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ハスノハでのご回答に…

回答数回答 2
有り難し有り難し 52

お忙しいところお話を聞いてくださってありがとうございます。
私は悩みごとができるとこちらのハスノハの問答を読みに参ります。
沢山のお坊さんがいろいろな視点から回答をしていて、たいへん参考になり、救われたりもします。
でも、中にはせっかくお坊さんが回答をくださっているのに、怒り出したり、つっけんどんな返信をする方もいますよね。
お坊さん方はきっと複雑な気持ちになるだろうと思うのですが、どのように気持ちを切り替えておられるのでしょう?
私も、頼られて親身になったのに「あなたは何もしてくれない、期待外れだった」と言われて腹が立ったことがあるので、お坊さん方の心の持ちようを教えていただきたいです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

2つのことをわきまえることで

こんにちは。

回答僧に寄り添ったご質問をありがとうございます。
回答側の心情を察していただけるそのお気持が有り難いです。

いつも見てくださっているのですね。
励みになります。

さて、「複雑な気持ち」を「どのように気持ちを切り替えて」いるのだろうか、というお尋ねです。私は、以下のことを考えています。

・限界をわきまえる

私は、限られた字数であるから回答が出来ないとは考えていません。
言葉、構成の仕方によっては十分可能だと思っています。

しかし、回答者側の意図する言葉や文意だけで問答は成立せず、質問者側の受け取りようがあって初めてこの場は成立しています。質問者側の背景説明、問題意識の持ち方、言葉のイメージの仕方などが大きく影響して、時には「怒り出したり、つっけんどんな返信をする」人もいます。

両者に多くの齟齬が生じるポイントがある、その限界を私はわきまえているつもりです。よって、その限界を自分の力でどうにかできる、と力を入れすぎないことが肝要かと思います。

・分をわきまえる

あくまで回答者側は質問者側にとって第三者です。
できることは限られているということをわきまえたいと思っています。第三者は、当事者でないために客観的に状況を指摘することが出来ます。しかし、逆に言えば当事者あるいはその親しい周辺ではないためにその悩みの現実に関与できることは限定されている、ということです。

お坊さんという存在に、大きな信頼を寄せている人もいるでしょう。
一方、どんな存在か分からない、あるいは某知恵袋と同じような感触で尋ねている人もいると思います。

つまり、回答僧の回答がどこまでその人に影響を及ぼせるか、はその質問者のスタンスにもよるということです。元々お坊さんにもっているイメージ、これは僧の側にはどうしようもありません。

よって、お坊さんだから救えるとか、必ず正解を導き出して解決できるなどととは思いません。分をわきまえて、できるところで回答すればいい。回答すること自体、少なくとも悩みを一緒に考えること自体に意味があると思っています。

あなたも過去に回答僧側と同じ立場に立った事があるようです。
結果的に寄り添えなかったという悔しさもあるでしょう。
しかし、それは上記のように、限界をわきまえ、分をわきまえることによって少し力を抜くことができると思います(字数制限)

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有り難し
おきもち

釋 悠水(しゃくゆうすい)
浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布...
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返信

ライラックさま

基本的に返信には目を通すものの、どのような内容であるかより、再質問があるかどうかを気にしておりまして、その再質問に更に回答の必要性があるかどうかを判断するために見ているという感じでしょうか。。そして、追記して再回答する場合、再質問を促す場合、保留させて頂く場合とあります。

それ以外の内容については、良い返事の場合はホッとして安心し、悪い返事の場合は、なるほどそういう受け止め方もあるのかと、それも一つの勉強とさせて頂いております。

川口英俊 合掌

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有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

お忙しいところ、早くにていねいなお返事をいただきありがとうございました。
 
釋 悠水さま

頼られたときに「自分は役に立てるはず」とどこかで驕ってしまっていたのかも、とハッとしました。
自分は、謙虚ぶっているけれどわきまえることがまだまだできていないのだと思います。
期待外れに思ってしまったのはきっとお互い様だったのですね。
 
川口 英俊さま

どんな返信があるか、良い返事か悪い返事か、ではなくて「そのままを見て自分に今できることだけをする」ということなのですね。
なかなかいつも実践するには難しいですが、心がけていきたいと思います。
 
おかげさまで気持ちの仕切り直しができました。
これからも問答を読みに参ります。
ありがとうございました。

「お坊さんのことを知りたい」問答一覧

他人がやってる寺を兼務で引き受けたくない

40代独身で、500件ほどの檀家がいる田舎の寺の住職をしております。 近所の住職死亡後、やり手のない寺を数件、兼務しており、合わせると500件ほどになります。 もともと別の自宅住まいでサラリーマンをしてましたが、途中親が病気にかかり、長男で跡取りだった私に、やってくれと親から頼まれて継いだのがきっかけで、仕事を辞めて継いだのですが、もともと私は他人とコミュニケーションを取るのが苦手なので、現在寺の檀家との関りが大変で、葬式が入る都度、寺の仕事が嫌でたまりません。 そのような状態で、精神科に通院しながら、精神安定薬と睡眠薬を処方してもらいながらなんとか寺の仕事をしてます。独身の姉にも協力してもらい、私が檀家の対応全般、姉は裏で火事全般しながらどうしてもの時だけ檀家の対応・・・みたいな感じでやってます。 近所に檀家100件にも満たない兼業住職がおり、結婚してますが子供に恵まれなかったようで、私はその寺のほうるいという立場になってます。 その寺の行事を手伝っているのは私だけで、ほかにもほうるい住職が数名いますが、書類の名前だけで、何かあっても一切かかわりたくないような状態になってます。 その住職が近々危なく、後もいない状態で、その住職の兄弟などの身内はいても、皆仕事をしており、寺なんかやりたくないと皆いっております。 今後その住職はなくなった際は、ほうるいの私がその寺を兼務として引き受けないといけないのでしょうか? 今現在500件ほどの檀家の対応を私と姉で行っており、相当きつく、これ以上ほかの住職がやってる寺の檀家のめんどうまで見れません。 正直な話、もう今なんとかやってる自分の寺の檀家の対応だけでも相当大変なので、これ以上ほかの寺の檀家まで兼務で押し付けられたくなく、関わり合いになりたくありません。 こういった場合、今後その住職がなくなった際、その寺の兼務を断ることは可能でしょうか? 本山に事情を説明し、頼めばだれか代わりの住職を派遣してもらい、後を継いでやってもらうことはできるのでしょうか?

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

お坊さんの勤務形態について教えて下さい

離婚問題で悩んでいる時、バツイチのお坊さんと知り合いました。最初彼から遊びの誘いがあり。失礼な人と断りました。今は友人として付き合っています。 友人関係が続いたのは、後日先日の行動が人として大変失礼な対応だった。反省していると、彼から謝罪があったからです。その際にも、ちゃんとしたお付き合いの話はありませんでした。 私は元夫から多種のDVをうけ男性不信になりました。いつか恋愛出来たらいいなと夢見ながら、男性が怖いです。結婚は絶対に無いです。 加えて彼は寺の跡取りで一緒に家庭を築き、寺に入り子供を産める人を探しています。私は子供を産むこともできません。だからあえてハッキリさせないようにしてました。 その後仲良くなるにつれ、プライベートを明かさなかった彼が以前より私にプライベートを見せるようになりました。気付けば毎日メールで連絡をし、月2~3回程度、昼夜時間を割いては健全に遊んでいます。トキメキはないけど気持ちは【凪】です。友達以上恋人未満の1番いい感じの時 自然と今以上仲良くなる予感があり、仲良くなりたそうな行動が見えたり、泊りがけで旅行に行くような話もチラホラ、ただ、お坊さんの勤務形態ってどうなんでしょう? 私は会社員で有給もあります。毎月月末に翌月の予定が未定。次のデートの約束は大抵決まりません。休みがまだ決まらない。分からないって、そんな事ありますか?もうずっとそんな状態で、深く付き合いたくないから、遠回しにそう言ってるのだと思うようになりました。 嫌なら嫌と言って欲しいのに旅行は行きたい、遊ぶのも仕事終わりなら全然大丈夫、凄いケチなのに自分から遊びにも誘って車も出してくれます。 どうゆうこと?と、モヤモヤしてますが、でも誰にも聞けず、彼もはっきり言わないので、やっぱり遊ばれているのでは?と思う反面、彼は嘘をつくのがべらぼうに下手で、私には嘘をついた事がない為、もしかして本当なのかも?と思いたい気持ちからこちらにお聞きしました。 休みが分かりにくいって業界的に本当ですか?何でですか?ちなみに彼は実家の住職をしながら、別のお寺に本業で務めています。本業の休みの日に実家で法事をしたりしています。 この関係がハッピーエンドにはならないと分かっていますが、一緒にいるだけで気持ちが穏やかになれる相手です。嘘ばかりの元夫の毒が抜けていく気がして魂が救われています。

有り難し有り難し 13
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尊重とはどこまでですか?

ハスノハのお坊さまのおかげで「他者を尊重することが大事」なのはよくわかったのですが、尊重とはどこまでするものでしょうか? モラルに欠けた発言なども尊重するべきなのかと考えたりします。そもそもモラルというのも曖昧だと思うのです。人によって違うと思うので。 「平和だからこそ戦争が必要だ」なんて言う人もいると思うのです。これは一般的には理解されないし尊重されないことだと思いますが、「他者を尊重することが大事」ならそれすらも認めることになるのかなと思います。 これが"尊重"なら、もし私が仮にいじめを受けたとしても「これ(いじめ)すらもその人の一部なのだな...」と思うのではないかと思います。 いじめや犯罪や浮気や不倫など、世界の"事"全てです。 社会のルールを基準にするのかな?とも思いましたが、それは"社会の思い込み"の可能性もあると思いますし、何よりそれは「他者を尊重できている」のでしょうか? 社会のルールという名の"正義"で個人個人を存外に扱っているのでは?と思います。 倫理も一緒です。全て人によって違うと思うのです。 例. Aさん「別に人をいじめてもいいでしょ?」← これも"Aさんの考え"で「Aさんの一部」なのかなと捉えてしまいます。この場合、Aさんは他者を尊重できていないと思います。ですが、それを注意すればAさんの価値観や考えを否定している(尊重できていない)ことになるのかなと思います。 そうなると無関心に見えると思いますし、この文章の通り「〜と思います」や「〜なのかな」などボヤっとしてハッキリしなくなると思います。 その結果、他人が「〜でしょ」や「〜です」と言うことに神経質になると思います。なぜなら、それがその人の思い込みの可能性があるからです。 でも、その人の思い込み = その人の意見なのでモヤモヤしても無理して尊重する。 尊重とはどこまでですか? 行き過ぎれば無関心に見えてきます。"相手とは違う自分の意見"を言えば否定されていると思われ、注意すれば「他者の意見を尊重できていない」ことになり、じゃあ何も言わないとなれば、無関心と見える。 お坊さまは尊重する際、何を"基準"に持ってらっしゃいますか? 乱文で申し訳ございません。

有り難し有り難し 4
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ