汚い言葉を向けられた衝撃、怒りを断ちたい
ツイッターで、とある大学教員に良かれと思って伝えた内容がよほど変なことに思われたらしく、「一ミリも興味がないのだけれど」「(侮辱するように)僕の考える〜〜〜を言われてもなぁ。あほくさい」と言われ、その後その教員は自身のフォロワーに向けて、私について、「クズ」「クソ」「あほやね」「XXを知らない人って結構いるのかも」と投稿していました。
しかしどうやら、相手が私の文章を誤解して受け止めていたようだったのでその旨を伝えたら、「ま、別にあったとしてもどうでもいい」と言われました。そして私が傷ついたとわかった後に、その教員は、「今大学はとても忙しいから、どうでもいいネタで、トラブルになるのは面倒」みたいな投稿(捨て台詞?)をして、私に向けたツイートを全て削除してしまいました。
その後、あったことをその教員の所属先の大学に報告したら、その方は私以外の方にも汚い言葉を向けていたのが判明したようで、学長から当該教員に注意をしたとのことでした。
...ということが10ヶ月前にあり、この出来事のショック、この教員の言葉をずっと引きずっています。
今でも相手の言葉とその時に抱いた感情(悲しみ、怒り、恐れ)が頭にこびり付いていて、物事への興味が喪失したり、動悸がするようになったり、集中できなくなったり、いろいろとつらいです。
私のメンタルが弱すぎるのかもしれませんが、なぜ、まだそのことを感情と共に思い出してしまうのかと考えると、そういった言葉を向けられたショックをいまだに断ち切れておらず、この出来事を客観的に処理できていないからだと思いました。
何の利害関係もない見ず知らずの人の言動に何故これほど傷ついたのか、自分でも不思議に思いますが(何をされても自身の価値は全く変わらないのにとも理解していたつもりなのですが)、どうしたらこのショックを断ちきり、悲しみ・怒り・恐れを忘れ(いま抱いている一番強い感情は怒りです)、この出来事から抜け出せるでしょうか。どうかよろしくお願い申し上げます。
嫌だった出来事は、ずっと心に残っている傾向があります。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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断ち切るのは自分自身しかありません。
高橋さんのご心痛お察し申し上げます。
良かれと思ったことでも、受け取り側の都合では、大いなる迷惑と言うことは多々あります。また、そのような意見を言われることに対してプライドが傷つけられたと思い込む人は、全面攻撃を仕掛けてきます。
今回は、そのようなパターンのようでしたね。とても嫌な思いをされてことにはご同情申し上げます。
さて、それから10ヶ月。今だこのトラウマのようなことが脳裏から離れないとなると苦しいですね。
たしかに同じくプライドを傷つけられたということになりましょう。どんなに悪口を言われようが、実は言った方は、それほど感じていないのも事実です。
1人で苦しみ悩んでいるのは、高橋さんご自身だけであり、すべての苦しみを引き起こしているのも自分自身であると、まずは認識してください。実は、最終的にはその教員ではなく自分であるのです。もちろんその教員も遠因としてはあるかもしれませんが、今頃は、そんなことは全く覚えていないでしょう。
唯一いつまでも根に持ち、苦しみ続けているの高橋さんだけなのです。
そして、一番よくない感情の怒りとなり、さらにその怒りの感情は自分自身に向けられているという悪循環になっています。
忘れましょうというのは簡単ですが、その怒りをどこかで発散させなければなりません。何故ならその怒りのエネルギーは自分の身体へのダメージに繋がるからです。
身体を動かし運動するなり、様々な発散方法はあるでしょうけど、切り替える必要はあります。
怒りの原因が分かれば楽になれるでしょう。一度向き合ってください。
質問者からのお礼
鈴木海祥様
ご多忙のなか御回答くださり、本当にありがとうございました。また、お返事が遅くなり誠に申し訳ございません。
まず、自分自身のプライドが傷つけられたとばかり考えていましたが、私がその教員のプライドを傷つけた可能性があるとは考えてもみませんでした。新たな視座を得られました。
また、御回答をいただいてから、怒りの原因を考えていました。
(1)善意を悪意で返されたと感じたから
(2)このような言葉を向けられなければならなかった理由が分からないから
(3)インターネットという不特定多数の人が閲覧する場で侮蔑されたから
(4)相手の言葉の隅々から、私自身の人格まで蔑ろにされたと感じられたから
(5)私が傷ついたと分かった(らしい)のに、相手は投稿を削除して何もなかったことにしようとしたから
(6)ネットだろうとリアルだろうと、私なら他者にこのような言葉遣いは絶対にしないのにという不満から
(7)(6)に関連して、「一ミリも興味がない」「あほくさい」「どうでもいい」「面倒」などが余計な一言にしか思えないから
(8)こちらが誤解を解くために言葉を紡いだのに、それを「どうでもいい」と一蹴されたから
(9)(8)の結果、誤解が一切解けずじまいになった消化不良感があるから
これらに共通しているのは、理不尽さかもしれないと思いました。あるいは、相手が私の期待した通りの言動をしてくれなかったという私の我がまま(?)から怒りが来ているのかもしれないと思いました。
コロナで外出することがほとんどなかったこともあり、1週間ほど前から朝に30分ほど散歩することにしていまして、このときは比較的穏やかな気持ちになれています。他にも切り替えられる方法を探っては積極的に試していこうと思います。
この度は御回答いただきまして、本当にありがとうございました。 高橋