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生きる意味とは

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有り難し有り難し 9

いつもこちらにはお世話になっています。もうすぐ亡き息子の一周忌が来ます。色々な手続きは、主人がやってくれており、私は、ただその報告を聞くだけです。自分から息子が亡くなり、行動をする事ができません。毎日毎日、ただ意味もなく生きているだけに感じます。主人も辛い、苦しい状況だと言う事もわかりますが、自分で一杯一杯で。毎日どんな時も息子の事ばかり。自分だけが辛いんでは無いと言い聞かせ、他には自分がもう生きたくない、死にたい、消えたい、自分の存在全てが無くなればいい。どうやって死ぬか、身内に死んだ姿は見せたくないから、何処か遠くで、とかずっと考えている事気づかれない様に日々生活しています。もう、疲れました。息子の一周忌が近づくたびに、気が狂いそうになります。何故、何故、どうして、どうして…。すいません。誰にも言えずいつもこちら気持ちを吐き出させて頂いて。私は周りに迷惑しか掛けていないなと、つくづく思います。聞いて頂きありがとうございます。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

生きる意味は与えられて

こんにちは。

まずは、あなたが深い悲しみの中にあることをお察しします。

もう少しすると、息子さんが亡くなられて1年が経つのですね。お寺さんを招かれて、一周忌をお勤めになるのでしょう。お辛い中にあって、ご主人が手配をしてくださっていることは助かりますね。

質問というよりもご自身の心境を吐露されたいというご様子です。短くではありますが私が思ったことを少し書きます。

あなたは表題で、生きる意味と題しています。
あまり問題を大きくしすぎると散漫になりますので、一周忌をどういう心持ちで迎えたらいいのかということを考えてみませんか。当面の近い予定までの生きる意味を明らかにするのです。

あなたの宗旨が分かりませんので、私の浄土真宗お方面からの言い方で申します。

今日はお彼岸に入って二日目です。
お彼岸とは彼の岸、極楽浄土のことです。
極楽へと先立たれた人、そして何より極楽へとお連れ下さった阿弥陀如来様のお心を思う一週間です。

阿弥陀様は全ての人を極楽へとお連れ行きたい。この阿弥陀を拠り所となさいとおっしゃいます。なぜそう言われるかと言うと、人間は自分を拠り所として仏様を拠り所としていないからです。

人間は自分が生きる意味を自分で自分の中に見出そうとします。ただ、それができるうちは、できる余裕のあるうちは良いのですが、ひとたび力を失い自分というものに絶望を感じた時、既定路線が不可能となります。

しかし、仏教徒には私に生きる道筋を生きる意味を与えてくださる仏様がおられます。あなたの生きる道筋は極楽へと続く道筋。あなたは極楽へとゆく命。仏様に願われた命。その命を頂いて亡き人のおられる極楽へと続く道を歩んでいくそのものが仏様と歩める一瞬、という生きる意味になっていくのです。

一周忌までの道のりは、先立たれた亡き人と歩む道、そして仏様と歩む道です。そのようなお気持ちで1日ずつをお過ごしになられ、一周忌当日をお迎えになってください。その後三回忌七回忌十三回忌も同様です。

どうぞお大事に。

追記
ご返信ありがとうございました。
息子さんの戒名の一字が、私の法名の一字と共通していたとのことです。
これもなにかの縁かもしれません。
お辛いでしょうが、ご参考になれば幸いです。
お大事になさって下さい。

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有り難し
おきもち

釋 悠水(しゃくゆうすい)
浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布...
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質問者からのお礼

釋様ありがとうございます。確かに題名と中身が全く違っておりました。こちらでしか自分の気持ちを出せなく、自分勝手な事ばかりを書いていました。貴方様のお名前を見た時、息子の戒名が一文字入っており、息子に言われた様な気持ちになりました。上手く言葉にできませんが、本当にありがとうございました。

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