妻を亡くしてから前に進めず
何度も相談させて頂いています。
妻を亡くして1年2ケ月です。立ち直ろうと試みますが、なかなか私には難しく、妻を心配させないよう楽しく生きようと思っても、毎日、妻を想い苦しく、寂しいです。何かイベントがあるたびに、妻がいたら・・・って思い楽しめません。最近、心底笑ったこともなくなりました。心療内科に通院していますが、夜中に何度も起きたり、午前中は沈んでいたり。周囲は1年も過ぎ、まだ立ち直ってないのかと思っていると思います。世間の目も気になりだし、何とかしないとって思っても気持ちが前に進まずです。
長男に子供が産まれ、めでたい話でも心底喜んであげれないのです。抱っこすれば妻が楽しみにしてたことなんで、妻が抱っこしてる様子が目に浮かびます。
相手の親にも任せきりで、良く思われてないと思います。
いつまでも働かないわけにはいかないのですが、配偶者を無くした人も少なく、相談する相手もなかなかいなく、結局は塞ぎこんでしまいます。
何か気持ちを前に、妻に心配かけないよう生きていく術はありますでしょうか?
一番は死んでしまったら楽なのにって思いますが、まだ子育てしないといけなくて・・・
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愛する人を亡くした悲しみはいつまでも共に歩むべき事柄。
こんばんは。亀山純史と申します。
奥様を亡くされて、ようやく一周忌が過ぎたところです。まだまだ悲しみが癒されることはない時期です。ご存じのように、今年は東日本大震災から10年目の年で、先月は震災に関わる様々なテレビ番組がありました。その中に登場していた人たちの多くは、10年という歳月が経った今も、震災当時のことを話すと、涙が出てきていました。愛する人を亡くした悲しみは、立ち直るべき事柄ではなくて、いつまでも共に歩むべき事柄なのだと、私は思いました。
「悲しみと共に歩む」とはどのようなことでしょうか。あなたは、奥様の死を悲しまないほどに、楽しい気持ちになりたいわけではないはずです。10年経っても、悲しいときには涙を流していいのです。そのような故人への想いは、故人にとって嬉しいことではないでしょうか。しかし一方、ただ、「悲しい」「寂しい」だけでは、故人もあなたに対して、「悲しい」「寂しい」と思うことでしょう。
「日薬(ひぐすり)」または「日にち薬」と言う言葉があります。時間が薬として効く、と言うものです。10年経っても、思い出すたびに涙する人も、この日薬(日にち薬)で、日々の生活を精一杯生きていると思うのです。
人の死に伴う悲しみの緩和は、性急になるものではありませんし、あってはならないことだと思います。時間をかけることで、少しずつ癒されてくることが大切なのです。亡き人と共に、少しずつ。もしも、1年そこらで、亡き人への悲しみが消えてしまったならば、亡き人は、さぞかし悲しまれることでしょう。
以上が私からの回答です。少しでも悲しみのお役に立てればと思っています。
質問者からのお礼
ありがとうございました。はすのはで相談すると落ち着きます。今後もよろしくお願い致します。