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気づきに対し深掘りしていいのでしょうか?

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ある時から大いなる意識の存在を思いだし,日々瞑想等を通して今この瞬間を生きる事を心掛けています.
そうしている中で完全に今を感じられる時は内側から感じる充実感と共に,いわゆる気づきのアイデアや閃きが降りてくるのですが
その時の反応のしかたが分からなくて困っています.
ワクワクする方向へ進むのが人生の指標と思うのですが,思考には執着するべきでは無いという思いと矛盾してしまいます.
なぜなら気づきが起きる時はワクワクするので,その気持ちや閃きを更に追及しようとしてしまうからです.

この場合でも,自分からその思考を広げたり追いかけたりするのは避けるべきなのでしょうか?
世の数学者や哲学者,科学者達は皆思考の追及の末に様々なアイデアを出すのではないでしょうか?
それとも意図せず時に突如降りてくる気づきのような閃きを積み重ねているのでしょうか?
どうか知恵をお貸し頂けると幸いです.

2021年3月14日 17:08

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

腑に落ちるまで

 こんばんは。私は、ひらめきとかは大切にしたいと考えます、そして、「深掘り」の方向は「では、これと何がつながるのだろうか」というものです。おそらく、その抽象的な理屈がどこまで通用するのか、行き止まりまで考えてみます。
 自分なりに行き着いたら、そこでしばらく手放します。おっしゃるところの「執着しない」ということでしょうか。
 そうして、いくつかの「自分なりに整理し精錬した真実らしきもの」を自分の中にストックします。そうしていると、具体的な事柄にあたり、それを理解するための道具を手に入れたことになります。
 そうやって自分なりの真実を磨いていく。それで宜しいのではないかと思います。
 我々は仏教を学んでいますから、それだけ道具が多いのだろうと考えています。学んだ、気づいたものを精錬していく。それが自分の信念のようなものに結実していくのだと思います。

2021年3月15日 23:30
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有り難し
おきもち


一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊...
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「仏教における瞑想」問答一覧

仏教の瞑想について教えてください

実家が浄土真宗という事もあり、瞑想に縁が無く、なんとなく勉強もしてこなかったのですが、最近になって仏教の瞑想に興味を持ち、インターネットでざっくり調べてみました。 ですが、まだ分からない部分があり疑問がいくつか解けないままです。 そこでhasunohaのお坊様方に瞑想について詳しく教えていただきたいと思い質問させていただきました。 まず前提として仏教の瞑想には止(サマタもしくはシャマタ)と観(ヴィパッサナーもしくはヴィバシャナ)の二種類があるということ、法相宗の瑜伽や天台宗の止観は止と観を包括することまでは分かりました。 ただ分からないのは禅宗の坐禅と密教の阿字観です 禅は禅定という言葉からして止なのかな?と思ったのですが、臨済宗の公案によって自己を見つめる、というスタイルは観と言えなくも無い様な気がします。 阿字観や月輪観も一見止に思えますが、ウィキペディアの古式の阿字観瞑想の項には、奢摩他(シャマタ)と毘鉢舎那(ビバシャナ)と書いてありましたし、真言宗のお寺のサイトには「阿字観は観を止より重視する」と書かれていました。 真言宗や禅宗のお坊様、或いは仏教の瞑想に詳しい方がいらっしゃれば、お聞きしたいのですが座禅や阿字観は止ですか?観ですか?それとも瑜伽や止観の様に両方を包括するのでしょうか? もし知識としてご存じないなら、実際に瞑想をした体感からくる答えでも構わないので教えてください。 よろしくお願いします。

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