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人間が嫌い

回答数回答 1
有り難し有り難し 18

私は生まれつき容姿に恵まれたのですが、母と姉に嫌われて育ちました。
孤独を紛らわすために本を読んでいました。30代になり過去のいじめっ子が連絡を取ってこようと私を探しています。
共通の友人が隠してくれているので、彼女たちに感謝とお礼の品を送りました。
いじめっ子は私の周りにいる男友達と結婚したいようです。いわゆる婚活です。
縁を切ったのに周りに迷惑をかけ私の容姿を憎んだくせに利用しようとする。
もちろん素晴らしい人もいるのでその人たちには継続して感謝を伝えています。でも時折、人の醜さに辛くなります。
そうではないことを知っていながらあまりに利用しようとする人が多く世を儚んでしまいます。いじめっ子は教師が気付き、退学処分にできると言ったときに、一度だけ許しますと許したことは悔いてません。
もう許す気はないのですが周りに迷惑をかけないでほしいと思っています。
知り合いには伝えて私の連絡先などを隠してもらっています。人生がこんなことばかりで辛いです。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

人間である私

ご相談拝読しました。ご家族に嫌われて育ったというのは大変お辛かったことでしょう。これまでのご苦労を想像すると切なく感じます。

さて、人の醜さに辛さを感じ、人間が嫌いであるとのご相談です。おっしゃることは悲しいかな分かる気がします。そのようなことを感じることは残念ながら多々あります。人間は一人では生きられませんから誰かと関わらなければなりませんが、誰かと関わるということはお互いの都合のぶつかり合いでもあります。

その時感じる人間の醜さ、そして他でもない自分もまたその人間であり、やはり共通する様なものを内に抱えているという自覚が、実はさらに大きな悲しみなのではないかと思います。誰かの姿に(隠している)自分の姿も重なって見えるということもあるかもしれません。

誰かを許すというのは大変に骨の折れる作業です。感情がついてくるか来ないかというどうにもならなさがあります。

限られた時間を何に使い、誰と過ごすかというのは大事な問題です。できることならば大切だと思える人と過ごしたいものです。

しかし、どうしても避けられない問題がある場合、逃げようとするよりもあえて立ち向かってみるのも一案です。けして過去を水に流す必要はありません。むしろこれからのあなた自身のために過去を避けるのでなくどうどうと正面から対峙してみるという方法もあるとは思います。その連絡してくる本人に直接言いたいことを言うということですね。

もちろんいじめのトラウマ等でそれが難しい場合もあると思いますので方法論はあなた次第です。

しかし人として生きる以上は他人からもそうですが自分からも逃げられないのは動かせない事実です。あなたが人の醜さから逃げるのでなく、それを課題として堂々と生きていけることを念じています。

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有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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質問者からのお礼

ありがとうございます、人間を嫌いながら自分も人間であることで苦しんでいました。いじめっ子ですが10年経ち縁が切れたと思っていたら10年の間、会ってもいないのにわたしに執着していたようで、連絡を取れば引っ掻き回されることが目に見えています。暴力も振るう人でした。周りの人を大事にしつつ、周りが負担になってしまわないように考えようと思います。ありがとうございます。

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