hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

コミュニケーションについて

回答数回答 2
有り難し有り難し 17

人と上手く話せるようにするにはどうすれば良いのか分からないです。
話したくない訳ではなく話したいけど言葉が出てこないし。
次から次へと話題が出てくる訳でもないし。
いざ話すと何を言ってるのか分からないぐらい言葉がぐちゃぐちゃになる。
職場ではほとんど誰とも話さないです。

会話が苦手な原因は何となく、学生時代はほぼほぼ虐められてきて、人とあまり会話して来なかったから。
なんであんなに会話が続くんだろうか分からないぐらいに。

一生あんな楽しい会話なんでできないんだろうなーって思ってます。
毎日笑ってる人とは違う。
笑ってる回数も少なく笑わない日もあるくらい。

辛くなりました。
どうすれば上手く人と話せますか?
誰にも言えない悩みです。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

いつも静かに笑っているだけでいい

こんばんは。亀山純史と申します。

最近、コミュニケーション能力という言葉をよく聞きますね。求人でも「コミュニケーション能力がある方」なんていう言葉を目にすることも多いと思います。学校教育でも、「コミュニケーション能力の育成」なんていうフレーズを目にすることも多々あります。そこで私が思うことですが、何か、この「コミュニケーション能力」という言葉だけが、勝手に独り歩きしている感じを受けています。一体、コミュニケーション能力って何なんでしょうか。おしゃべり=コミュニケーションでしょうか。声として発しないとコミュニケーションは成立しないのでしょうか。相手への意思伝達として、確かに声は重要です。それでも、声だけが全てではありません。一般に、非言語と呼ばれている、表情や身振りなどの身体のしぐさ等、言葉以外での意思伝達があります。そして、この非言語がコミュニケーション全体に占める割合は、90%以上だとも言われています。そうすれば、上手に言葉にすることが出来なくても、楽しく会話をすることは可能なように思えるのです。上手におしゃべりできなくても、十分にコミュニケーションを図ることは可能でしょう。私の故郷である岩手県が生んだ童話作家の宮沢賢治の「雨にも負けず」という詩があります。その詩の中で、「いつも静かに笑っている」というフレーズがあります。おしゃべりじゃないんですね。静かに笑っているだけなんです。そんな人に、宮沢賢治はなりたかったんです。いつも静かに笑っている、ただそれだけでいい、そんな意思の伝達の仕方もあるのです。焦らず、たくさんのお話を聞きましょう。そうすれば、おしゃべりの糸口や、おしゃべりの幅が出てくることと思っています。

以上が私からの回答です。少しでもお役に立てればと思っています。

{{count}}
有り難し
おきもち

hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧...
このお坊さんを応援する

人はいつも単純な事を複雑にし問題を遠ざけがち

世の中で話すのが上手な人は極々僅かかなとは思います

話すと言うのはお互いがあってのことです
「柿が食いたーい」と相手が言ったとして
「そういや近くのスーパーで良い柿が売ってたよ」とフォローしそこから無数のパターンがかんがえられますよね
この先を連想できる人が会話ができないわけがない事は明らかです
日々の訓練です

自分という殻に閉じこもらず
自分から声をかけて話を広げると言う地道な作業が大事なのかと思います

もう少し会話より広い意味でコミニケーションがあります
コミニケーションといっても会話だけではありません
人は口、目、顔、身振り、行動、呼吸、空気感

人は意識せずいろんなコミニケーションを同時にとっています

問題は何も意識をしていないと言うことです
自分は暗いと言うイメージを持ってその場にいるだけで場を暗くすることもできますし楽しいと思っているだけでなんだかその場はわくわくそわそわしてしまいます

さて、自分が人付き合いが苦手でコミニケーションが苦手な人であるとあなたは結論づけていますが果たしてそうでしょうか

例えば、あなたの人生があと60年あるとします
その長いスパンで考えたときあなたは一生人付き合いが苦手でコミニケーションが苦手でなのですか?
それでいいのでしょうか?

自分はこの程度の人間だ
そう思ってしまえばそれ以上考える必要がなくなります
これでは己の問題と向き合えなくなります
問題を解決する前に持ってるイメージが間違えています

あなたは自分と周りの人とともに社会的価値がある人間になりたいと言う欲求があるはずです
だからこそこうして悩んでおられるのだと思います

いじめられてきた問題と
今目の前の人と話できない問題
これらはそれぞれ違う因果関係の下
起きた問題です
よって問題の解決方法も全く違います
全て過去の悪い出来事を結びつけるのは
人間の悪い癖であって
全く論理的ではありませんからやめた方がよいですよ

それぞれあなたにとって出来るだけ早く片付けなくてはならない問題ですね

もういじめられてた事なんて忘れた〜って僕は繰り返し思い込むことで
ほとんど忘れてしまいました
解決できない事はもうどうでもいいのですよ?
人はいつも単純な事を複雑にし
問題を遠ざけがちですね

合掌

{{count}}
有り難し
おきもち

山形のそれは小さなお寺の住職です。 私は子供の頃いじめられ、社会からドロ...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

お礼が遅くなり申し訳ありません。とても参考になりました。
ありがとうございます。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ