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自分の人生ってなんなんだろうと思います

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有り難し有り難し 12

これまでに、自分をよりよくしたいと考えて、努力してきたつもりでいました。
今うまくいかないことは、自分に理由があって、これからこそ頑張らないといけないと頭ではわかっています。
しかし、なんだか辛くなってしまっています。
その時はなんの考えもなく、してしまった悪いことがあります。
頑張らないといけないと頭ではわかっているのに、人からどう思われているということを気にしすぎる変なプライドがあって、逃げないだけの強さが足りません。
この先どう生きていけばいいのでしょうか。今この自分をどうにか乗り越えたいと思っていますが、何をどうすればいいのかわかりません。
ブレイクスルーしたいです。
今の私は、自分の人生ってなんなんだろうと感じてしまいます。しかしこの感覚は、わがままなんでしょうか。
アドバイスよろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

その感覚を大切にしてください

なんのために生きているのか、私の人生はいったいなんなのだろう。
この感覚はとても大切な感覚です。大事にしてください。

仏教ではこの感覚を「空過(くうか)」と言います。私もそんな感覚が20代半ば、サラリーマンとして働いている時に感じていました。
努力しても理想とは程遠い自分、こんなはずじゃなかった、こんな人生を送りたいわけじゃない、努力したいのにできないなど…

理想の自分と現実の自分のギャップに苦しめられますよね。
そこから、でてくる問いはひつじやぎさんが思われたように「人生ってなんなんだろう」という問いなんです。仏教を説かれたお釈迦さんもそこから道を求めていかれます。

「私の人生ってなんなんだろう」という問いは、ひつじやぎさんの心の叫びなんです。その心からの叫びを忘れることなく、出てきた問いとともに人生を歩んでいくことが大切です。
私達はすぐに答えを求めようとしますが、残念ながら生きることに答えというものは存在しません。
思うようにいかない自分、思うようにいかない人生を私はどう生きるか。心からの叫びを頼りとして日々を過ごしてみてください。

実は私も怠けたくなるし、努力できないし、こんなはずじゃなかったと思ってしまうような人間です。
そんな中で仏教を日々聞いているのですが、仏教を聞いても怠けなくなるわけでもないし、努力できるようになるわけでもありません。
むしろ、そんな思うようにいかない自分自身だと知りなさいと教えられます。

「本願力にあいぬれば むなしく過ぐる人ぞなき」
↑親鸞聖人はこんな和讃(歌)を読んでいます。
意訳すれば、「仏の教えを聞いていくのならばむなしく人生を過ごす人はいない」ということです。私はこの言葉を一つの頼りとして人生を歩んでおります。

まずは、どうにもならない愚かな自分自身と向き合うことがひつじやぎさんの一歩一歩に繋がっていくかもしれませんね。

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質問者からのお礼

ご回答ありがとうございます。
お礼が遅れてしまい申し訳ありません。
乱文でしたのに、私の気持ちを汲み取って御助言をいただき、本当にありがとうございました。
しばらく辛いと思うことがあり、悩んでも悩んでも答えが出ないような気がしていたのだと思います。
しかし、御助言を読み、人生に早急な答えを求めていたこと自体が悩みの元になっていたのだと気付くことができました。
どんな人も、悩みながら生きていて、答えを持っている人はきっといないのですね。
大切な気付きをいただくことができました。
重ねてお礼申し上げます。ありがとうございました。

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