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理不尽な離婚を忘れられません

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有り難し有り難し 15

苦しい婚活を5年も続け、平成の最末期にやっと結婚できました。
元妻はデートのドタキャンが多かったので、体弱いんだなぐらいに思っていましたが、結婚後に鬱病であることが発覚。その父親も躁鬱病で時々変なことを言い出す人だった上、亭主関白でその父親に誰も逆らえないというのが元妻の実家でした。

で、結婚生活1年で突然にその元義父が「娘の鬱病はおまえのせい! もう離婚させる!」と怒鳴り込んで来、翌日に両家両親を交えて話し合いとなりましたが、矛盾しまくりの話を平気でする上にそれを指摘されると「私は言うことがコロコロ変わるんですよ!」と開き直る醜態を見せ、「とにかく離婚! この話し合いの結果がどうであれ私は娘を連れ帰る!」の一点張り。
僕の職業が斜陽産業とされているため、本当は最初から嫁にやりたくなかったそうで、送り出す時にも「いつでも離婚できるように子供は作るな」と言い含めて嫁に出したそうなので、おそらくは離婚させる口実を虎視眈々と待っていたのでしょう。
元妻も離婚したくないと言っていましたが、とにかく親に逆らえない子なので言われるまま。実家に連れ去られたら鬱病発作がひどくなって半ば廃人状態になったそうで、本人となんの連絡も取れないまま離婚成立となりました。あんなに離婚したくないと言っていたのになぜか離婚成立後は僕のLINEをブロックしていて連絡も取れません。

鬱病ゆえにどんなに前から約束していたことでも当日のコンディションによってドタキャンになるのがしょっちゅうだったし、「痛そう、怖い」を理由に1年間の結婚生活で肉体関係も無し。何よりお見合いだから結婚しただけで僕の事が好きなわけではないと公言していましたから、誰に話しても「そんな嫁と別れて良かったじゃないか」という返事になりますし、客観的に言えばその通りだろうと僕も思いますが、やはり1年間を一つ屋根の下で暮らして同じテレビを見て笑い合った思い出などがあって、簡単に割り切ることができずにいます。

ありがたいことに二度目の婚活は1年で相手が見つかり、僕のことを好きでたまらないと言ってくれる婚約者が今はいますが、それなのに元妻を心から追い出せないし、追い出したいとも思えないのです。恨みがあるとすれば元義両親で、あんな老人に支配されて生きなきゃいけない元妻を可哀想とすら思っています。
こんな気持ちをどう整理したらいいでしょうか。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

愛別離苦(あいべつりく)

お釈迦様は、愛する者と離別する苦しみは、誰にでもあると説かれました。
だから、それは自然現象です。
さて、私たちが生きることは、こっちの苦しみの波からあっちの苦しみの波へ、苦しみから苦しみへのサーフィンなのです。
息を吸えば「息を吐きたい」という苦しみが生まれ、息を吐けば「息を吸いたい」という苦しみが生まれる。
苦しみの形は変わっても、苦しみはなくならない。
私たちの細胞に外部のエネルギーと物質が出入りすることさえ、その本質は苦しみです。
もしもテレビを見て笑うときに、「笑うな、我慢しろ」と言われたら、テレビの面白ささえも苦しみです。
ですから、離婚という一つの苦しみだけを特別視するのではなく、人生全体地球全体から苦しみは無くならないと見ましょう。
また、瞬間ごとに新しい、この苦しみと向き合いましょう。
日常生活の中で、離婚の苦しみよりもトイレに行きたい苦しみの方が大きくなる瞬間もあるでしょう?
「なぁんだ、今の俺には離婚よりもトイレの方が大事なのか」と笑い飛ばしましょう。

追記
極楽浄土で再会したときは菩薩様同士。
楽しみですね。
極楽浄土では自分と他人を差別する感情が無いようですから、喧嘩にはならないと思います。

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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

> 願誉浄史様
僕も信仰している浄土宗の方から頂けてうれしいです。
愛別離苦への救済のために阿弥陀経に「諸上善人 俱会一処」の文があるのだと思います。それまで何度も読んできて意味も理解していた文ですが、離婚をすることで実体験としてひとしお沁み渡ってきました。娑婆での怨み、怒り、しがらみを断ち切った上善人となって浄土で元妻に再会できることを願っています。

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