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お祈りの仕方がわかりません。

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有り難し有り難し 12

私は、作家さんや声優さん、役者さんの訃報を聞いて、ご冥福をお祈りしますと手を合わせることがあります。 訃報を知ったとき、お祈りもしないなんて酷いのではないのかという観念のもと動いています。
お祈りをしている最中に「心が入ってないのではないか。」と考えてしまいます。ついお祈りをしている最中なのに他のことを考えてしまうこともあります。
「ご冥福をお祈りします」と心の中で言えた時、上手くお祈りができたとき、心はほっとしています。私は頭の中を制御できません。勝手に酷い言葉が浮かび上がることがあります。口に出さなければ相手に伝わらないので普段は声に出さないように努力していますが、お祈りとなると心の声も全て聞こえてるのではないかと不安になります。
お祈りをしているはずなのに、私の心の声が届かないで欲しいと思ってしまいます。私がお祈りしていることを知らないでほしい、私の存在なんて知らないでほしいと思います。
これから、身近な人の死が訪れたとき、こんな恥ずかしい気持ちを抱えながら、上手くできるか不安になりながらお祈りをするのかと思うと嫌になります。
自分のことじゃなくて、相手を思いやったお祈りができるようになりたいです。また1度失敗してしまったお祈りをした方に、今度は誠実にお祈りしたいです。失敗したお祈りは、どうか誰にも届かず消えてほしいと思います。

2021年5月1日 7:46

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

心に負荷を掛ける必要がない悼み方

こんにちは。

「誠実にお祈りしたい」という一言にあなたの真面目なお心が伝わってきます。
さまざまな方の「訃報を聞いて」、心から悼みたいというあなたの気持ちはとても大切なものです。これからもそのお心はどうぞ大切にしてください。

私は浄土真宗の方面から回答します。
こう書いているのは、各仏教宗派によっての悼み方は違うからです。

浄土真宗では、亡き人を悼む心はもちろん大切にします。
しかし、その際「お祈り」をするのではなく、お念仏をするといいます。浄土真宗では、亡き人は阿弥陀如来さまに抱かれて極楽へと往かれた、そのことを偲びつつお念仏するのです。

この場合の、お念仏は直接には阿弥陀如来様への感謝です。
先立つ人もあり、後から往く人もある。
そして、この自分自身も阿弥陀様のお陰で同じ世界に往かせていただく。
先だった人と出会える世界に。

この極楽世界をご用意くださった阿弥陀様へ感謝する。
その前提で、お念仏するのです。

この際、自分の心がどのような状態であっても問題ではありません。
阿弥陀様は、むしろ人間があらぬ方向に心を転がしてくことを既にご存知であり、その知りぬいた上でお念仏を私達にお与えくださったからです。

この観点から考えると、お念仏では自分の心のコントロールが問題にはなりません。

あなたは「ついお祈りをしている最中なのに他のことを考えてしまう」「頭の中を制御できません」「心の声も全て聞こえてるのではないかと不安」と心配していますね。お念仏では、全く問題になりません。

自分の心をコントロールし、一回一回の出来不出来が負担になる人にとって祈りは逆に負担となってしまうこともあるでしょう。でも、自分の心に負荷を掛ける必要がない悼み方があるのですよ。それがお念仏です。

ご縁があったら、お念仏に触れてください。

本願寺公式動画配信サイト
https://broadcast.hongwanji.or.jp/

追記
ご返信ありがとうございます
お役に立てれば嬉しいです。
また相談ありましたら、お寄せください。

2021年5月1日 8:20
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有り難し
おきもち

釋 悠水(しゃくゆうすい)
浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布...
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そんなあなたを見守っています

拝読させて頂きました。
あなたのお気持ちよくわかります。あなたがお亡くなりになられた方々を心を込めてお祈りなさるのはとても尊いことです。あなたのその尊い思いは必ずお亡くなりになられた方々に届いていることでしょう。
あなたがもしも途中で別のことを考えてしまっても或いはひどいことが浮かんできても大丈夫です。あなたがその方を大切に供養したいという思いは必ず届きますからね。どうか安心なさって下さいね。
私達はいつもいつも一瞬一瞬様々なことが頭の中をよぎり消えていくものなのです。そんな私達であることを仏様もよくよくご存知ですし、お亡くなりになられた方々も知っているのです、ですからそんな私達を全て受け止め受け入れて下さいます。
これからもどうかあなたのその真心をご供養なさろうとするお気持ちを大切になさって下さいね。
仏様もお亡くなりになられた方々もあなたのご先祖様方もそのようなあなたのことを大切に思いいつも優しく見守っていて下さいますからね。

2021年5月1日 23:49
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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

お坊さんの有難き回答が心に染みました。暖かくて優しくて、そして真摯なお言葉に今、私の気持ちは凪いでいます。どうもありがとうございました。
自分を責めたり恥ずかしがるだけではなく、私の真心もちゃんと大切にしようと思います。またお念仏も触れてみようと思います。
この度は、私のこのような相談に真摯に向き合ってくれてありがとうございました。お坊さんがくれたこの優しい気持ちも、大切にしていきたいと思います。

「供養の仕方」問答一覧

どのようにご供養したらよいのでしょうか…

精神科の看護師をしています。 ずっと心に引っかかっていること、そう思いたくないですがそれが原因…?かとも思えてしまっているできごとも現在起きていて、でも身近でこのようなことを相談できる専門の方がいないので、悩んでいます。こちらのサイトをみつけ、相談してみようと決意しました。 担当していた患者さんが、治療を始めた矢先に亡くなってしまいました。(原因は医学的に説明できるもの) その患者さんが治療を選択したり、治療を受けられる手配を整えるのを、担当である私は看護師としてできることはしようとその時は全力であったのは、誓ってうそではありません。 ただ、亡くなったあとで、専門的な部分にもなってしまうのですが、私の行った言葉がけや行動でその治療に患者さんが望んだならば、結果的にこの患者さんの寿命を私が短くしてしまったのだと思えます。もっとしっかり日頃から勉強する姿勢を持ち、知識を持ち、情報を集められていたならば、別の選択肢を選ばせてあげられたのではないか、それをできてこその看護師だと思います。精神科であるならばなおさら、なのです。 だから、その患者さんは、そのようなことを思う方だとは思っていない反面、私のことを責めていてもおかしくないと思います。 そしてさらに私は、この仕事をしているにも関わらずご遺体を目の前にするのにはいつも怖さみたいなものがあり、上記の経緯もあり、この患者さんへ最後にあいさつができたであろう霊安室にも、足を運ばなかったのです。最後にごめんなさいと、ちゃんと伝えず、お見送りも避けたのです。 後悔しています。 この患者さんへ、今できるご供養があるならば、どのようにさせてもらえればよいのでしょうか。お墓参りやご自宅に行くことは、難しいです。 教えていただければありがたいです。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 12
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先祖供養について

お世話になっております。 種々の僧侶様が、先祖供養の重要性を説いていらっしゃいます。 「布施」の概念だったり、施餓鬼における「回向」の概念だったり、先祖による「守護」の概念だったり、「滅罪生善」の概念だったり…。 素晴らしいと思います。 祈願が叶わないときには、まずは回向をと言われる方もいらっしゃいます。 それほどまでに供養・回向というものは仏教にとって重要な概念かと思います。 私自身もお寺に供養をお願いしたり、施餓鬼を申し込んだりしております。 ですがその際、少し疑問が生じるのです。 ①「●●家先祖代々の霊位」だけで仏さまに通じるのか?同姓同名がたくさんいるなかで、どこの「●●家」なのか特定する必要はないのか?というものです。 ここには、一応「自身の思いがあれば特定はそれでよい。仏さまはわかってくれる。」と解釈していますが、それでよいのでしょうか。 ②もう1点、上記①がそれでよいとすると、専ら供養の本質は「供養したい」という施主の主観によるものになると思いますが、そうすると、世間を騒がせている霊感商法まがいの「壺を買って先祖供養」などのものも、施主が「供養したい」という思いから出ているため、実際に功徳は生じ、回向されるものなのでしょうか? (もちろん、この結論とは別に、社会悪として霊感商法は駆逐されるべきですが。) 法外な値段をとるかどうか、供養の動機付けが恐怖心に漬け込むものなのかどうかは別として、霊感商法もお寺での供養も「施主の思いをかたちにする」という意味では変わりはないのではないかとも考えてしまいます。 これに関しては、お寺では「如法」という確立した方法論があるという結論になるのでしょうか。 決して先祖供養を否定するつもりはないのですが、どうもそのところが腑に落ちません。

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どう供養するのが良いのか教えてください

岡山県に住む50代女です。男の子3人の母です。 子どもたちは皆独立、現在は夫と2人暮らしです。 わたしの母の実家(広島)のおじ(母の兄)夫婦のところに子どもがなく、祖父母が亡くなった後、夫とわたしとで、養子に入りました。 兄おじ夫婦と棟続きに住んでいる弟おじ夫婦のところにも子どもがなかったからです。 9年前に弟おじが、7年前に兄おじが亡くなり、残ったおば2人はあまり折り合いがよくありませんで、両家の間には長い歴史の中いろいろなことがありました。 3週間ほど前に養母である兄おじの奥さんである姉おばが、自宅階段の手すりで腰紐を使い首をつり自死しました。発見した妹おばはいまだにその場面がフラッシュバックして眠れないと言いますし、わたしも姉おばの支えになれなかったことが残念で気持ちの整理ができません。 養母である姉おばは3月に転倒し左肩を骨折・手術し、その後肺水腫、さらに心臓にペースメーカーを入れるなど次々と不調が続き、薬の副作用などで先行きが不安になったと思われます。骨折までは1日に一万歩歩くような元気なおばで有名でしたから、どんどん体が衰えていく自分のギャップは苦しかったことと思います。 養子とはいえ隣の県に住んでいたので、おばもわたしが病院に付き添いで広島まで行ったりすることを申し訳ながっており、そばにいる弟おじの奥さん(妹おば)にも、弟おじが膵臓がんで闘病中などでも手を貸すことがなかったからか、助けを求めることはほぼありませんでした。 だから、わたしたちに助けを求めることなく何の遺書もなく、自ら命を絶ったのでしょうか。 やるせない気持ちでいっぱいです。 お尋ねは ・亡くなった時に来ていたパジャマなど(警察から返してもらった)をわたしも、そして妹おばにも見せたくなくて、ゴミで捨ててしまったことがとても気になっています。どうすればよかったのでしょうか。 ・自死した階段に何かすることはありますか。 ・遺品はどう処分したらいいのでしょうか。 ・警察から返された結婚指輪などお骨と一緒にお墓に入れてあげたらよいでしょうか。 姉おばがちゃんと成仏できるように、わたしができる限りのことはしたいと,四十九日までは七日毎の法要を営むことにしておりますが、他にちゃんとしてあげられることがありましたら教えていただきたいと思います。 どうぞよろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 5
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ご供養の仕方について。

ご供養の仕方について質問です。 私はとある新興宗教に以前入っておりました。 今は経済的に厳しいことや、菩提寺のお坊さんの助言もあり、脱退しましたが、過去帳というものを作ったので日めくりにして、毎日般若心経を読んで、お線香をあげています。今年は月命日という習慣があるんだと知り、月命日にはお墓参りをしようと目標をたてたのですが、母が倒れたショックと、家を売却した環境の変化に耐えきれず入院してしまい、お彼岸にも行けなかったので、先月やっと退院してお墓参りできました。以前はお墓が歩いていける距離でしたが自転車で2時間以上かかるので休みにしか行けなくなってしまったので彼岸とお盆と新年には行こうと思いますが、命日や月命日は行けたら行くので良いんでしょうか。それとはまた別なんですが、うちの仏壇は造花が飾られていてまえから気になってはいたのですが、やっぱり生花のほうが良いのではないかと。言っても、生花はお金がかかるからダメだと親がいうので。 仏教を通して、座禅や写経や読経やお地蔵様のお掃除など作務を行ってきましたが、遠くなってしまっては。よく分からない文章になってしまいましたが、宗教嫌いな人は沢山いるけど、私は仏教が大好きです。仏様が墓参りしろと言ったんじゃないことは知ってますが、お墓参りというのはしたほうが良いと私は思ってますが、宗教はいけないことなんでしょうか。

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位牌も遺影もない祖父母の供養

お忙しいところ、失礼いたします。 祖父母の供養方法について心にモヤがあり、相談をさせてください。 当方、結婚を機に実家とは離れた県で暮らしております。 実家で一人暮らしをしている父は片付けができず、家は現在、ゴミ屋敷のようになっています。 恥ずかしながら、祖父母の位牌があるお仏壇も埃を被っており、帰省の際には私が掃除をいたしますが、日頃からお茶やお水、ごはんやお線香などがあげられているわけではありません。 また、私が今パートナーと暮らしているのは賃貸で、お部屋には神棚もお仏壇もございません。 祖父母、特に祖母はお茶がとても好きなひとでしたため、せめてお茶だけでも、と思い、 毎朝窓辺に淹れたてのお茶をお供えし、手を合わせております。 ただ、心の中には 「祖父母が案じるとすればおそらく父のことであるし、 実家の方のお仏壇を綺麗にして、そこに毎日お供えをしなくては意味がないのではないか」 という思いがございます。 頻繁に実家に帰ることも難しいのですが、やはり縁もゆかりもないような場所で、 位牌も遺影も置いていない窓辺に何かをお供えし手を合わせる、という行為だけでは、 故人には届かないものでしょうか? 遠方に暮らしている時の、日々の供養の方法について、何かよりよい方法がございましたら、お教えいただきたく存じます。 なにとぞよろしくお願いいたします。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ