なくなって気づいた頑張りの原動力
どうもこんにちは
僕は某私大の工学部の4回生です。最近、今通っている私大の大学院にそのまま進学することが決まりました。
以前は高校の時に第一志望だった国立大学の大学院を志望していました。ここには大学受験で失敗した落とし前をつけたいといった気持ちがありました。しかし、コロナ騒動でなんやかんやあってその国立大学院に出願できませんでした。
ただ4回生にもなると1,2回生の時より社会的,科学的視野が広くなり、今通っている私大の院からでも望む進路へは十分進めることがわかりました。さらに学歴に拘っていた以前の自分を克服したように感じ、むしろ僕にしては珍しく自信を持ちました。
前々から「〇〇大学の××研究室に行ってやる!」と友達に語っていたので多少の情けなさはありましたが、現在の研究(私大)と志望していた研究(国立)が結構似てたためこの際気にしないことにしました。
しかし進学決定後、謎の不快感が現れました。
その気持ちは
「小学校の時に学校の敷地内を歩き回って全ての階,部屋,場所に行き尽くした時の気持ち」
や
「アドベンチャーゲームを遊んでいて全ての扉や宝箱を開け尽くした時の気持ち」
などに似ています。少しズレていますががっかりという言葉が近いでしょうか。この気持ちの名前を知らないので、ここで仮にこれを「有限視界感」とします。
僕は中学から今まで高校,大学受験を一般受験でなんとか乗り越えましたが、その原動力が未来の生活への期待やワクワク感のような気持ちでした。(ポンコツの癖に)進路が決まっていない不安感や受かるかどうかわからないペーパー試験に挑む緊張感を苦しみながらも心のどこかで楽しんでいたのかもしれません。これを同様に「無限視界感」とします。
僕の行動力の源はこの無限視界感であるのだと思います。今後直近の2年間通う物理的な場所が決定している事実が有限視界感を引き起こし、研究活動や課題に前向きに取り組めなくなりました。以前より怠惰さに磨きがかかり全体的に人生が楽しくなくなりました。これらは自信や目標の有無とは関連の少ない感情かもしれません。
物理的な進路が決まっていても無限視界感を取り戻す方法が知りたいです。そしてもしご存知でしたら無限視界感と有限視界感の正式な(?)名前や仏教用語などを教えてください。ここまで読んでいただきありがとうございましたm(__)m
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
今が気づきの時だからと思います
拝
どちらも仏教的に呼び名はないと存じます
目標は遠ければ遠いほど
現実的で確実性の高い見解ができなくなり妄想や期待に歪み正しく観る事ができません
故に人を高揚させるしがっかりもさせる
仏教の場合は今、この瞬間に価値を見出せる心のあり方が重要なのですね
しかも厳しい事に自分で決めた事は必ず叶えなければなりません
何故なら嘘が許されないからです
自分には嘘つけませんよね?
だからこそ短期的目標の方が重要なのです
したがって今の虚無感の原因は
自分についた嘘のせいかもしれませんね
かと言って今から進学を決めても
結果遠い不確実な目標とするところに行きつかなければ「やっぱり違う選択をしていれば」という考えに囚われ同じ事が起こるようにおもいます
これこそあまり遠くに目標を持たない事を勧める己を豊かに保つ仏教の基本スタンス
さて、大事なのはこれからの目標の立て方ではありませんでしょうか?
今まで勉強や研究につぎ込んだ情熱とは別に、新たに挑戦すべきステージに来ているように思います
それが未知の仕事に対する自己投資かもしれませんし
人間的な成熟を意味するのかもしれません
又は、全然知らない世界を知る事なのかもしれません
観光という言葉がありますが
これは元来光を観るとある通り
狭く暗くなった自分の世界を照らす為に
旅をしたり
神様や仏様を拝みに行って
己の狭く偏った見方を解放する事を指します
このまま走り続けるより一度立ち止まって
見方を変えて自分に光を灯して下さい
今が気づきの時
お答えになっているかわかりませんが
そんなふうに感じました
合掌
追伸
そうですね違わないと思います
一つ気をつけるとすれば
仏教の教えは同じ教えでも
その時の実践と精神の成熟度により理解の深さが違うという点でしょうか
もし実践できれば
それは良い種を蒔いているわけですから
因果の法則で
必ず理解度は今よりも更に深まって
深い充実感を得る事ができます
仏教は厳しいですね
少し宗教とは違い哲学的であったり
脳科学的であったり
科学的であったりと
論理的な実践方法をしめしてくれています
どこまでも自己責任なので
今の虚無感も
己の間違えた目標の立て方故なのです
罪とかそういう事ではありませんよ?
聖徳太子は
政治が仏の徳を必要とした時代だったと考えてます
質問者からのお礼
回答ありがとうございます。
•嘘をつかない程度の短期の目標を立てること
•自分の世界の見方の偏りに気づき改善する(?)
が最優先なのだと理解したつもりですが丸山さんの意図と一致してるでしょうか?
自分で決めたことを必ず叶えなくてはならないとは厳しいですね!
少々耳が痛いです笑
全然関係ないけど
聖徳太子が仏教輸入したのはこーゆー厳しさ故なんでしょうか?