何をしても満たされない
タイトルの通り、今の生活は素敵な彼氏もいるし仕事も大変ですが辞めたいほど辛くはなく充実してると思います。
でもどこかいつも心に穴が空いたような感じがあります。育った環境が悪かったからでしょうか。
彼氏ともし結婚しても幸せにできるかどうか考えてしまいます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
他に求める心を追わない
満たされない心というのは、常に今のこと以外に欲しているからです。
例えば紫陽花の花を見た時に、その様子以外に何不足ないのに、満ち足りているのにそれ以外を求めている。
ということです。それ以外を求めているということは、目の前のことに向いていないということ。地に足がついていないということです。
ある意味刺激の少ない地味な生活を嫌い、派手なものに溢れる生活を求める人もそうかもしれません。
今している呼吸、鼓動、触れている感覚、香り、味、音、何をとっても不足ないはずです。あなたの体はありのままを受け入れ、足りないとは言いません。走れば走ったように体は反応しています。
それで大満足でしょ。
心を満たそうとしても、心というのは元々無いものですから、幻のように常に出ては消えを繰り返しているだけで、掴みようがないものです。それを思ったからと握ってしまうと人はそれがまことだと勘違いしてしまうのでしょう。
思いは思い、そのままに。
満足している「今」に触れている自分に目を向けてください。
小欲知足
拝読させて頂きました。
あなたのお気持ちなんとなくというよりはとてもよくわかります。あなたにとって今は本当は満たされているはずなのに何か物足りない、何か埋めることができないと感じているのかとも思います。
人の心はそういうものでしょうね、それはあなただけではなく皆さんがそうなのだと思います。私もそう感じる時があります。
そんな時に思い浮かぶのは相田みつをさんの言葉
「うばいあえば足らぬ、分け合えばあまる」「しあわせはいつも自分のこころが決める」
その言葉一つ一つをかみしめてみると、実際に奪うわけではないでしょうけれどもあれもこれもと欲する心がかえって満たされなくなる原因なのではないかと思ったり、自分や周りの大切な人々の心を不幸せにしているのではないかな?と思ったりしてしまいます。
あなたはいかがでしょうか?このお言葉をどう感じますか?
仏教での言葉では「小欲知足」という言葉があります。
今持っているものあたえられているものの有難みに感謝して少し欲を抑えてみて、今の与えられていることを足りていることを知る中で自分の心が穏やかになり満たされていくという意味かと思います。
そう感じて思う中で心は豊かになりあなたも家族の皆さんも何でも分かち合いながらお互いを思いやりながら仲良く幸せに生きることができるのではないでしょうか?
またあなたの思いをお聞かせ下さいね。あなたを待ってますね。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
また自分を見直していきたいです。