自業自得では?「助けてくれない」と泣く母
先日、母が「困ってそうだなってわかるならどうしたのって1言声かけてくれたらいいんじゃない?」と言って泣きました。
母は特殊な環境で育ち、私達子どもの目から見てもかわいそうな身の上ではありました。
母は子ども最優先の幸せな家庭を本人なりに描いて実行してきたつもりだったのですが、母には〜すべきという思考グセといつも誰かに・何かに責めを受けているような被害的な気持ちをいつも持っている人でした。
結果、束縛・八つ当たり・見下し・良くない態度・押し付け・時には直接的な暴力や嫌がらせが家庭内で発生し、父や私達を困らせ、さらには敵視するようなことにもなっていきました。
そんな環境で育った私達もやはりそれぞれに歪みを持って育ちましたが、社会との関わり・人との出会い・己を見つめ直し努力し、今日まで生きてきました。
そうやって生きてきた私から見れば、今回の母の叫びを私は白けた気持ちで見ることしかできないのです。
母は被害的でありそこに対して己と向き合うことはせずいつも他のせいにして生きてきました。
今まで己の中のもやもやを八つ当たりをすることで終わらせてきましたし、忠告をしても困るとからとお願いしても「私が悪いんでしょ!」とヒステリックに拒絶してきており、「誰も助けてくれない」という今の状況は単に今まで自分がしてきた事の結果ではないかと思うのです。
歩み寄っては傷つけられるばかりでバカらしくなっているのも事実です。
私は冷たい人かもしれませんし、母は愚かだと思います。
人にはそれぞれできることできないこと、得手不得手があり、同じようには生きられないこともよくわかってはいるつもりですし、どう願っても関わっても変えられないものもあることもわかっていますし、立場や価値観が見方が違えば生き方も感じ方もすべて違ってくることもわかります。
しかしこれが子にとっての親というものなのかこのまま母が苦しい中生き続けて行ってほしくはないとも思うのです。
私としては最善をつくしできることはやり切ったと思っており後は本人次第と思っておりますが、母の今後の幸せを願うこの気持ちは何でしょう?
またこの件で私にできることは母への働きかけでしょうか?
それとも己の心の成長でしょうか?
長文お読みいただきありがとうございます。
よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
お母さんのことよりも、あなたを自信を大事に。
お母さんの行動や考え方に突き放すような気持ちと同時に、助けてあげたいという心もあるのですね。母の幸せを願うこの気持ちはなにか?そして、この件で母に何かできるのかと考えているのですね。
こういう問題には一定の答えはないと思うんです。色々な答えがあって、自分が真剣に考えて選んでいく事が、あなたの生き方になるような気がします。多分どちらを選んでも、ちょっとずつ後悔すると思います。どちらを選んでも良かったと思う事もあると思うんです。
あなたの「母の幸せを願う気持ち」の正体も私には分かりません。
ただ、その時にちょっと気をつけた方が良いのではないかと思うのが「これが子にとっての親というものなのか」という部分。子はこうあるべきとか、家族はこうあるべきという社会が要請してくる家族像・常識・慣習みたいなものにとらわれて、それが自分の思いという風に考えてしまうことがあるんじゃないでしょうか?これじゃ親不孝かなとか。他者のことは思い通りにならないし、しなくて良いんです。思い通りにならない事を思い通りにしようとして、私達は苦しみます。世間の常識にとらわれないで下さい。
あなたはこれまで、お母さんに十分に歩み寄ってきた。桃華さんも辛いことがあったのに、それを乗り越えて母のために向き合おうとしてきたのでしょう。しかし、それなのに、母は変わろうとしない。コミュニケーションにおいては、向き合う意志のない相手に対しては向き合わないという態度で臨むことが大事な事じゃないかと私は思います。
例えば、いくら家族でも、暴力を振ったり、搾取する者に申し訳ないと思ったり向き合う必要はない。私は暴力やモラハラを夫からされた女性が、旦那さんに申し訳ないと思う例を沢山見てきました。その場合本当は別れるのが良いのに、判断できなくなっている。お母さんにこれ以上歩み寄る必要はないんではないかと思います。ただ、もし彼女自身が変わりたいとか歩み寄ってきたときには、応えるつもりでいたら良いのではないでしょうか。私は、距離を取っていいと思います。
NHKで丁度、少し似た話をしていました↓NHK+で観れます
https://www.nhk.jp/p/gendai/ts/WV5PLY8R43/episode/te/9W1M38MNMK/
アルテイシアさんの記事 https://wotopi.jp/archives/112293
皆様がお互いを尊重し合うこと
拝読させて頂きました。
あなたのお気持ちを心よりお察しします。
親子関係ですからかえって感情的になってしまうと思います、ましてや今までいろんなことがあったでしょう。怒りや憎しみやうらみの気持ち、何でわかってくれないのか?という疑問や迷いの気持ちもあなたもお母様も皆さんあったと思います。それはやむを得ないかと思います。その様な中でお母様も成長してそうなってしまったのですし、あなたもそうなってしまったのです。
そして感情的に相容れずにぶつかりあってしまうことにもなります。それはとても悲しいことですよね。
本当にその様な喧嘩になってしまい皆様が傷つき苦しむのであれば、或いはその様にならずにお互いを尊重し合い分かち合うためには、それぞれが怒りや憎しみやうらみやねたみや嫉妬等の悪しき感情を捨てることです。その様な悪意を全て水に流してお互いのことを尊重し合い思いやり合うことです。どちらか一方では必ず甘えが出てどちらかが苦しむことになります。
あなたもお母様も生まれてから成長するのにいろんなことがあったと思います。そうした中でいろんな辛いことがあったでしょう、そしてどうしてもその苦しみの中で人へのコミュニケーションでの考え方や対応が偏りが出てしまっているのかもしれません。
その原因はやはり自分の執着だと思います。その執着する心を一度捨ててリセットしないとニュートラルには相手に向き合うことはできないと思います。ましてや自らの苦しみは消えないと思います。つまりそれが因果関係ですし「因果応報」です。
できれば一度お母様にもゆっくりとお伝えなさってみて下さいね。お聞きになって感情的になってしまうかもしれませんが、その感情的になってしまうことで自分も相手も傷ついてしまうこと苦しむことになるでしょうからね。
とはいえそれもなかなか受け入れられないとも思います。その様な場合には一度ここでもゆっくりとご自分の思いをお話なさってみて下さい。お母様が抱えている思いを自ら語って頂き吐き出してみたり、話を聞いてもらい自分の気持ちをリセットすることが必要かもしれません。
宜しければお母様にもお話なさって下さいね。お母様にとって何が幸せなのか、何が辛いのかを。
あなたもお母様もご家族の皆様もお互いを思いやり大切になさり、尊重し合いながら共に仲良く幸せに生きていかれます様にと心から祈っています。
質問者からのお礼
釈義光様
先述の環境で育ったため、今でも家族・家庭というものがよくわからずにいることもあり、他にも色んなものの解釈に世の中にある「社会の平均的な概念」というもので継ぎ接ぎしてきたように思います。
そこに囚われることはないといって頂けたことで、家族がよくわからない自分でもいいし見たこと感じたことをそのまま信じていいんだと思うことができました。
自分は自分でいいんだと改めて思うことができました。
温かいお言葉、本当にありがとうございました。
Kousyo Kuuyo Azuma様
互いを尊重することの大切さはこういった環境も相まって非常に大切なものと心得ており、若年の頃より努めてきたつもりです。
結論を申しますとそれは母に届くことはなく、幾度となく素直な気持ちを伝えてきたのですがそれについても伝わった様子はありませんでした。(自己完結してしまうところがあり何を思うかを聞かせてはもらえません)
伝わるような伝え方をと工夫もしてきたつもりです。
ここまで来ると私としては(未熟でもあるのだ思いますが)これ以上できることはないと感じました。
今後少し母の態度が軟化する可能性があるとしたら数年後に迎える定年退職後かと思っています。
その頃に何かしら変化が見えた時にできる事があればその時にまたと思うことにし、今は心を休ませ・養っていくつもりです。
頂いたお言葉、今の私には見えていないかもしれない真意、これからもきっと考えながら生きていくと思います。
ありがとうございました。