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毎日がつらくて

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有り難し有り難し 4

今年、最愛の母が亡くなりました。
生前は一緒に病院に行ったり、介護の際も2人で頑張ろうね、一緒に楽しいことしたいね。といつも出かける予定と楽しみを2人で考ていました。いつもポジティブで何事も楽しく明るく取り組む母が大好きで、その優しい笑顔が見たくて毎週いつも出かけたり家では冗談ばかり言ってました。終末期になって、母は苦しい、助けてよ、助けてよ。と何度も私に言っていました。ですが、私に病気を治すことは出来ないので抱きしめて、大丈夫だよ。良くなるよ。怖くないよ。ずっと私が隣にいるからねと励ましました。亡くなってしまってから、その母の『助けてよ』『しんどいよ』と苦しそうな母の声と表情を思い出したり、母の行きたかった所、したかった事が出来なかった事を想うと、可哀想で苦しくて胸が張り裂けそうです。もっと、長生きしたかった気持が凄く伝わってきてましたし、私もそう願っていました。

余命宣告をされてから
私の弟が心臓の弱い母の耳元で『わっ!」と驚かせたり、私のことを母の目の前で殴ったり...
亡くなる前の日、考えなしの父が骨が弱くなっていた母の喉を押しました。その後から息が苦しそうになり翌日亡くなりました..

私はこの気持ちを
どうしたらいいか分かりません。
病気で苦しんでいる母に対する家族の対応が私には理解できません。その件を家族に言うと、逆に私が悪いと言われたり..
もう心が壊れそうです


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

『死ぬ覚悟できてますか?』

という冊子を作り、誓教寺ホームページで見られるようにしています。
 生き死にの法則については、スマナサーラ長老の『死後はどうなるの?』という本が角川文庫から出ています。
 本人については、死ぬまでに体中が痛くて苦しくなります。喋れるなら、痛い、苦しいと言います。喋れないなら、苦しそうにしています。仕方ありません。生まれるときも、狭い管の中を息が詰まったまま押し出されたのです。あれも死ぬほどの苦しみです、母だけでなく生まれる本人も。
 死ぬ瞬間、痛み苦しみを与えた体から解放されて、やっと楽になります。直後に、業に引かれて、自分に最も適切なものに心がしがみついて、そこに生まれて、そこから必死に生きようとしています。人間界でやってきたように、死と、直後から始まる次のせいで同じ努力を続けます。
 もう、「助けてよ」と言っていたお母さんはいません。別の何かに生まれ変わって、その苦しみはなくなっています。でも、前世のことは覚えているかもしれなくて、あなたがいつまでもクヨクヨしているのを逆に心配しているかもしれません。
 死ぬまでのことは、過去のことなのでもう済んでいます。ご本人はどこかの境遇で今必死に頑張っています。輪廻はそういうものです。
 それと、亡くなる人に対してこちらから行う行為は別です。こちらの行為は、それを行った人の心、意思によって、相応の業を受けます。家族でも、思いや業は違います。その時々でも、思いや業が違います。他のご家族も見ていて辛くて、変な行動になってしまったのかもしれません。
 ご家族も、もっとこうすればよかったなどと思っているかもしれません。あなた一人がいつまでも言っていても、済んだことなので……。今後は、心をこのように持って行って、いつも気をつけて生きるぞ、という気持ちで建設的にいる方が良いと思います。

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