友達の自殺の受け入れ方
先日高校からの友人が自殺しました。
彼女とは一緒に暮らしたり辛い時は支え合ってきました。
去年の夏、彼女の大好きな彼が自殺し、彼女は大変落ち込み、見てられないくらいに毎日病んでいました。その時もずっと側にいたからなのか、私はもしも彼女が、彼の元に行きたい。死にたい。と言っても止めることはできないなと思うほどでした。
そして半年が過ぎ、彼女も新しい仕事も始め、3年後の目標も話してた矢先、誰にも知らせることなく彼と同じ死に方で亡くなりました。
私は今、よくわからない感情をしています。まだ現実味がないのか、受け入れたくないだけなのか、悲しいや辛いなどの感情が湧いてきません。私は彼女が彼を亡くした時みたいに病むこともなく、日々ボーッとぼんやりしているだけです。葬儀に行った時は大泣きしたのですが、それ以降は泣けてもいません。葬儀でちゃんとこの目で彼女の最後を見届けたのに、未だ現実味がありません。どこか遠くに引っ越したぐらいの感覚です。
お友達から私を心配する連絡がたくさんあるのですが、私はご飯も食べれてるし、きちんと寝れてもいます。
ですが、このよくわからない感情と共にボーッと日々しているだけです。
私は受け入れれてないだけなのでしょうか。それとも、すこし覚悟もできてたからなのか友達が亡くなっても悲しくない薄情な人間なのでしょうか。
友達が亡くなっても自分のことばかり考えてる、自分も好きではありません。
楽しいことがあれば笑うのですが、笑ってる時ふと私は友達が亡くなってるのにこんな笑っててイイのかな。。みたいな気持ちにもなります。
亡くなった彼女は辛いことや大変なことが多かった人生だなとずっと近くにいた私は思います。どうか向こうの世界では大好きな彼と笑って暮らしてくれてたらイイなと思います。
文章もめちゃくちゃで申し訳ありません。
お返事いただければと思います。
よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
心を泳がせといていい
むぅ 様 相談ありがとうございます。
まずは、お友達のご冥福をお祈り申し上げます。合掌礼
そして、親しい人、大切な人を喪うと、人は無感覚のような状況になったりします。人それぞれですが哀しみを感じている期間のひとつです。
喪の体験は、哀しみを中心に、混乱・否認・怒り・抑うつ・諦め、そして転換・再生へ向かうようです。順序通り感じるのではなく、行ったり来たりしますし、期間も人それぞれです。
なので、そんな自分を否定しないことです。葬儀の時のような大泣きもいいし、今、ぼーっとしててもいいのです。受け入れられてるか、そうでないかは、微妙な事なので、自分が受け入れられてるな、と感じる時がくるまでは、心を泳がせといていいのです。笑いたいときは笑っていいし、泣きたいときは泣いていいのです。
友達が、あの世で彼と笑って暮らしているといいなと願うなら、それを願って、友達に微笑みかけて、遺影か何かに語り掛ければいいのです。
やがて、底を打ち、友達の温かさ、優しさとともに、何か穏やかに包まれたような感覚のようなものが起こって、あなたのぼーっとした感覚から、癒しと生きる勇気のようなものが湧いてくると思います。それは必ず来ます。季節の変化や、人との活気のようなものも感じてくるでしょう。そんな感じでいいのです。
つまり、自分を否定せずに、優しさや、微笑み、温かさ、穏やかさのようなものを受け取るようにするのが、良いように思います。
難しければ、またご相談ください。
一礼