死にたくないけど消えてしまいたい
死にたくないけど消えてしまいたいです。
今年の2月に子供を出産しました
ですが夫とはうまくいかず、先月離婚しました。
自身の親が小学生の時離婚し、常に愛されたいと思い生きてきたのかもしれません。
気づいたら他人に依存してしまう
自分の中が空っぽというか、自分自身がわからないのです。
いつも自分なんかと思い、自己肯定感がとてつもなく低い。そんな自分が嫌い。でも愛されたい。
だけどそんな自分を嫌って自分自身を大切にできない人間が他の人から愛してもらえるわけないのに。
よく、愛してもらいたいならまずは自分を愛しましょうと聞きますが、それが難しいのです。
息子としっかり生きよう。自分がしっかりしなければと前向きになれる反面、ふとした時に胸がぎゅっと苦しくなってもやもやして、もう疲れたな、死にたいけど周りに迷惑を掛けるし、消えてしまいたいと考えてしまいます。
感情の浮き沈みが激しく、そんな自分に疲れました。
高校時代に自殺未遂をした事があるけど、あの時にちゃんと死ねればよかったなぁ。
生きててごめんなさい。私がいることで周りを不幸にしてしまう
ごめんなさい。本当に支離滅裂でまとまりのない文章で
だけど相談できる人もいなく、寝ようとしてもモヤモヤして眠れなく、苦しくて吐き出したくてばーっと書いてしまいました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
未熟なままでもいい。完成されていなくてもいい。
こんにちは。
「吐き出したくて」とのことで、回答は求めていないかもしれません。
ただ、あなたの今後に資することができたら、と思って少し書きます。もし、あなたが望んでいなければ読まなくても構いません。
私は、ここの回答欄で回答させて頂き、一年半が過ぎようとしています。
時々、こんなことが胸をよぎります。
人間としても、僧侶としても完成されていないどころか、本当に未熟極まる自分が質問者のための回答ができているのか、できていなのか。書き続けること自体が良いことなのかどうか、ということを自問することがあります。
しかし、齢40半ばにして思うことは、人として、僧侶として完成される日が来るのを待つには、あまりに人生は短いとも考えるのです。だから、今できるところで自分の僧侶としての本分と、誰かの力に成りたいという気持ちを未熟なままでも尽くすこと自体に意味がある、と最近は開き直って回答しています。
「よく、愛してもらいたいならまずは自分を愛しましょうと聞きますが、それが難しいのです」とあなたは書いています。そうとも言えるかもしれません。自分への愛が確立するという基盤があってこそ、誰かを愛することができるという意味で。
しかし、私は「愛してもらいたいならまずは」相手を「愛しましょう」という方向も同時に同等に必要だと思うのです。自分に集中している間、どうしても自分だけに関心が行きます。その間、愛すべき周囲はもしかすると寂しい思いをしているかもしれません。
自分が寂しいように、相手も寂しいだろうな。
自分が愛してほしいように、相手も愛してほしいだろうな。
寂しいだろう、気持ちがわかるよ、と近づいていけば、寂しいんだ、気持ちをわかってくれて有難う、になります。
愛したいと近づいていけば、私も愛したいと心が触れ合う。
人間の心、愛は縁に触れて相乗的に高まり、実感できるものではないでしょうか。
あなたの心を子どもさんと触れ合わせ、愛を高め合わせられる余地がありませんか。未熟なままでもいい。完成されていなくてもいい。触れ合う心がわずかでも動く時、現実は変わっていくものだと私は思います。
追記
この度は、ご丁寧にお気持ちをお運びくださり、誠にありがとうございます。
回答が一助となれば幸いです。
心からの励ましのお言葉、ありがとうございます。
また、ご質問ありましたらお寄せ下さい。
質問者からのお礼
お礼が遅くなり申し訳ございません。
なぐり書きのような物に回答していただきありがとうございました。
今だに気力がなく、常にではないものの消えてしまいたいという気持ちから抜け出せずにいますが、回答を頂いたときいつもと違う気持ちの涙が出ました。
ありがとうございます。