人間になど生まれてこなければ良かった
私には取り柄がありません。人より際立って得意な物事もなければ、対話力もなく、容姿が整っている(むしろ悪い方)わけでもありません。性格も根暗で、1人の時間がなによりも好きな…いわゆる「社会不適合者」です。そんな私でも、女手一つで育ててくれた母だけには迷惑をかけたくないと思い、楽しくもない学校に行って、やりたくもない勉強をやって、何とか後は卒業論文の研究をやりきれば終わりというところまで来ました。
しかし、悪夢のような学校の日々が終わるかと思えば、今度は地獄の就職活動が待っていました。どこの会社も、求める人材の欄に書かれてあるのは「明るくコミュニケーション力のある方!向上心のある方!チームプレイが好きな方大歓迎!」のようなことばかり。そんなもの、私には何一つありません。あのような募集襴を見るたび、「おまえは用無し」と言われているような気になり、就職サイトを見るのも嫌になりました。
体調や精神も、以前と比べて悪くなっていることは自覚しています。ほぼ毎日腹痛パラダイスですし、熱もないのに身体が怠くて思うように動きません。最近では、いくら寝ても眠気がとれなかったり、涙が止まらなくなる日がでてくるようになりました。私が平均寿命まで生きるとして、あと60年もこの苦しみを抱えて生きるなど考えられませんし、考えたくもありません。
私がこの苦痛から解き放たれ、幸せになるにはやはり「死」しかないのでしょうか。
生きること自体がめんどうくさい
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分で自分を認めてあげることが出来れば良いですね。
こんばんは。亀山純史と申します。
あなたの苦しい状態が、あなたの文面から十分に伝わってきています。私からの回答がどれほどの助けになるかはわかりませんが、宜しくお願いいたします。
さて、私たちは競争社会の中で育っていますから、常に順位が付いたり、数値化されたりします。そこから「私は用無し」という意識も出てくるのだと思います。そしてそのような意識から、自分には取り柄がない、人より際立って得意な物事もない、と思ってしまうのだと思います。
でも、あなたの周りの人を見てください。みんなが、何か他人より際立って得意な物事を持っているでしょうか?そうではないと思います。それでも、多くの人は自分を否定的には見ないで生きています。どうしたら、前向きに生きることが出来るのでしょうか。
自己肯定感という言葉がありますが、自己肯定感が高い人とは、決して人より際立って得意な物事を持っている人ではありません。それでは自己肯定感とは何でしょうか。それは「自分で自分を認めてあげることが出来ること」だと思います。「今のあなたの状態を、そのまま認めてあげること、そのまま良しとしてあげること」が、自己肯定感に繋がるでしょう。
最後に、求人で「明るくコミュニケーション力のある方!向上心のある方!チームプレイが好きな方大歓迎!」という言葉が使われているのは、みんながみんな、そのような人ではない、からです。たとえば、外国人労働者向けの求人でない限り、「日本語がわかる方大歓迎!」なんていう文言は言わないでしょう。それは、私たちはみんな日本語がわかるからです。それでも、そのような文言があったとしたら、それは嫌みったらしい文言でしょうね。なので、「自分だけが…」と否定的に考えなくても良いと思います。
以上が私からの回答です。あなた自身、対話力がないって言っていますが、たとえばこのハスノハへの相談内容のまとめ方、とってもわかりやすく、対話力がないなんて思いませんよ。
今のままの自分を認めてあげれる日が来ることを願っております。
質問者からのお礼
ご返信が遅くなってしまい、申し訳ございません。
前向きに生きるためには、「自分自身を認めること」が一番大事だと言うこと。
本当は、ずっと前からわかっていました。
しかし、どうしても周りの人と自分を比べて、羨ましがり、ないものねだりをしてしまう自分がいたんです。
今すぐ自分を認めることは難しいですが、少しずつ自分の良いところを見つけて、自分を好きになっていこうと思います。
また、就活においても、今のところ1社ではありますが最終選考までたどり着くことができました。研究室の先生からは、「ふーん。まあいいんじゃない?」と興味の無さそうに言われましたが、面接では全力を尽くして頑張ろうと思います。
この度は、相談に乗っていただき誠にありがとうございました。