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執着心どうしたらいいですか

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私には一年前にネットで出会い、仲良くなった男性がいます。その方とは一度だけ会い、身体の関係がありました。そこからは忙しくずっと会っていないのですが、また、お互いの住んでる場所がとても遠く、コロナもあり会えないのです。その代わりほぼ毎日メールで連絡は取っていました。ですが、彼からの連絡も少なくなり、彼の女性関係が分かると嫉妬が出てきて、嫌味を言ってしまうことがありました。
(例えば、私のことは特別だと言っていたのに他の人にもそう言う事をしている。
また会おうねて言ってくれたのに会おうとしない等。)
私達は付きあっているわけでもないのに(お互い既婚者の為)、彼を言葉で束縛しています。
ですが、一度身体の関係があったからか、私はずっと彼のことを忘れることができません。
最初は連絡取れるだけで十分だと思っていたのですが、連絡を取れば取るほど彼に対しての執着心が大きくなり、連絡が来ないことに対してイライラしたり、また会おうねて言ってくれたのになんで会えないのか?他の女性とは会っているのに、ひどい!等と同じ事を何度も何度も彼に言って困らせてしまいます。
距離も遠いしコロナの関係で会えないのは当たり前だと分かっているのに、必要以上に言ってしまいます。
私は会えると信じて頑張ってきたのに、ひどい。私の辛さわかってよ!等と永遠と言ってしまいます。
また、何かと彼の欠点を見つけては彼にだらだらと言ってしまいます。
彼と会ったのは一年前のできごと。
一度しかあったことのない人にここまで執着するのはおかしいし、私自身おかしくなりそうだったので、自分から彼の連絡先を消し、2ヶ月ほど連絡をしていませんでした。

しかし、先月、彼のことが気になりだし、また連絡をしてしまいました。
元気にしてるか聞いて終わるつもりでした。
一度時間を開けたから次はいい距離感で接することができるのでは…と思っていたのですが、やはりだめでした。
また前と同じことの繰り返しです。
また何度も同じことをだらだらと。
彼もそれが嫌になり、もうさよならしようといわれました。
そう言われた途端、彼をたくさん傷つけてしまったこと、彼の時間を嫌な気持ちにさせるために使ってしまったこと等と自分がしてきたことの酷さに気づきました。
たくさん謝りましたが返信はきません。
とても反省しています。
私はどうしたら良いのでしょうか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自己中心を省みる

こんにちは。

「執着」とは、自分の都合の良いものを貪る心です。
今、あなたはその自分の都合が通らないから煩悶している。

あなたは、その不倫相手に自分の都合を通そうとしていた(る)。
ご主人に対しても、現在進行形で自分の都合を押し通している。

つまり、自分のことしか考えていない。

そういう自己中心の心を、行動自体をおかしい、恥ずかしいと思う心を持つ。
自分がされたら嫌なことは人にもしない、と省みる。

まずはここからです。

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釋 悠水(しゃくゆうすい)
浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布...
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中道

ひろさま

執着の問題は、元来、実体の無いものを実体が有るかのようにして囚われてしまうところから生じるものとなります。

一切は縁起し空である。

縁(因縁)が調わなければ、それはそれとして仕方の無いものとなります。

もちろん、縁が調えば、望むモノ・コトも得られることはありますが、また縁が調わなくなれば、それは失うモノ・コトであることを理解することが大事なことになります。

努力してどうにかできることもあれば、どうにもならないこともあります。

どうにもならないことにいつまでも囚われてしまうことは更なる苦を生み出すことになります。

もはや縁が調わなくなっていることを受け入れて、それが現実、事実であり、諦めることが必要となります。

因縁に依りて成り立っているものは、その因縁に依って一時、仮的にただそのようにあり得て成り立っているものに過ぎず、また因縁次第で変わりゆくものでしかないということ(実体の無いもの、空であるもの)を理解することが、中の道となります。

龍樹大師「中論」・「観四諦品」(第二十四・第十八偈)『およそ、縁起しているもの、それを、われわれは空であること(空性)と説く。それは、相待の仮説(縁って想定されたもの)であり、それはすなわち、中道そのものである。』

まるであたかも、その人や想い、愛などを実体があるかのように囚われを起こしては、それはもはや苦しみにしかならないというところであります。

一切は縁起し空である。

是非、このことについて思慮して理解を深めて頂けましたら有り難いことでございます。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
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