許すことの意味
過去にとても恋愛で辛い経験をしました。相手には嘘をつかれて社会的に無責任な態度を取られましたが、自分自身も関わった責任はあると、なんとか受け入れてきました。でも、まだ完璧ではなく、相手が理解できない自分がいます。でも元気かな、今どうしているのかなと思ったりもします。連絡は返ってこないけどたまに誕生日おめでとうと送ったり、元気になったことを伝えたりしましたが、これはただ過去に生きているのでしょうか。それとも許せたからでしょうか。許すとはどうなる事なのでしょうか。教えていただけますと幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
許すとは、自分を許すこと
拝読させていただきました。
仏教の空の思想観点から申しますといわゆる「執着」からの解放することです。
まだ、こだわっている。
まだ、気にしている。
まだ、モヤモヤする。
この状態はまだ執着からの解放されていないということです。
相手が私ではなく、裏切らないような人と出会え、幸せになって欲しいと願える心を持てたとき、執着から解放されています。
愛は仏教では「渇愛」といい、求めても求めても喉が水を欲するように、キリが無いことです。
逃げ道でもあるかも知れませんが、シャ乱Qの有名な歌「シングルベッド」の詩でありますように「次の恋でもしてりゃ、辛くないのに」とあるように、Natsuさんが次の恋愛対象となる相手が見つかったとき、前彼氏のことから解放される一つの方法です。
その時には前彼氏と比較しない、人の思考・性格は十人十色であるからこそ、Natsuさんも新しい自身として、出発すること。新たなスタートを新たな人とスタートラインに立ち、同じ船出をすることがトラウマなどの執着という「こだわらない、気にしない」という方向思考へと変化していきます。
幾度と経験から失敗はあるものです。この失敗や後悔はこれから生きる予防策となる処世術となり、「経験が師となります。」
どんどん良くなります。
合掌
完璧、でなくていい
こんにちは。先の問答も読ませていただきました。その事につけても、他のことについても、完璧な決着をしなくても良いと思います。私にも、きっと誰にだって怒りだの後悔だの、完璧に消えないままで生きているのだと思います。
仏教では、「気持ちは移り変わるもの」と教えています。ふっと思い出し、また消えていく。出てきた時に拘り続けるか、そのままスルーするかは、私たちの自由です。
許すも許さないも、今のままでよろしいと思いますよ。
ムリに急いで許さないでいいと思います
拝読させて頂きました。
過去の恋愛であなたがとても迷い苦しんでおられることを読ませて頂きました。あなたがそのようにお感じなさるお気持ちはよくわかります。あなたのお気持ちを心よりお察しします。
その過去の恋愛についてはいそいであわてて答えを出す必要はないと私は思います。ですから無理に許したり受け入れることもないと思います。
逆に答えを急ぐあまりに過去の恋愛の状況や変遷を見失ってしまったり、あなた自身の感情の推移を追うこともできなくなってしまうと思います。
その恋愛が終わったのは様々な要因もあったでしょうし、あなたも相手もそれぞれに思いやわがままというか自我があったのではないでしょうか?ですから無理に相手を直ぐに許してしまったり認めてしまうと前後関係もわからなくなってしまうと思います。
過去を水に流すことは必要かもしれませんけれども無理やり答えを自分におしつけることでもないと私は思います。
ですから今連絡することはなさらないことです。それぞれがゆっくりと自分を見つめ直す時間は必要ですからね。
いろんなことをなさりながらじっくりと時間をかけてあなたの生活の中で答えを出していって下さい。もしかしたら心の中でストンと腑に落ちる答えが見つかるかもしれません。
それよりも今のあなたの人生そしてこれからのあなたの未来にしっかりとお向き合いなさって頂いてあなたなりの歩みで生きて下さいね。
あなたを心から応援してますね。