hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

無理と頑張るの違いがわかりません

回答数回答 5
有り難し有り難し 130

人より何倍もやらないと人のように動けない私に、よく周りが無理しちゃダメだよ?って言われるのですが、自分は無理してでもやらないと出来ないままだと思うんです、要領も悪く、グズです。無理しないで物事どうゆう風にすればいいんですか?


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

無理か頑張るかを決めるのは自分

ようさん

はじめましてhasunohaの 井上広法と申します。

ご自身の性格を理解していてそれで一生懸命頑張っているのに、それを周りから『無理しちゃだめ』って言われるのは、外部からブレーキを踏まれるような気がして辛いことと思います。

しかし、ご自身が人一倍やらなければ人並みになれないということを理解して、その上で実践していることにはなんら問題はないと思います。

無理か頑張るかは、自分が決めること。

しんどければ休み、足りなければ頑張る。

よくよくご自身の心と体と相談して物事を行ってくださいね。

{{count}}
有り難し
おきもち

hasunoha共同代表 浄土宗光琳寺 副住職 佛教大学で浄土学を専攻したのち、東京学芸大学で臨床心理学を専攻しグリーフケアの観点から『遺族における法事の心理的役割の検討』を執筆。 科学的に心の仕組みを学んだ僧侶として活動し、東日本大震災を契機に「お坊さんが答えるQ&Aサービスhasunoha」を立ち上げる。 また心理学、特にポジティブ心理学の知見を参考にワークショップ「お坊さんのハピネストレーニング」を毎月開催している。 史上初のお坊さんバラエティ番組「ぶっちゃけ寺」の立ち上げにかかわるとともに同番組をはじめとした様々なテレビやラジオなどのメディアにも多数出演中。

自分からちからを抜いた方が自分上手である

適当と適切の違い。
いい加減と程よい加減の違い。
理に適ったやり方であるのに対して、
理に適わない、ゴリ押し的な無理矢理に推し進めることの違い。
水に浮く為には上を向いて一切力を入れないことです。それが理に適ったやり方ですが、それを知らないとバシャバシャ暴れてかえって溺れてしまいます。
働くのは義務にしたり、プレッシャーにしたり、自分を苦しめるようなモノであってはならないはずです。体や心に負担なく、道理にかなったやり方を見出すことが理に適った、無理のない働き方です。ご不幸が続いて、自分をいためるようなやり方、生き方をされているようですな。ちょっと力を抜いた方が貴女の為です。
坐禅も無理をすれば、悟りが遠のきます。
自分で心を鎮めようと、自我意識を盛んにするよりも、自分、自我を休めたほうが至りが早いものです。
掃除もホウキを強く使って掃除するとホウキをいためます。
歯磨きも、強くごしごし無理に酷使するとすぐ使い物にならなくなります。
雑巾も自分が拭くのではなく、雑巾に拭かせてあげる方がきれいに掃除ができます。
扇もがむしゃらに仰げば涼しいどころかかえって暑苦しくなります。
ご自愛下さい。

{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

いっぱい無理していっぱい休んで

ようさんはきっと人の何倍も努力をされている方なんだろうと思います。そんな、ようさんにとって「がんばらなくていい」とか「無理しないでいい」という言葉は“怠惰のススメ”のように思えるかもしれません。

私は周りの方がようさんに言う、「無理しちゃダメだよ」という言葉は「よくがんばっているね(だからこそ、身体を大事にね)」という意味だと思いましたが、いかがでしょうか。

私個人も努力しない人間より、頑張って努力している人の方に憧れます。ですが、365日24時間働ける人がいないように、努力、休憩、努力、反省、、、、などのように切り替えが必要なのだと思います。そして、そのタイミングは案外自分より他人の方が分かったりします。ボクシングでレフェリーストップがあるのもその為です。

ようさんにはいっぱい無理していっぱい休んでもらいたいと思います。そして休んでいる時にでも、「なんで無理しなければと思うのか」、ちょっと振り返ってみてください。そしてご自身で解決できない時は遠慮なく我々に御相談くださいませ。

{{count}}
有り難し
おきもち

個別相談可能
住職のかたわら、大道芸人PRINCOちゃんとして幼稚園保育園など各種施設、お祭りなどのイベントに出演中です。 ◆大道芸人プリンコちゃんホームページ http://princo.fc2web.com/ 真言宗豊山派総合研究院 布教研究所常勤研究員 常任布教師 仏教伝道教材の「なむなむ」代表 流山市青少年環境浄化事業推進委員会 環境部会長 流山市青少年指導センター補導員 連絡協議会副会長 保護司(柏地区流山支部) 柏マジッククラブ会員 日本ジャグリング協会会員 流山ジャグリングクラブ顧問 日本ツイストバルーン協会会員 ◆PRINCOちゃんねる(法話動画など) https://www.youtube.com/channel/UC4gxIC4-oeR4ns3FpNr8vqA?view_as=subscriber
ただし、午前6時~午前0時まででお願いします

どんどん無理しましょう

無理にも複数意味がありますね。

1.道理を超えているようなこと
2.困難なこと、実現が難しいこと

よう様がやられていることは、2です。

よう様の周りの方は、よう様が頑張りすぎて体調を悪くしたり、病気になったりすることを
心配していらっしゃる方々ではないでしょうか。 人に恵まれているんですね。
それは、よう様が頑張られている証拠でもあるのでしょう。

激励の言葉と受け止めて
堂々と無理していただければと思います。

但し、無茶はしないようにしていただければと思います。

{{count}}
有り難し
おきもち

天台宗 高龍山明王院普賢寺 住職。 一般大学、アメリカ留学、一般企業を経る 比叡山延暦寺にて修行。 生きている人のための仏教を支援する会社、結縁企画を創業。 好きな言葉「怨みを以って怨みに報ずれば怨み止まず、徳を以って怨みに報ずれば怨み、即ち尽く 伝教大師」 夢は「和の仏教を世界に発信する国際的な僧侶」

中道を過ごすために

よう様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

以前に「頑張る」ということにつきまして下記問いにてお答えをさせて頂きました。

問い「仕事に対して嫌悪感を感じはじめています。」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002972474.html

「頑張る」という言葉は、元々の語源から「動じずに取り組み続けること」という意味のようですが、その取り組み方については、「中道」が大切になるものであると存じております。

『・・あまりにも、こだわって、とらわれて、かたよってと執着しすぎていては、弊害が生じることも多々であるため、仏教においては、こだわらず、とらわれず、かたよらずの「中道」を説くことで解決を目指すこともございます。・・』

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/tag/中道

『・・例えば、琴の弦は強く絞めすぎると、やがて弦が切れてしまって音が出せなくなってしまいます。かといって、絞めるのが弱すぎると弦はゆるんでしまって音が出なくなってしまいます。強くもなく、弱くもない、中くらいに締めたところで琴の弦は丁度良い音が出ます・・』

よう様は少しご自身のことを卑下なさられておられるようですが、もしも劣ることがありましても、周りのサポートや励ましも頂いて、自分の利点、長所をうまく活かしてもらえるようにして頂きつつ、バランス良く取り組みができるようになさられていくと良いのではないかと考えております。

この世は支え合い、助け合い、分かち合いで成り立っている「縁起」なる世界であると仏教では説明致しますが、まさに、様々な「縁」を拠り所として、「縁」を大切にすることによって、バランス良く、中道を過ごすことができるようになるのではないかと存じております。簡単には、うまく頼っていく、また頼られるようにしていくということでございます。是非、ご一考下さいませ。善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

{{count}}
有り難し
おきもち

最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断しています。 https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k

質問者からのお礼

小野常寛様
心配してくれる人がいるという有り難みに気付くきっかけではあるのかもしれないですね。
無茶をしない、続ける勇気もそこから引く勇気もいる選択ですね。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ