お祈りの仕方がわかりません。
私は、作家さんや声優さん、役者さんの訃報を聞いて、ご冥福をお祈りしますと手を合わせることがあります。 訃報を知ったとき、お祈りもしないなんて酷いのではないのかという観念のもと動いています。
お祈りをしている最中に「心が入ってないのではないか。」と考えてしまいます。ついお祈りをしている最中なのに他のことを考えてしまうこともあります。
「ご冥福をお祈りします」と心の中で言えた時、上手くお祈りができたとき、心はほっとしています。私は頭の中を制御できません。勝手に酷い言葉が浮かび上がることがあります。口に出さなければ相手に伝わらないので普段は声に出さないように努力していますが、お祈りとなると心の声も全て聞こえてるのではないかと不安になります。
お祈りをしているはずなのに、私の心の声が届かないで欲しいと思ってしまいます。私がお祈りしていることを知らないでほしい、私の存在なんて知らないでほしいと思います。
これから、身近な人の死が訪れたとき、こんな恥ずかしい気持ちを抱えながら、上手くできるか不安になりながらお祈りをするのかと思うと嫌になります。
自分のことじゃなくて、相手を思いやったお祈りができるようになりたいです。また1度失敗してしまったお祈りをした方に、今度は誠実にお祈りしたいです。失敗したお祈りは、どうか誰にも届かず消えてほしいと思います。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
心に負荷を掛ける必要がない悼み方
こんにちは。
「誠実にお祈りしたい」という一言にあなたの真面目なお心が伝わってきます。
さまざまな方の「訃報を聞いて」、心から悼みたいというあなたの気持ちはとても大切なものです。これからもそのお心はどうぞ大切にしてください。
私は浄土真宗の方面から回答します。
こう書いているのは、各仏教宗派によっての悼み方は違うからです。
浄土真宗では、亡き人を悼む心はもちろん大切にします。
しかし、その際「お祈り」をするのではなく、お念仏をするといいます。浄土真宗では、亡き人は阿弥陀如来さまに抱かれて極楽へと往かれた、そのことを偲びつつお念仏するのです。
この場合の、お念仏は直接には阿弥陀如来様への感謝です。
先立つ人もあり、後から往く人もある。
そして、この自分自身も阿弥陀様のお陰で同じ世界に往かせていただく。
先だった人と出会える世界に。
この極楽世界をご用意くださった阿弥陀様へ感謝する。
その前提で、お念仏するのです。
この際、自分の心がどのような状態であっても問題ではありません。
阿弥陀様は、むしろ人間があらぬ方向に心を転がしてくことを既にご存知であり、その知りぬいた上でお念仏を私達にお与えくださったからです。
この観点から考えると、お念仏では自分の心のコントロールが問題にはなりません。
あなたは「ついお祈りをしている最中なのに他のことを考えてしまう」「頭の中を制御できません」「心の声も全て聞こえてるのではないかと不安」と心配していますね。お念仏では、全く問題になりません。
自分の心をコントロールし、一回一回の出来不出来が負担になる人にとって祈りは逆に負担となってしまうこともあるでしょう。でも、自分の心に負荷を掛ける必要がない悼み方があるのですよ。それがお念仏です。
ご縁があったら、お念仏に触れてください。
本願寺公式動画配信サイト
https://broadcast.hongwanji.or.jp/
追記
ご返信ありがとうございます
お役に立てれば嬉しいです。
また相談ありましたら、お寄せください。
そんなあなたを見守っています
拝読させて頂きました。
あなたのお気持ちよくわかります。あなたがお亡くなりになられた方々を心を込めてお祈りなさるのはとても尊いことです。あなたのその尊い思いは必ずお亡くなりになられた方々に届いていることでしょう。
あなたがもしも途中で別のことを考えてしまっても或いはひどいことが浮かんできても大丈夫です。あなたがその方を大切に供養したいという思いは必ず届きますからね。どうか安心なさって下さいね。
私達はいつもいつも一瞬一瞬様々なことが頭の中をよぎり消えていくものなのです。そんな私達であることを仏様もよくよくご存知ですし、お亡くなりになられた方々も知っているのです、ですからそんな私達を全て受け止め受け入れて下さいます。
これからもどうかあなたのその真心をご供養なさろうとするお気持ちを大切になさって下さいね。
仏様もお亡くなりになられた方々もあなたのご先祖様方もそのようなあなたのことを大切に思いいつも優しく見守っていて下さいますからね。
質問者からのお礼
お坊さんの有難き回答が心に染みました。暖かくて優しくて、そして真摯なお言葉に今、私の気持ちは凪いでいます。どうもありがとうございました。
自分を責めたり恥ずかしがるだけではなく、私の真心もちゃんと大切にしようと思います。またお念仏も触れてみようと思います。
この度は、私のこのような相談に真摯に向き合ってくれてありがとうございました。お坊さんがくれたこの優しい気持ちも、大切にしていきたいと思います。