ハスノハでのご回答に…
お忙しいところお話を聞いてくださってありがとうございます。
私は悩みごとができるとこちらのハスノハの問答を読みに参ります。
沢山のお坊さんがいろいろな視点から回答をしていて、たいへん参考になり、救われたりもします。
でも、中にはせっかくお坊さんが回答をくださっているのに、怒り出したり、つっけんどんな返信をする方もいますよね。
お坊さん方はきっと複雑な気持ちになるだろうと思うのですが、どのように気持ちを切り替えておられるのでしょう?
私も、頼られて親身になったのに「あなたは何もしてくれない、期待外れだった」と言われて腹が立ったことがあるので、お坊さん方の心の持ちようを教えていただきたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
2つのことをわきまえることで
こんにちは。
回答僧に寄り添ったご質問をありがとうございます。
回答側の心情を察していただけるそのお気持が有り難いです。
いつも見てくださっているのですね。
励みになります。
さて、「複雑な気持ち」を「どのように気持ちを切り替えて」いるのだろうか、というお尋ねです。私は、以下のことを考えています。
・限界をわきまえる
私は、限られた字数であるから回答が出来ないとは考えていません。
言葉、構成の仕方によっては十分可能だと思っています。
しかし、回答者側の意図する言葉や文意だけで問答は成立せず、質問者側の受け取りようがあって初めてこの場は成立しています。質問者側の背景説明、問題意識の持ち方、言葉のイメージの仕方などが大きく影響して、時には「怒り出したり、つっけんどんな返信をする」人もいます。
両者に多くの齟齬が生じるポイントがある、その限界を私はわきまえているつもりです。よって、その限界を自分の力でどうにかできる、と力を入れすぎないことが肝要かと思います。
・分をわきまえる
あくまで回答者側は質問者側にとって第三者です。
できることは限られているということをわきまえたいと思っています。第三者は、当事者でないために客観的に状況を指摘することが出来ます。しかし、逆に言えば当事者あるいはその親しい周辺ではないためにその悩みの現実に関与できることは限定されている、ということです。
お坊さんという存在に、大きな信頼を寄せている人もいるでしょう。
一方、どんな存在か分からない、あるいは某知恵袋と同じような感触で尋ねている人もいると思います。
つまり、回答僧の回答がどこまでその人に影響を及ぼせるか、はその質問者のスタンスにもよるということです。元々お坊さんにもっているイメージ、これは僧の側にはどうしようもありません。
よって、お坊さんだから救えるとか、必ず正解を導き出して解決できるなどととは思いません。分をわきまえて、できるところで回答すればいい。回答すること自体、少なくとも悩みを一緒に考えること自体に意味があると思っています。
あなたも過去に回答僧側と同じ立場に立った事があるようです。
結果的に寄り添えなかったという悔しさもあるでしょう。
しかし、それは上記のように、限界をわきまえ、分をわきまえることによって少し力を抜くことができると思います(字数制限)
返信
ライラックさま
基本的に返信には目を通すものの、どのような内容であるかより、再質問があるかどうかを気にしておりまして、その再質問に更に回答の必要性があるかどうかを判断するために見ているという感じでしょうか。。そして、追記して再回答する場合、再質問を促す場合、保留させて頂く場合とあります。
それ以外の内容については、良い返事の場合はホッとして安心し、悪い返事の場合は、なるほどそういう受け止め方もあるのかと、それも一つの勉強とさせて頂いております。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
お忙しいところ、早くにていねいなお返事をいただきありがとうございました。
釋 悠水さま
頼られたときに「自分は役に立てるはず」とどこかで驕ってしまっていたのかも、とハッとしました。
自分は、謙虚ぶっているけれどわきまえることがまだまだできていないのだと思います。
期待外れに思ってしまったのはきっとお互い様だったのですね。
川口 英俊さま
どんな返信があるか、良い返事か悪い返事か、ではなくて「そのままを見て自分に今できることだけをする」ということなのですね。
なかなかいつも実践するには難しいですが、心がけていきたいと思います。
おかげさまで気持ちの仕切り直しができました。
これからも問答を読みに参ります。
ありがとうございました。