ずるい人間しかいません。
なぜ純粋な人間がいないのでしょうか。
周りの皆気持ち悪く思えます。
誠実になろうと思って行動や態度を心がけてもずるい奴らが来ます。
なんというか人を好きになれません。
人は自分の心の鏡といいますけど、本当にそうなんでしょうか。
私は一生懸命に返事したり、向き合おうとしても踏みにじられてます。相手は深い会話をしようとしない、汚いことしか言わない人間ばっかで本当に疲れます。
この人なら信頼できるだろうと思ったら、態度や言葉で裏切られる。期待が高いのでしょうか。
だとしたら、もう友人も何もいらないように思えます。普通の人間関係築けないです。疲れました。
こうなったのはコロナも少し影響がある気がします。皆自分ばかりで余裕がないのか自己中な会話が増えた気がします。
特に常識なかったり、言い訳ばかりしたり、逃げたりするやつが大嫌いです。何か言われたら反省して飲み込んで成長しあうのが人間関係だと思ってました。
逃げたり、適当にその場をやり過ごす連中ばかりで疲れました。
このモヤモヤはどうしたらいいでしょうか。一体何が正解なのかよく分かりません。相手を信頼できません。期待をなくすにはどうしたらいいですか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
❝琴の糸の喩え❞・・・ご存じですか?
確かに・・・おっしゃる様に「ずるい人間」ばかりです。赤ちゃんの時は、みんな「正直で素直な」人間でしたのに・・・😢。
お釈迦様は、「人間って❝自分が一番大事❞と思っている存在なのだよ」とおっしゃっています。
そう、誰でも「自分が一番可愛い」と思って生きているのです。ですから、「自分を守る」ため、ずる賢くなっていくのです。あなたが〈周りの人間がずるい人ばかり〉と思うのは、それだけ、成長して大人になってきた、という証拠です。だからこそ、〈逃げたり、適当にその場をやり過ごす連中ばかりで疲れ〉てくるのです。
お釈迦様のお喩えに❝琴の糸はゆる過ぎると、いい音が出ないし、張り過ぎると切れてしまう。ほどほど(中道)が一番心が落ち着き、イライラせず生きていけるのだよ❞というのがあります。
今のあなたは「張り過ぎ」ているように感じます。あなたは「潔癖&真面目」な性格のようですね。素晴らしい「特質・特徴」ですが、返って「自分が苦しむ(モヤモヤする)」原因にもなっています。
難しいでしょうが、「人間って、所詮そんなもんだ」と「諦め―本来は明らめる・明らかにする、という意味ですが―」るのも、ストレスを溜めない方法です。
最後に、イライラしたりモヤモヤした時、一休さんのお名前にちなんで《気にしない 気にしない 一休み 一休み》と10回つぶやいてみて下さい。キット、少しは気が楽になってきます。合掌 南旡阿弥陀仏
あなたのおっしゃる通りです
拝読させて頂きました。
あなたがそのようにお考えになるお気持ちもとてもよくわかります。世の中を見渡してみると確かに自分達の欲望の為に平気でうそをついたり人のものを盗んだりひとや周りのものを傷つけたり、はては殺したりする者がいます。そのような本当に愚かな者や悪しき行いをする者達のことを見たり聞いたりすると本当に頭に来ますね。あなたのお気持ちを心よりお察しします。
そのような悪しき考えや悪しき言葉や悪しき行いは必ず誰かが見ています、しっかりと誰かが見ていますし、必ず悪しきことの痕跡も残っているのです。ですからどんなにごまかしても無かったことにしようとしてもうそをついても決して消えることはありません。
悪いことを思ったその時点から仏様や神様やご先祖様方がその者を全てご覧になり、自分のわがままや欲の為にうそをついたり偽ったり、自分のものにしようとして盗んだりしたらその言葉も行いもしっかりと仏様や神様やご先祖様方がご覧になっています。
また人を傷つけたり人や生き物を殺したりしたらその全てを仏様や神様やご先祖様方がご覧になっています。ですから決してその罪から逃げることはできません、例え証拠がないと偽ったとしても自分自身がしっかりと見ています、忘れたふりをしていたとしても心の奥底にその罪は重く残っていくのです。
時間を経れば経るほどその罪は大きく重く自分にのしかかってきます。そして悪業や罪の報いを受けることになるのです。ですから決してその報いから逃げることはできません。必ず様々な形や巡り合わせでその罪の報いはその本人に戻ってきます。
ですのでその罪を犯した者は永遠に心から安心することはできませんし、心から幸せになることはできません。それは必ずその報いを受けます、逃げることが決してできませんから心の中で不安や恐れや恐怖を抱きながら生きることになるからです。それは亡くなっても消えません。
ですからずるい生き方をしている人、つまり悪いことを考えて悪い言葉を使い悪い行いをし人のものを盗み自分だけ得することをする人は安心して生きることや幸せに生きることはできません。
もしも仏様や神様やご先祖様方に自らのことを心から告白し懺悔して心から反省して、誠心誠意己の罪を謝り二度とその様なあやまちを犯さぬ様に誓うならば仏様や神様やご先祖様方は受けとめてくれます。その罪やその者を受けとめてくれます。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
今もまだずるい人が多いなあと思いながら生きております……自分も自己中でずるくなれば幸せな気がします。
それから、人間目の前の幸せには気づかずに、いつも宙ぶらりんの人参ばかり追っていて可哀想だなと思います。すぐそばに手に取れるものがあるのに、一生手に入らないものの方が価値があるらしく、恋愛においてよくそれが見えて虚しくなります。
もう出会いを求めたくないと思ってしまいました。
「責任」より自分の欲に従うほうが楽で幸せなのかもしれませんね。もう、疲れました。