるのではなく、もっとデケェもんのために生きろと説きます。俺が自分がアタシがテメーの為だけにというケチな生き方を捨てて、もっとガツンと来るすげーもんの為に生きろと大きな価値を見出すべきことを説いております。
働きたくないのは結構ですから、どうせなら、誰だっていやな職場やいやな人間のもとでは働きたくないのは人類共通の大真実なのですから、あなたがその人たちをを救済してあげるつもりで楽して働かなくてもいいような壮大なアイデアを創造してみてください。結果的にそれが大きな菩提心の作用となってあなたを飛躍的に成長させてくれるでしょう。働きたくない。働きたくない。あー!働きたくないからこそ、エネルギーをその方向の目指す最高のものに向かうように意識の優先度を注ぐのです。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

どうぞ、働かないで生きることを目指してください。

どこか僻地の
お金の不用な場所で
自給自足すれば
働く必要はありません。

そうすれば他の人との関わりも
無くなってしまうかもしれませんが
それでも良いなら
そういう生き方もアリだと思います。

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有り難し
おきもち

 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生まれ。山形大学理学部卒業後、証券会社で勤務。30歳で脱サラし、親戚筋の超覚寺に入寺、45歳で住職継職。  遺族の分かち合いやお悩み相談などグリーフサポート活動を続け、お寺の掲示板による法語伝道にも尽力している。カープ坊主の会会員。
こちらに法事が入っていなければ、ご希望の日時に相談させていただきます。 想いを吐き出しても、あなたの環境は変わりませんが、あなたの気持ちは変わっていきます。 どうぞ安心してお話しください。

質問者からのお礼

ありがとうございます丹下和尚!!なんかガツンと来ました!そんな考え方があるのかと目が開かされた気持ちです。人類を救済するなんて考えたことありませんでしたがなんか燃えてきました。本当にありがとうございました相談してよかったです!!

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