心の平穏を保つ術をご教授願います
親が事業に失敗し、作った借金の返済が終わりました。
借金で将来の生活が不安で結婚もせず、齢を重ねてしまいました。
借金返済が終わり貯蓄ができ始め心に余裕ができるかと思えたものの、逆に寂しさや虚しさ、後悔ばかりつのってきます。
周りは借金返済とかを口実にして、逃げてきたおまえが進んだ結果だと言います。私もそうだろうと思います。プライドが高く、小心者の自分が招いた結果です。
ただ自業自得、因果応報だと思うと、どうにもやるせない気持ちになってしまい、今後生きる意味が見出せません。
空虚な心を埋め、今後心穏やかに生きる為にはどのような心構えが必要でしょうか?
お坊さんからの回答 1件
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「プライド」の氷を溶かしていきましょう
こんにちは。
親御さんの「借金の返済が終わりました」とのことです。
お疲れさまでした。
身内とは言え、心境も複雑だったでしょう。
そのご自身にとっての一大事が落ち着いた今、来し方を振り返り、また現在、将来に目を向けた時に「寂しさや虚しさ、後悔ばかり」が胸に押し寄せているのでしょう。それは、良くも悪くも心の余裕ができたからこそ悩めるようになった、悩まざるを得なくなったと言えるのかもしれません。
「周りは借金返済とかを口実にして、逃げてきたおまえが進んだ結果だ」と書いています。「逃げてきた」とは何を逃げてきたのでしょう。文面からのみの推測になりますが、「結婚」からでしょうか。その問題と向き合ってこなかったから「寂しさや虚しさ、後悔ばかり」と書いているのか、と一先ず想像しました。
しかし、これは推測に過ぎないので、あなたが自分で認めている「プライドが高く」というところについて述べ、「空虚な心を埋め、今後心穏やかに生きる」ヒントにしてもらえれば、と思います。
「プライドが高く」、ということは一概に否定すべきものではありません。
他者に負けないぐらいに自分の仕事をきちんと誇りを持ってする。責任感を持って全うする、より良いものを目指して切磋琢磨する。こういう原動力にもなりますから。
しかし、他方で自分で思う自己像を崩したくない、或いは崩されたくないという心のこわばりにもなります。そういう姿は、人から見てスキのない、心の触れ合う余地が感じられない固い人と見られがちになります。人と人とが安心してコミュニケーションできるのは、お互いに失敗談を笑い合ったり、感情を共有したり、相手のことを知りたいし自分のことも知ってほしいという関係にこそあります。
もしかして、あなたがご自身で「小心者」と呼んでいるのは、その守りたい自分、壊されたくない自分から脱却できないことを省みているからかもしれません。
ならば、上記の様なコミュニケーションをするように始めませんか。
飾らない自分、素の自分を少しづつ見せるようにするのです。
そういう変化を人は少しづつ認識します。
あなたが変わるから、人の目も変わるのです。
マイペースで、「プライド」の氷を溶かしていきましょう。
質問者からのお礼
御回答賜り有難うございました。
おっしゃる通り、周りが言うには、私は借金を言い訳にして、婚活や子育てから逃げてきたということです。
借金持ちであることが負い目で相手に知られたくないという気持ち(プライド)だけが先行していました。
そもそも根本的に自分に自信がない(将来の生活)ということと、自分のつくった借金ではないのにと言い訳をして、逃げて生きてしまった報いかなと。
また借金を返し終わったら終わったで、老後が心配で貯金ばかり。人や自分を信じられない偏狭な面白みのない自分に辟易です。
ご教示賜ったように、プライドの氷をとかし飾らない自分を目指してみます。