自殺した友人の事をずっと考えてしまいます
はじめまして、よろしくお願いいたします。
私には小学一年生の頃から20年の付き合いになる幼馴染がいました。
家は離れていて頻繁に会うことは無かったもののSNSでよく話をしたり、お正月には約束していなくても、自然に一緒に初詣に出かけたりしていました。
一昨年の年末いつものようにSNSで「今年は初詣どうする?」と聞いても返事がありませんでした。
いつもすぐ返事あるのにな、と思いつつ忙しいのかなと思っていました。
が、翌日にも返事がないので今度は直接連絡をしても返事がなく、おかしいと思って掛けた電話にも出ませんでした。
実は何年も前から幼なじみは「死にたい」と漏らしていて、その度に「私はあなたとしたいことがたくさんある、だから一緒に生きて欲しい」と伝えるなどしていた事もありました。
連絡の取れないまま年が明け幼馴染の住む隣の県まで様子を伺いに行きました。
が、結局会えず「心配している」との手紙を残しその日は帰りました。
数週間後、荷物が届きました。
送り主は幼馴染で、中には幼馴染のお母様の手紙と、幼馴染本人からの手紙とペンダントが入っていました。
お母様の手紙には、幼馴染が自殺の名所の防犯カメラに写っており、おそらくその日のうちに…であろうこと、原因は家族内の不和で「私が殺した(ようなものだ)」というご自身を責める言葉が書かれていました。
幼馴染からの手紙は、遺書でした。
意思が固かった事、会えてよかった、どうか気に病まないで、と書かれていました。
ペンダントは幼馴染の宝物とありましたが、売ってもいいよなんておどけて書いてありました。
さらに数週間後、遺体が見つかったとの手紙が届きました。
あの手紙を読んだ日から、何を見ても幼馴染のことを思い出してしまいます。
何故もっと話を聞いてあげなかったのか、連絡を待たずに会いに行けば止められたんじゃないか、もっと何かしてあげられる事があったんじゃないか、と色んな思いが止まりません。
私は母と兄を病気で亡くしていますが、それとは違う苦しさです。
ただ、同時に原因が本当にお母様にあるとしても、なぜか責める気にはなれません。
幼馴染には怒られるかもしれないけど、苦しまないでほしいと感じます。
悲しいのに怒ることも出来ず、行き場の無い思いが苦しくてたまりません。
私は幼馴染のことをどう受け止めればいいのでしょうか…
嫌いな人が失敗すればいいと思ってしまう 自分の辛い経験を、何度も何度も反芻しては思い返してしまう
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分の気持ちを何度でも出してみる。
竹立 様 相談ありがとうございます。
ご友人との別れ、突然のこととはいえ、哀しく辛い、行き場のない気持ち、そうなりますね。もっと話してくれたら、もっと相談にのっていたら、あの時に無理してでも会いに行っていたら。本当にそう思うものだと思います。
受け入れられないし、後悔もあるし、怒りも出てくるし、気持ちが落ち込んでしまうし。
そんな時は、その気持ちを誰かに受け止めてもらうことを何度でも、一人でなく何人でも、そして動物でもいいから、自分の気持ちを吐露することが必要かと思います。人に聴いてもらう、優しく包み込むように傍にいてもらう、あたたかさに触れるような機会を作ることで、一時的にでも、気持ちを楽することを繰り返すのが、だんだんと悲しみから癒えていくでしょう。
もちろん、ここへ何度でも気持ちを吐露するように相談しても構いません。
そして、あなたは、あなたなりの供養でいいので、ご友人のことを思い出しながら、供養をしてあげてください。手を合わせる、線香をあげに行くなど、出来る範囲で供養をしてあげてください。そうすることで、ご友人にあなたの気持ちが届いて、ご友人から優しさや笑顔が返ってくることが、だんだん解るようになってくると思います。
ご友人は、ただ苦しさや辛さから解放されたくて、先に逝かれたのだと思います。それは、遺されたものに大きな哀しみと辛さを与えることを解っていたとしても、そうされたのでしょう。でも、ご友人の行為は、あなたもご友人のお母様も、家族の方々だれもが、悲しみから癒されて優しさを感じることを願っている行為であるかもしれないということも分っていく必要があるかもしれませんね。
少し先のことかもしれませんが。
今は、ご友人のご冥福をお祈りいたしますとともに、
竹立様はじめ、ご友人のお母様、またご家族の皆様が、癒されて落ち着きを取り戻すことをご祈念申し上げます。合掌礼。
癒されるのに時間がかかると思いますので、どうぞ何なりとご相談ください。一礼
追伸:お礼メッセージありがとうございました。その祈り方であってます。自分なりに祈りましょう。加えて、「私が安心安全でいられますように」「私を守ってくれますように」と一緒に祈ってみてください。
字数制限でここまで。ご縁に感謝申し上ます。再礼
祈りましょう。
それは、とても寂しいことでしたね。あなたの喪失感というか、後悔は私にも感じられます。
お坊さんという立場上、多くのご遺族にお会いしますが、「もう後悔はありません」という方は、殆どいらっしゃいません。たとえ50年近く連れ去った方であっても、です。
「今から出来ることは何もない」とお感じかも知れません。確かに彼女を生き返らせることは、誰にもできません。
しかし、祈ることはできます。人が亡くなった後に行く極楽で、彼女が更にいのちについて学べるように、残ったお母様が悲しみだけの人生を送らないように、より多くの気づきを得て、より良く生きられるように。あなたが自分の周りの人を少しでも幸せにできるように、そしてあなたが幸せに生きられるように。
私たちが、この世で直接手を出せることは限りがあります。そうでないことは、仏様にお任せする。お願いする。お祈りし、手放すことは、「その分、自分がやれることはしっかりやります」というのとセットです。
一日一回、1分でも3分でも、彼女ために、彼女のお母さんのためにお祈りする時間を作ってみてください。
質問者からのお礼
おこたえいただきありがとうございます。
あまり誰にでも話せることでなくて、胸がいっぱいで苦しかったのですが、聞いていただけてほんの少しだけ楽になった気がします。
まだ幼馴染のしたことを肯定してあげればいいのか、怒ってやればいいのか…
どんなふうに受け止めればいいのか分からないまではありますが、まずは目の前の毎日を頑張って生きることに集中しようと思います。
ことがことだから、たぶんご家族の元でお線香をあげに…ということが出来るかはわかりません。
ただ思い出したらその時には「祈る」ということを、やり方が分からないなりに「あいつが幸せでありますように」「お母様が少しでも苦しみから抜け出せますように」と願ってみることをしてみようと思います。(これで合っているのかはわかりませんが…)
ありがとうございました。
またご機会ありましたらよろしくお願いいたします。