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離婚したいと言われました。

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付き合って2年少し、結婚して半年(一緒に暮らし出して2ヵ月)の夫婦です。
学生時代の縁あって再会し、遠距離で交際しました。
彼は学生時代から私に好意を持って下さって、交際期間1年互いに、真っ直ぐな愛情を向けプロポーズを受けました。仕事に向き合う姿勢、優しさ、楽しさ、何より好きと伝えてくれる彼を尊敬し、私も本当に好きでした。

彼のご実家は金銭的に貧しく、大学の奨学金に加え金銭の支援していたようで、私以前の彼女と一度結婚となったとき、金銭支援が原因で破談になった過去があります。金銭苦労されるも義母が専業主婦である部分に疑念を抱き、彼を通して義父に伝わり反対され破談に。(両親納得の上その後支援はしていない)

プロポーズ前に一度、私自身その過去に不安を感じ、前の彼女と考えは同じで金銭支援はできない旨を伝え了承の上、結婚に至りました。

昨年末、彼の仕事が本当に忙しく寝に帰る状況で「会社に殺されそう、でも妻のため頑張る」と毎日のように言われました。
初めは嬉しかったものの、そこまで無理しないで、私のために頑張るという言い方に辛くなるというのを乱暴にLINEで伝えてしまいました。
その後小さな彼の発言が気になりLINEで伝えては仕事で疲れる彼の支えになるどころか深く傷つけました。
また実際に義両親に何度かお会いして、良い方なのは間違いないのですが、「二人とも安定職で高給でよかった、私達の存在が邪魔なら捨ててくれていい」などの発言から、どこか不安が込み上げ、同時期に彼にぶつけて傷つけてしまいました。

これが原因で、彼は「今まで私に会うことが楽しみで日々暮らしていたが、今後心安らぐ家庭を築けるか不安」と昨年末に離婚した方がいいのか話し合いになりました。

私は自分の気持ちにもなって欲しいという想いが先行して言い方を間違えた旨、彼は親の部分は深い葛藤の上、既に親に伝えており心配ない、仕事の忙しさを甘え過ぎていたと反省しやり直すことに。

今年に入り同棲して2ヵ月、日々大半は楽しいのですが年末の一件以来、どこか互いに気を使い、信頼を失い、互いに思いやれない部分が出てきて、些細なことから2度喧嘩し、その度に年末を二人で思い出しました。
以前あんなに好きと言ってくれた彼が離婚なんてと試すように私から離婚をだしたところ、一緒に歩む将来が見えないと言われました。修復は難しいでしょうか。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

お互いの「よわさ」を共有し合うこと

お互い自分の弱さを上手に出せていないんじゃないでしょうか?
プライドや別のものを優先することは夫婦のためにはあまり得策ではありません。
愛は愛を最優先すべきであって、どこかしら愛と錯誤された自己愛が優先されてしまうと家庭愛は崩壊します。恋愛の駆け引きではないのですから、別れるというBADエンドばかりに浸らずにより良い価値を見出して最も最優先すべきことを見つめなおすことが大事です。よって、この記事も旦那さんに見せてください。そういわれたときにあなたはおそらく見せられないという心理が生ずるでしょう。だとするとあなたの中で最も最優先している心理は旦那さんよりも保身や別のものを優先しているという心理があるということなのです。
彼も言葉にはしないものあなたとの生活に後ろ向きな態度を示すということは本当は真実の愛を要求している姿勢でもあるのではないでしょうか?それはあなたが彼をこうだと決めることなく、彼が答えを持っているはずです。
人は本当に最優先にすべきことは「何」でしょうか?
今の企業は昔と異なって「多様化・多様化」という便利な言葉で様々な価値観が混ざり合ってモラルもへったくれもありません。ほぼ戦場です。助け合いもなく、戦場で蹴落とし合いです。男性の立場としては、そんな心折れる戦場でボロボロになって傷ついて帰宅するわけです。ようやくゆっくりできるはずの家庭で奥様からさらに何かを要求されるようであれば参ってしまうような心理も生じてしまったのではないのでしょうか。
もちろん、奥様もお一人で寂しい心理もあったと思いますが、自己愛よりも相手に行為をいだく恋を優先し、恋という自己愛ベースの行為よりも相手と心を同化させられる愛情を優先し、愛よりも私を「立てない」ことで自ずから相手に同調して支えてあげられる慈悲心を優先し、お互いが心豊かになれるこの上ない人間性の向上精神であり、この上ない安らかな心を目指す菩提心をこそ大切にしていただければと思います。
何よりも優先したいものはなにでしょうか?
その今あなたがこれが大事と思っているもののせいで家庭が崩壊するぐらいならばそんなものはあなたの家庭においては優先されるべきものではなかったのではないでしょうか?
そこの気づきと夫婦が共に支え合って向上していこうとする菩提心があなた方を再構築させてくれるエネルギーになると思います。
弱さを認める力を。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

有難いお言葉ありがとうございます。
まさに、おっしゃる通りで、
知らず知らずのうちに自分自分、、
自分の気持ちを押し付けることが優先されてしまっており、その昔、彼のことを大切にしていた頃の感情を見失ってしまっていたと感じ深く反省致しました。
未熟さを痛感致しまた。
涙が止まらず、何度も読み返しております。
昨日は淡々と自分の怒っている経緯を話し、また私が自分優先で彼の気持ちを汲み取る姿勢を持てませんでした。
本日頂きましたお言葉を胸に刻み、また彼と共有して素直な気持ちを伝えようと思いました。
本当にありがとうございました。
いつか二人で安穏寺に伺うことができますように。。

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