今日も学校に行けなかった…
私は芸術の大学に通う3年生です。
2ヶ月学校に行けていません…。
学校に行きたくない理由はなくて、ただぼーっとしている毎日です。
朝起きて、朝食、弁当、化粧身支度等をして
いざ行くぞとドアノブに手をかけて、何故か やっぱりいいや で引きこもります。
実は1,2年生の頃から不登校です。
今まで単位が危ういと学校から連絡がきて、ぽつぽつ学校に行ってギリギリ単位を取ってきました。
1年生の頃は友達がいない寂しさと、今までの学校生活とのギャップに大学が嫌になってうつになったという理由がありました。
ただ、2年生からは独りに慣れて、理由もなく学校を休んでいます。
学校や先生、カウンセリングから
何故学校に行かないのか、学費がもったいない、親御さんが悲しむ、大人になりなさいと言われていて、本当にその通りだと思います。
周りに迷惑をかけたくないし、私が学校に行けばいい話で、でも行けないというのが現状です。
親にも相談しました。
親からも学校は友達を作る場所じゃない、
他にも辛い人はたくさんいる、大人になったらもっと辛いと言われて、親にまで悲しい思いをさせてしまいました。
自分で選んで頑張って合格した大学なのにとため息をつくばかりです。
何度も自殺しようとしましたが、全部失敗してしまいました。
自分を変えようと、本やネットで調べて
毎日笑顔でいたり、ポジティブでいたり、
周りの人と親しくし、運動もしましたが、
疲れました。
私には向いてないのかもしれませんね…。
私の取り柄が絵を描けることなのに、大学生になってからは何故か絵が描けなくなってしまって、もう完全に自分に自信がなくなってしまいました。
一人に慣れているので、頼れる人や友達、恋人がいなくたって全然平気です。
だけど何処となく寂しいなと多分感じています。
話が長くなってすみません…。
自分に甘えていますよね。自分に厳しくならないといけませんね!
別の趣味を見つけて、周りの人と馴染んで
自分を見出さなくてはいけませんね。
死にたいとか、学校を辞めたいとかは全然ないです。
どうしたら抜け出すことができるのでしょうか…。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたの為すべきことは、『創作』のはずです…
『何故学校に行かないのか、学費がもったいない、親御さんが悲しむ、大人になりなさいと言われ』『学校は友達を作る場所じゃない、他にも辛い人はたくさんいる、大人になったらもっと辛いと言われ』…お気持ちお察し致します。ホントお辛いでしょう。
そんなこと言われなくたってわかってますよね。正論ですから…ただ、そういう「物事わかってるお方は、なぜ私の気持ちをわかってくれないのか」とおっしゃりたいでしょう。…おっしゃっていいのです…語気には気を遣わなければなりませんが…柔らかく、でも真摯な気持ちで。
『自分で選んで頑張って合格した大学』『私の取り柄が絵を描けること』…そのこと今一度思い出して下さい。もっと自信持って良いのです。
『別の趣味を見つけて、周りの人と馴染んで、自分を見出さなくてはいけませんね』…特にやりたくもないことを人に義理立ててやる必要はありません。
なぜなら、あなたには「絵を描く」という才能、そして大切な目標があるからです。
今為すべきことは「作品を仕上げること」でしょう…御自身が納得出来る、今の自分の精一杯を注ぎ込んだ作品を仕上げることが一番大切ではありませんか。
周囲を納得させるためではなく、御自身の思い、気持ちをさらけ出して御自身にしか描けない作品を生み出して下さい。
仏様、そしてハスノハ僧侶方が あなたのその作品に出遇えることを楽しみにしています…。
一日ぼーとする、それでもいいと思います
こんにちは!
私も中学の頃は不登校気味で、やっと見つけた高校でもさほど友達が居なかったなぁという事を思い出しました。
中学の時もいじめが原因で中学出たらもうお坊さんの修行に早く行って自分のやりたいことしよう・・・と思っていたのですが「高校いってくれ」、高校いったら「大学いってくれ」大学いったら「修行終わったら好きな事してもいい」、修行終わったら「滋賀の祖父が危篤なので滋賀にいってくれ」で現在に至ります。
私も絵が描くのが好きだったので、修行が終わったら美術系の大学に行きたいなと思っていたのですがその夢もずいぶんと遠回りしてる最中であります。
さて、本題ですが今はそれでいいと思います。朝起きて、朝食、弁当、化粧身支度ができるのは素晴らしいことです。少なくとも、外に出る気力がまったくないというわけではないのかなと感じます。また、大学も自分でお選びになられたようでとても立派な事だと思います。
悩みごとをhasunohaに打ち明けられた事も素晴らしい事と思います。多くの人が「自分でなんとかしなければならない」という気持ちから他人に相談できずに押しつぶされてしまう事は沢山あります。
我々曹洞宗は坐禅をすることが教えとなっています。これは端的に言えば「超無駄に時間を過ごす」事です。しかしこれの繰り返しで心を整理し、穏やかに気持ち保つ修行となっています。
なにも足を組んでしっかりと坐禅を組んで座る事が禅ではありません。自分はなにをしているんだろうかと考える、これはまさに禅の精神です。今あなたは自分とちゃんと向き合っておられると思います。
作品作りが捗らないのはスランプの一環かもしれません。もし学校に行くのが辛いというのであれば、とりあえず家からは出て学校とは別の場所に向かってみるのはいかがでしょうか。コロナ禍ということであちこちという訳にもいきませんが、本屋、美術館、図書館、玩具屋、電気屋、服屋・・・自分の行きたいと思ったところでまた自分と向き合ってみてもいいかもしれません。
私は、夢を追うあなたを尊敬します。また心配事があればhasunohaに相談してみてください。
質問者からのお礼
小林さんありがたい御言葉をありがとうございます!
そうでした、私にはまだ作品が残っていました。
私はその言葉を待っていたと思います。涙が出ました。
自分を失っていたようです。
作品を仕上げる為に明日こそ学校に行きます!
ありがとうございました!
恵一さんありがたいお言葉をありがとうございます!
恵一さんにもそんな過去があったのですね…。
私はただただ何もせず過ぎていく時間が無意味だと感じていましたが、これも大事な諸行なのですね。
優しい御言葉嬉しかったです。ありがとうございました!