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気づきに対し深掘りしていいのでしょうか?

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有り難し有り難し 4

ある時から大いなる意識の存在を思いだし,日々瞑想等を通して今この瞬間を生きる事を心掛けています.
そうしている中で完全に今を感じられる時は内側から感じる充実感と共に,いわゆる気づきのアイデアや閃きが降りてくるのですが
その時の反応のしかたが分からなくて困っています.
ワクワクする方向へ進むのが人生の指標と思うのですが,思考には執着するべきでは無いという思いと矛盾してしまいます.
なぜなら気づきが起きる時はワクワクするので,その気持ちや閃きを更に追及しようとしてしまうからです.

この場合でも,自分からその思考を広げたり追いかけたりするのは避けるべきなのでしょうか?
世の数学者や哲学者,科学者達は皆思考の追及の末に様々なアイデアを出すのではないでしょうか?
それとも意図せず時に突如降りてくる気づきのような閃きを積み重ねているのでしょうか?
どうか知恵をお貸し頂けると幸いです.


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

腑に落ちるまで

 こんばんは。私は、ひらめきとかは大切にしたいと考えます、そして、「深掘り」の方向は「では、これと何がつながるのだろうか」というものです。おそらく、その抽象的な理屈がどこまで通用するのか、行き止まりまで考えてみます。
 自分なりに行き着いたら、そこでしばらく手放します。おっしゃるところの「執着しない」ということでしょうか。
 そうして、いくつかの「自分なりに整理し精錬した真実らしきもの」を自分の中にストックします。そうしていると、具体的な事柄にあたり、それを理解するための道具を手に入れたことになります。
 そうやって自分なりの真実を磨いていく。それで宜しいのではないかと思います。
 我々は仏教を学んでいますから、それだけ道具が多いのだろうと考えています。学んだ、気づいたものを精錬していく。それが自分の信念のようなものに結実していくのだと思います。

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有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊さんに限らず、二足のわらじを履くことで、話に幅が出るはずだと考えて、はき続けています。子育てとか家族論とか考えつつ、でも仏教って個人のものだなぁと感じたりします。

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