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自分の煩悩について考えました。

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3月に21年間お世話になった実家を出て同棲を始めて今に至るのですが、同棲相手は金遣いが最悪で自分の貯金は底をつき、元カノを家に呼ぶために私を外へ追いやったりなどがあって、自分はすっかり煩悩の塊のようになってしまったところで、仏教の教えを改めて考えるようになりました。
煩悩をなくすことで人は穏やかな生活を送ることができると説く教えをはじめは「感情を殺すこと」「自己を抑えてうまくやり過ごすこと」と思っていたのですが、ネットや日本史の教科書で仏教について、歴史や自分の宗派である曹洞宗の成り立ちや考え方について知るうちに、「煩悩をなくす」とは煩悩を完全に失くすことではなく、「煩悩と向き合う自分を作ること」だというところに行き着き、自分のためにというのはもちろんなのですが、自分に関わってくれる人たちなど周りに安心や幸せを与えられるということだと思ったのですが、これは実際の仏教の教えとは違うのでしょうか。

今自分は「自分の幸せのため」にあたたかい人間関係を築くことや、自分が心から幸せに思うため、自分をまず見直したいと思っています。

その手始めとして、今ある生活は話だけすると確かに最悪なのですが、それでも楽しくないわけではないので、この同棲生活をより良くしたいと考えていますが、私のこの煩悩についての考え方はまた違うものなのでしょうか。

ご教示よろしくお願いいたします。

2021年6月2日 21:12

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

執着も煩悩

今の彼氏や同棲生活への執着もまた煩悩です。
執着を捨てて真っ白な頭の中で彼と出会い直したとしたら、それでも再びその彼とお付き合いするべきだと考えるでしょうか?
欲・怒り・怠け・プライドなども煩悩です。
これらの煩悩がないならどう行動するかをシミュレーションしてから、でも私には煩悩があるから折り合いをつけてこのようにする、と人生を選択してみてはどうでしょうか。

2021年6月3日 4:27
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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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ごめんなさい。ちょっと壮絶すぎて、なんて言えば良いのか…。

考えた末の結論だとは重々承知しているつもりなのですが、失礼ながら、そんな相手と同棲を続けようと思われている、ハトさんすごいです。

私自身は浄土真宗の僧侶ゆえ、曹洞宗の煩悩観はわかりませんが、煩悩と向き合うって、そんな素敵な彼と同棲を続けることなんですか?

2021年6月2日 23:03
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有り難し
おきもち

真宗大谷派僧侶。共に悩める場所を求めてこちらに参りました。
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質問者からのお礼

怒りのまま、嫉妬のまま、愚痴だけを垂れ流して生きている状態は確かに今の同棲の環境が自分をそうしているのは間違いないのですが、

相手は相手の考えがあり、相手も自分の知らないところで怒りや何か自分に不満を抱えているかもしれないと思いました。

今両親がコロナにかかってしまい、実家に帰るにも帰れず、なんとかこの家で自分は生活をしなければなりません。

それで、同棲ってやっぱりするなら、安心感やなにか自分に良い働きをしないといて気持ち良くないなと思って、それならまず動き出すのは自分からじゃないと意味がないと思い、自分の煩悩について考えました。

自分は正直言って今その同棲相手に対し、何かを求めたり、相手がどうしようも無いのはもう仕方ないので、何か期待をしてることはないんです。

ただ少しでも自分のために生きる、その先の幸せにこの愚痴や不満は必要ないなと思って煩悩と向き合おうと思ったのですが、やっぱり変でしょうか(苦笑)

「煩悩」問答一覧

「足るを知る」と「向上心」のバランス

明けましておめでとうございます。 全ての皆様にとって、健やかな一年となることを祈念いたします。   *   「足るを知る」と「向上心」をどうバランスさせるかについて質問です。   ■質問の内容 ・人間の煩悩はキリがありません ・煩悩とうまく付き合うために「知足」が重要との理解です ・一方で、より良い生を営むには、「向上心」が必要です ・しかし「知足」「向上心」は、ときに相容れないように思われます ・そこで、両者の使い分けについて、ご意見を頂戴したかったもの   ■質問の背景 ・私は肉体や精神、能力等の向上(=欲求を満たせる自分に成長すること)を目標として努力してきました ・結果、自分自身や周りの人の幸せを実現できると考えてきたためです ・しかしある時、幸福度は上昇していないことに気付きました ・そんな時に「知足」の重要性に気付き、「向上心」との折り合わせについて強い興味を抱いたものです   ・両者の使い分け方法について、下記2パターン考えました   ■仮説① 行為の目的(相手のため/自分のため)で、以下の通り使い分けるべき 【良さそうな例】 A「相手のため」×「向上心」 (例)より喜ばれる仕事をしたい B「自分のため」×「知 足」 (例)菜食で十分 【悪そうな例】 C「相手のため」×「知 足」 (例)今の仕事の質で十分 D「自分のため」×「向上心」 (例)より美味しい食事をしたい   ■仮説② ・「知足」と「向上心」のバランスを考える必要は無い。 ・自らの欲求を満たせる自分に成長する「向上心」が重要である ・逆説的だが、向上心(欲望)を満たした経験により「足るライン」を把握できるようになる ・肥大する向上心(欲望)を実現した経験が、「自らを満たさない、長く続かない」ことを体感させる ・知足は、頭で理解するものではない。体得させる必要がある    (例)お金をもっと稼ぎ、食事にお金をかける。結果、最高級の焼肉もファミチキも両方美味しいし、どっちも幸せで、(実は)どっちも大差ないことを体感する。 しかしずっと貧しいままだと、どうしてもやせ我慢での知足となる。「知足の習得」には、欲求を満たして「こんなもんか」という体験が必要不可欠。 お釈迦様が王子の頃に豊かだったことは、悟るための必須条件。。?   少し漠然とした問いで申し訳ございません。 どうぞよろしくお願い致します。

有り難し有り難し 63
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ