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生きるのも死ぬのも嫌な時は、、

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有り難し有り難し 11

初めまして。ご覧いただきありがとうございます。
私は現在29歳ですが、これからの人生を生きるということに迷いがあります。

なぜ迷っているのかをお話しする前に、私の生い立ちを書かせてください。
私は本来あまり喋らない性分ゆえ、小学生時代はいじめっ子の標的でした。

そのため中学に上がる際には、いじめられたくないという思いから、本来の自分よりも明るく振る舞い、他人に嫌われないようにすることを第一に心掛けました。

また、親が厳しかったことからも、親の機嫌を損ねないようにすることを無意識にしていました。すると、気づいたときには、嫌われない・怒られないように他人の顔色ばかりうかがい、自分のやりたいことなど何もない主体性のない人間になっていました。

中学・高校時代は幸いなことに友達にも恵まれ、勉強部活恋愛全てにおいてとても充実していました。大学受験も成功し、就職も無事できましたが、特に入りたかった企業ではありませんでした。

そして働いて数年が経つころに、先述した自らの主体性のなさに気がつきます。

そこから自分のやりたいことは何だろうと考えたのですが、そう簡単に見つかるわけもなく、生きる意欲だけが削がれる堂々巡りが続きます。そこに、愛犬の死が訪れます。

身近な存在の死は幼い時に祖父を亡くして以来で、非常に辛いものでした。そしてこれ以降、人生において特にやりたいこともないのに、これから先には家族や友人の死、自分自身の老いなど、向き合いたくないことが沢山待ちかまえているとなると、もう生きなくても良いのではと思うようになりました。

既に書いたように、非常に充実した学生時代を過ごしました。十分楽しんだと胸を張って言えます。しかし、私が死ぬと悲しむ人がいるため、簡単に自ら死ぬことはできません。

生きる意味がわからないながらも日々頑張って生活している人が多数いることはわかっていますが、多数がそうしているのだからそれにならって頑張りなさいというのは腑に落ちないのです。常に多数派が正しいとは限らないからです。

自分自身が納得する結論は出ないと思います。主体性がないので、やりたいことが見つかることはきっとありません。

しかし、生きるべきか死ぬべきか、生きるならどうするべきか、途方もない難題に苦しむ日々が嫌になりました。少しでも楽になる方法はありますでしょうか。長文失礼しました。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたにできることあなたを必要としてること

拝読させて頂きました。
あなたは今まであなたなりに一生懸命に周りに対応しながら頑張って生きていらしたと思います。あなたは社会の中で生きる力を身につけていらしたのです。
そうした中でこれから生きる意味や目標をなかなか見いだせずにいらっしゃるのかと感じました。すでにお勤めなさっておられる中でなんとなく自分が生きる気力もあまり湧いてこないのかもしれませんよね。あなたのお気持ちお察しします。

今まであなたが生きていらっしゃったのは当然あなた自身が努力なさり適応していこうとなされたからかとも思います。とはいえあなただけの力ではなくあなたは沢山のことを与えられながら様々なことにも恵まれて成長なさっていらっしゃったのです。それはこれからも変わらずにあなたは育まれながら生きていかれるのです。
ですからあなた自身これから与えられてきたことから少しずつ周りの人達や社会にも自分のできる範囲で与え分かち合っていかれることを心がけてみてはいかがでしょう。私達は独りで生きているのではありません、沢山のつながりの中でお互いを尊重しながら助け合い生きているのです。
あなたの身近なところでもこの世の中のどこかにあなたの力をサポートを必要としていらっしゃる方々は必ずいるでしょうし、あなたにはあなたのできること役立つことは実は沢山あると思います。
あなたがこれから生きる中で必ずあなたにとって大切な出会いも巡ってきますし、ふとしたきっかけからあなたがより一層求められてくると思います。
どうかこれから心おおらかにあなたの未来にお向き合いなさりあなたができることや興味関心のあること、あなたが必要とされることや問題だと思うことに少しずつ積極的に向き合って取り組んでみて下さいね。

あなたがこれからも沢山の素晴らしい出会いやご縁の中で皆さんと一緒にお互いを尊重し助け合いながら充実した毎日を生き抜いていかれます様心よりお祈りしてますね。そしてあなたを心より応援してますね。じっくりと焦らず取り組んで下さいね。

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Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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お釈迦様は他人のために生きた

お釈迦様は悟った(修行を完成した)後、一時は独りこのまま命を終えようかと考えられました。
そこに梵天という神様が現れ、梵天はお釈迦様に、人々のために教えを説いてくださいとお願いしました。
それ以降、40年以上にわたりお釈迦様は人々のために教えを説き続けられました。
あなたも、すぐに死ななきゃいけないほどの苦痛がないのなら、他人のために良い行いをされてはどうでしょうか。
私たちが成人するまで、卒業するまでの間に、かなりの税金を使った投資を受けています。
働いて納税するだけでも、世間への恩返しになります。
本当に主体性がないなら他人の要求、世間の要求に軽々と応えられるはず。
あなたの場合は、「怠けたい」という主体性が強いのかもしれません。
誰にでも欲・怒り・怠け・プライドの煩悩があるので仕方ないですが。
お釈迦様は怠けの煩悩を克服されたので、身体が弱った最後の病床でも新たな弟子の入門を受け入れられました。
仏教を学ぶと心身が軽やかになり、面倒くさいなぁという苦痛が減りますし、苦しみを受け入れる心の柔軟性も湧いてくるかもしれません。
なお、働き方改革・業務効率化が求められる昨今、怠け者ならではの観点で仕事場の改善に貢献できる可能性があると思います。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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