死なせてしまった動物への供養
他のペット関係の相談も拝見したのですが、皆様飼い主としての責務を全うしていて私のような最低の人間とは違いましたので、お坊様お忙しいなか恐縮ですが質問させてください。
成鳥で譲り受けた文鳥さんをわずか11ヶ月で死なせてしまいました。
体調が悪そうだったので病院の予約をとったのですが、間に合わず亡くなりました。餓死です。以前お医者様にダイエットが必要だといわれ、餌の種類と量を3ヶ月ほど調整していました。その日の夜、いつもより餌の残りが少なかったのに気づいていたのですが、規定量をいれているのだから大丈夫だろうと思ってしまいました。
朝起こすとゲージの下でうずくまっていました。慌てて手で持ち上げ、餌を目の前にだすと、グッと力をこめて顔を近づけ、でも食べる力はなく、水も飲めず、そのまま手の中で亡くなってしまいました。餌箱は空っぽでした。
どれだけ辛かっただろう、苦しかっただろう、ひもじかっただろうと思うと自分が許せません。今思うと、体調が悪そうだったのも無理なダイエットのせいだったのかもしれません。
病院も予約がいっぱいだからと言われ遠慮してしまっていました。急患で診てもらえませんか、と言い出せなかった自分の気弱さをずっと恨んでいます。なにより餌を足さなかった自分が本当に許せません。なぜ罪のない子が苦しみながら死なねばならず、こんな最低な人間がまだ生きているのかと心底思います。
どうしてもっと手を尽くさなかったのかと後悔してもしきれません。私のしたこと全てが彼女にとって最悪な選択だったように思います。時間は戻らないという当たり前のことが本当に辛く、この世にたったひとつの大切な命を自分が潰したと自覚すればするほど身を割かれるような思いです。
せめてもの罪滅ぼしとして、エゴですが、動物保護施設のボランティアに参加していますが、それがあの子の為になるか分かりません。ペットロスカウンセラーの方とお話をしましたが、その日はすこし落ち着いても、翌日にはまた苦しんでいた文鳥さんの姿を思い出して謝っても謝りきれません。
骨壷の前に山盛りのご飯とお水を毎日お供えしていますが、それだけでは不安です。私の文鳥さんが安らかに眠れるよう、何かかけられる言葉やできる行い、供養はありますでしょうか。彼女は今は苦しみのないところで救われているのでしょうか。
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最近に同じようなことがありました
あさせさま
恐らく到底自然界では生きれなかったけれども、手厚くお世話してもらえて、その文鳥さんは幸せだったのではないだろうかと存じます。
実は、私も同じような経験を最近に致しました・・
普段、滅多に見ないイシガメの赤ちゃんを境内で見つけて飼い始めたのであります。
しかし、最初から食が細く、あまり食べずにて、おそらくは土から出てきたけれど弱っていたところを見つけたのだと思います・・
そして、冬・・家の中で飼っていたのですが、バスキングライトは点けていたものの、冬眠やヒーターなどの知識がなく、やがて、あまり食べない中、抵抗力が落ちたところに水カビ病にかかり、ビタミン剤やイソジンやと手当したものの甲斐なく亡くなってしまいました。
拾わずにそのままにしてあげた方が良かったのかもしれません・・
最期に見守る中、名前を呼び掛けると、ぐったりとしていたものの首を上げて口を大きく広げて挨拶してくれてから旅立ちました。
号泣しました。
きっと、あさせさまも最期に挨拶してくれたのだと思います。
こんなに良くしてくれてありがとうの挨拶だったと思いますよ。私もそう思っています。
自然界ではとても生きれなかったでしょう。
人の優しさに触れられて幸せだったのではないかと思います。
供養は、追善供養として、その通りにボランティアなどの善い行いで十分です。
代わりにたくさんの命に役立っていることをしているよと手を合わせて頂いたら追善供養として届くでしょう。
しかし、あまり無理は禁物ですよ。自分の幸せもその子にとっての供養と思って下さい。
川口英俊 合掌