努力しない人にイライラ
職場の同じ部署の方にイライラします。
部署内では私とその方と主に二人でまわしています。
その方から意欲や向上心を感じられず、私ばかり負担になってる気がして毎日ストレスです。
例えば、
・分からないことを大して調べもせずすぐに聞く
・まぁいいか。で仕事を中途半端に完結させその後処理は私が行う
・複雑な案件に直面したら仕事をすぐ他人になげる
・疑問を解決しようとしない、聞こうともしない
など。当初は指摘をしていましたが正直もう諦めてます。
そのストレスで有給を取り2日ほど休みましたが、休み明けには、不在にしてた間におきた案件をどうしたらいいですか?と質問の嵐です。確認が必要ならまだしも調べれば解決できる内容です。
おもてに出して言うことではありませんが、私自身は、わからないことは勉強するし、疑問はそのままにしないし、まずは自分自身で考えて行動していると自負してます。
きっと私自身誰かに認められたいのかな、、相手と自分のペースが違うのかな、など自分に矢印を向けて考えることもありますが最終的にはイライラしてます。
相手を変えることは難しいと思います。
もちろん自分自身にもマイナス面はあり、相手の
全てが否であるとは思いませんが、私自身20代半ばで
考え方は未熟です。
この先自分がステップアップしていくためにも
相手ではなく自分自身の気持ちの持ち方、心構えなどの助言をしていただきたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
蓮は泥より出て、泥に染まらずです。泥にならないよう
部署内で二人がダントツとなり、それなりの仕事を共にされていることは、相談内容からするとストレスは溜まりますね。心中お察しいたします。
相手によりストレスが蓄積されていることは明確です。また、相手に「とらわれている執着」も確かです、
同じ仕事をしている上で、「平等ではない。」「同じ仕事内容なのに、給与は同じ。」「会社をよくしたいと思う気持ちからの向上心での異なり。」まだ色々あるかも知れません。
◇同じと思う心が「ストレス、心労」に繋がっていることと感じました。
このまま相手に「手伝いましょうか?」と、言われるように、相手の仕事までもこなしてしまう。
相手は「私の仕事をしてくれて、ありがとう」の中には、「なぜ?あの人はこんなに頑張るんだろう?」と「?」が少しずつ芽生えてくることです。
そこで初めて、相手からの本心が聞ける場面が訪れることもあります。
・私は家庭があり、子があり、与えられた仕事と給与に見合った内容をこなすことで十分だと思っている。
・性質がおだやかで、向上心という意味に何の刺激、夢もないと思っている。
・1〜10の仕事があれば、時間が経過し過ぎて、1や2の基礎段階のことを理解しておらず、今更聞くのが恥ずかしいと思っている。
・私たちの立場の仕事は、それ以上の仕事をしてしまうことで、上から評価をされ仕事を増やされることに義務感、幸福感を持てない。
このように少し述べましたが人の性質は十人十色ですよね。
向上心の違いに温度差が生じていることから原因があると思います。上司に嘆願され、部署の移動を願うことをされることを今は願います。
ストレスを有給まで利用して休まれる心身疲労はよくないものです。
時間が経てばすべて「こんなことあった」と思う程度に必ずなります。
「執着」
◇かたよらない心を
◇こだわらない心を
◇とらわれない心を
相手に執着しているようで、自身に実は執着があるということも理解した上で、人間が一人ひとりが持つ「忍辱(我慢)」のこれを機に広く広くしていく宿題をもっていきましょう。
少しずつ、良い変化が起こり、良い方向へと人生に花を咲かすには、「嵐や台風」などもあり、乗り越えたときには立派な人生に花を咲かせていくことができるようになっていくことです。
人生は「一切皆苦(四苦八苦)」です。
◇「蓮は泥の中より出て、泥に染まらず」
合掌
相手の状態(すべきことが出来ない状態)を認めてあげること
こんにちは。亀山純史と申します。
「相手ではなく自分自身の気持ちの持ち方、心構えなどの助言を」ということですので、その視点でお話をさせていただきます。
まず、努力をしない人と一緒に仕事をしてイライラしてしまうのは、当然のことでしょう。特にも、複数で仕事を分担している場合、周りとの協調性が大切になってきます。そのようなときに、ご相談で挙げられているようなことがあれば、イライラしてしまうのは、決して不思議なことではありません。
では、なぜイライラしてしまうのでしょうか。私たちは仕事を効率よくこなしていくためには、「こうあるべき」という考え方を持って行動します。しかし、相手が「こうあるべき」という考え通りに動いてくれない時、あなた自身が、その「こうあるべき」という「すべき」論に囚われてしまうと、それは苦痛に変わるのです。
それでは、その苦痛を和らげるためにはどうすればよいか。ここに「自分の気持ちの持ち方や心構え」がかかわってきます。私たちが常日頃考える「こうあるべき」という考えに沿って、すべての人が等しく動けるわけではありません。つまり、「すべき」論は、常に正常に働くとは限らないのです。人によっては、発達障害で相手の意に添うように行動することが苦手な人もいます。そのような人に対して、どんなに正論であっても、「すべき」論を振りかざしても意味がないばかりか、相手を傷つけてしまうかもしれません。
相手に対して相手の行動を注意することは、相手のために必要なことであっても、その一方で、相手の状態(すべきことが出来ない状態)を認めてあげることが、あなたにとって大切なことではないでしょうか。
以上が私からの回答です。自分自身の気持ちの持ち方、心構えとして、少しでもお役に立てればと思います。