人に迷惑をかけたくない
適応障害を患い、繰り返してしまっており、今回から3回目の休職となりました。1ヶ月程度です。職場の方は理解がある方が多く、一緒に暮らす両親も理解してくれています。
特に母に頼りきってしまっているところがあります。父にはなかなか相談出来ないのですべて母へ。
先日母としても思わず口に出てしまったというかんじで、「私に負担を感じることがある」と言われてしまいました。そのあと、「言うべきじゃなかった後悔してる、ごめんね」と言ってくれて、これからも変わらず頼ってほしいと言ってくれています。
私も負担をかけていたのはわかっていたけど、本人に直接言われてしまったことがあまりにもショックで、母のことばに頭では理解できても
心や身体が追いつかず、体調も悪いし(これはここ最近波があり続いている症状です)毎晩涙が出てしまいます。
家族にも職場にも負担や迷惑をかけずにいきたいのにできないのが辛いのです。
どう気持ちの整理をつけたらいいのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
障害は「生きる」ということについて、みんなに教えてくれている
こんばんは。亀山純史と申します。
まずはじめに、他のご相談に対しての回答でも紹介しました、ある雑誌のコラムの一部をお話します。その雑誌とは、社会をたのしくする障害者メディア『コトノネ』(発行 株式会社コトノネ生活)という雑誌です。そのvol.36(令和2年11月20日発行)のコラムに、妹さんが知的障害者である青年の話がありました。タイトルは「ぼくも障害者がよかった」です。
“「母は妹につきっきりで、ぼくはほったらかしになっていて・・・」と男性はためらわないで思い出を話してくれた。四歳のころ、母に訴えたという。「自分も障害者がよかったなって言ったらしいんです。・・・」”
同じ自分たちの子どもでも、親は病を患っている子ども、障害者を持った子どもに気持ちが注がれるものです。勿論、そこにはストレスは存在します。しかし、そのストレス以上に、愛おしさがあるのです。そして、障害や病に伏している子どもの介護は、周りの人たちに、「生きる」ということに対しての大きな影響を与えているのです。
同じ雑誌のvol.33(令和2年2月20日発行)には、岩手県一関市に住んでいる女性の記事があります。彼女は千葉一歩さんと言う方で、ヌーナン症候群と言われる、生まれつき様々な複合的な障害がある、日本では150人ほどの難病にかかっています。そのような彼女が、地元の「放課後子ども教室」の指導員として、迎え入れられます。その彼女のことを、その記事の中では、次のように紹介しています。
“ほとんど目を閉じたままの一歩先生。手をにぎられたり、顔をのぞきこまれたり、・・・一歩先生は、「してあげる」よりも、「してもらう」先生。”
そして、次のような一節も書かれています。
“一歩さんの、今日、このときは、誰かが見守り、手を貸さなければ消える。一歩さんのいのちは、誰かとともにある。きっと わたしも、あなたも、いのちは、誰かとともにある。”
障害は、「生きる」ということについて、みんなに教えてくれているのです。
以上が私からの回答です。どうかご両親を大切にし、そして、自分自身に誇りを持って生きてください。