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最後の言葉「ありがとう、また会おう」

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有り難し有り難し 16

長文で失礼致します。
急ぎの相談ではありませんので、お時間のある際にお話いただければ幸いです。

もう1点、伺いたいことがあるのですが、お坊さま方もお忙しいと思い、別の機会にさせていただきます。
父親のいなかった私たちを、親代わりになって育ててくれた祖父が先日他界しました。

母や叔父と叔母にとっては、優しくも厳しい一面もある父親だったそうですが、孫全員には優しく頼もしく接してくれて、「いい思い出」しか残っていません。

ここ数年は持病が悪化し、コロナ禍ということもあり、楽しみにしていた大勢で食事を楽しむ機会を設けれなかったことだけは心残りです。

入院先の配慮で、最後にお話をする機会があり、駆けつけた祖母・母と叔父・叔母、孫全員と話をすることができたのが幸いです。

「遅くまでいると迷惑がかかる」と祖父に促され、亡くなる前日の別れの際にかけられた言葉が印象的でした。

「じーちゃんが死んだ後、コロナが収まったらな、ばーちゃんに会いに行ってやってくれ」

最後まで祖母を思う優しさ、そして。

「ありがとう……また、会おう」

この言葉は、もしかすると生きて会えるのは最後とわかっていて、「来世」でまた会おうという意味だと私は受け取りました。

葬儀をお願いした元々ご縁のあるお寺のご住職も、「今の別れは、ゆくゆくは浄土で再会するまでの一時的なもの」とお説法をされていたので、受け取り方は違ってなかったのかなと思うのですが、いかがでしょうか?

2021年5月21日 14:14

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

いつか必ず会える「俱会一処」です

拝読させて頂きました。
お祖父様を心を込めてご供養申し上げます。至心合掌 南無阿弥陀仏なむあみだぶつ
お祖父様は必ず仏様がお導きなさって下さり、先に往かれた親しい方々やご先祖様があたたくお祖父様をお迎えになさって下さいます。お祖父様はご先祖様方と再会なさり心から安心なさるでしょう、そして仏様のもとにて一切の迷いや苦しみや痛みからも救われて、ご先祖様方と一緒に清らかに円満にご成仏なさいます。そしてこれからもご先祖様方と一緒にあなたやご家族の皆さんや親しい方々をいつもいつも優しく見守っていて下さいます。

あなたがお受け取りになられたお言葉はあなたが思うまさにその通りです。今お祖父様はお亡くなりになられたのですが、その死は一時の別れです。お祖父様とあなたや皆さんとのご縁はこれからも永遠に続いていくのです。
いつでもどこでもお祖父様はあなたやご家族の皆さんのことを気にかけていて下さいます。
ですからあなたも皆さんもいつもお祖父様に守られながらこれからも生きていくのです。
あなたも皆さんも悲しいでしょうさみしいでしょう、そんな時は心からお祖父様に手を合わせてご供養なさって下さいそしてお祖父様に素直なお気持ちで心の中でお話なさって下さいね。お祖父様はあなたの思い皆さんの思いをありのまま全て受けとめ優しく寄り添って下さいます。

まだ先のことかとは思いますが、いつの日かあなたやご家族の皆さんがその天寿を全うなさる時が必ず参ります。その時には必ず仏様がお導きなさって下さり、お祖父様が親しい方々やご先祖様をお連れになり優しくお迎えになさって下さいます。そして再会なさり喜び合い分かち合うことでしょう。そしてお祖父様と一緒に心安らかにご成仏なさっていくのです。
どうかそれまでいつでもどこでもどんな状況でもお祖父様に優しく見守っていて下さいね、と心からお願いなさって下さいね。

あなたやご家族の皆さんもこれからもお祖父様とのご縁を大切になさりながら、皆さん仲良くお健やかに毎日を生き、心豊かに幸せに生きていかれます様にと心からお祖父様に祈っています。

いつか必ず会える「俱会一処」です。本当に有難い尊いご縁です。至心合掌 南無阿弥陀仏なむあみだぶつ

2021年5月21日 16:13
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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

一向寺のKousyo Kuuyo Azuma様
お返事が遅くなり、大変失礼いたしました。
hasunohaの他の方の質問でも、Kousyo Kuuyo Azuma様のコメントに励まされております。
祖父が亡くなり、四十九日頃までは、何度もコメントを振り返らせていただき、「遠い世界から見守っていてね」と手を合わせておりました。

祖父の葬儀が終わった直後から、新型コロナの流行が始まり、お仏壇をお参りに行けないもどかしい日々を過ごしておりました。
ただ、再び会ったときに、お互い笑顔で「久しぶり」と再開できるよう、目の前のことに向き合い、大切な人を労り、今こうして過ごしていることの幸せを感じながら過ごしていきたいと思っております。

そうは言っても、コロナの対策であったり、経済的な不安、ささいな生活の変化への不安が尽きないことが、恥ずかしくも思います。
いつか必ず会える「俱会一処」の教えを忘れず、ささいな不安に心動かされることなく、穏やかに過ごしていけるよう精進いたします。
この度は、大切な教えをいただきありがとうございました。
南無阿弥陀仏

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YouTubeのオススメに「良い人・優しい人が損する理由はこれです」みたいな動画があったので、とりあえず観てみました。その動画には「ブッダの教え」というサブタイトルが付けられていました。 優しさと思いやりが、いいように利用され苦しむ主人公の話でした。 その後、主人公が見つけた答えは、 ①「自己尊重と他者への尊重のバランス(自分自身と他人の間に健全な境界線を引く)」 ②「自分の気持ちや考えを尊重してもらえない関係は健康的ではないと理解しそのような関係とは距離を置く」 ③「支援や協力が真に価値を持つ場合にのみそれらを提供するようにする」 というものでした。 私にはとても良い話に感じましたが「我を無くす」から遠のいてるようにも見えて、この話をどこまで鵜呑みにしていいのか迷っています。 「ブッダの教え」とありますが、この動画に出てくる登場人物名や逸話をネットで検索してもそれらしいソースが見つかりませんでした。 (生きにくさを抱えた現代人向けの創作?) ここでお坊様方にお聞きしたいのは①②③は仏教的に見て、実行しても大丈夫な内容でしょうか。 またお坊様方の考えなどもお聞かせ頂けたらと思います。 よろしくお願いします。 補足です。 私は優しさ・善良さとは程遠い人間ですが、周りではよく聞く話だったので、このテーマに関心がありました。

有り難し有り難し 9
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