親との関係
母との関係がうまくいっていません。これからどのように母と関わっていけばいいでしょうか。
私が大学生になってから、母が私に対して人が変わったように冷たくなっていきました。大学二年生になり、父が単身赴任をしてからは、更にその度合いが激しくなり、何をしても(しなくても)、親不孝者だ、信頼できない、や見た目に関してなど罵られるようになりました。また、寝させてくれない、大学やバイトに行っていても怒りのラインが来るなどの干渉が続きました。
だんだんと、私自信が自分を責めたり、ネガティブな気持ちに落ちてしまうようになったため、距離を置く方が良いと思い、家を出ました。
現在は一人暮らしをして三年目です。母の気性は私が距離を置いてから、ピタッと収まったようで、よかったですが、私が原因だと思うと気持ちとしては複雑です。
なぜ、そのようになってしまったのか、それは何となくですが察しています。私は本当に好奇心旺盛な性格で、大学生活は海外に行くこと、友達と遊ぶことに明け暮れていました。そのため、母には、自己中心的な娘に映ったようです。また、現在私は大学を留年していて、起業を志しながら、その起業成果を研究に活かそうと大学院受験をめざしています。母からみれば、叶わなそうな夢ばかり追いかけ、家族のことを考えられないわがままな子どもなのだと思います。
小さい頃から、本当に厳しく躾られてきましたし、家の中での私は大人しくてなんでもできる子でした。目標とした大学に合格したところまでは母の理想通りだったはずです。なぜ、こうなってしまったのだろう、と母がつぶやいていた言葉が忘れられません。
私自身は自分に誇りをもっているつもりですが、なぜ、母にとっては親不孝者になってしまうのだろう、応援してほしい、愛しているよ、と言うなら信じて欲しいという寂しさがたまに湧いて来ます。
今後、母とどのような関係を築いていけばいいでしょうか。理解してもらえる日はくるでしょうか。
よろしくお願いします。
劣等感があることです。 そのため競争心が強く負けず嫌いです。 生きていくうえで、他人から比べられること(成績や見た目など)は避けられませんが、私なんて、と常にどこかで思ってしまいます。
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親離れ、子離れの末の「理解」であるべき
こんにちは。
私は、あなたが母親を母親としてではなく、一人の人間として見ていく客観性も併せ持つことが大切だと思います。それは、あなたの親離れのためにも、お母さんにとっては子離れのためにも必要なステップです。
あなたの視点から見れば、「目標とした大学に合格し」、「起業を志しながら、その起業成果を研究に活かそうと大学院受験」という前途洋々たる自分を「応援してほしい」「信じて欲しい」のでしょう。
しかし、お母さんの方から見れば、大学生活を「海外に行くこと、友達と遊ぶことに明け暮れ」、「現在」「大学を留年して」いる。「叶わなそうな夢ばかり追いかけ」ているというのは、少なくとも不安定な姿に見えるのだと思います。
あなたも同様かもしれませんが、お母さんを一人の人間としてみる時、人間は不安な心をどうにも処理できないときがあると思いませんか。ましてやお父さんは、「単身赴任」で身近に話す相手が居ない。これは情緒不安定にもなりうるでしょう。
お母さんを安心させるには、自分が「叶わなそうな夢」ではなく、「起業」なり「大学院受験」という目に見える形を出して安心させる、これが必要です。それは、親を安心させると言うより、心揺らぐ一人の人間を安心させる、という視点です。なぜ、人間というかは、次の項目と関連します。
もう一つは、「小さい頃から、本当に厳しく躾られてきましたし、家の中での私は大人しくてなんでもできる子」に関連してです。お母さんは、子であるあなたを意のままにするということが親であるという自己認識の歴史があった。一方、あなたはそれを「母の理想通り」と素直に受け止めていた。
しかし、大学に入って子どもは半分いやそれ以上に子どもではなくなった。自分の手から子どもが離れていく、意のままにならない。そのことにお母さんは戸惑っているのでしょう。
ただ、これはお母さんはお母さん自身で子離れと向き合っていかなければなりません。あなたもこれまでの歴史どおりでない親離れした自分と向き合っていかなければなりません。この意味で、結果を出すのは、親の期待に沿った、従順な子たるものとして義務を果たすという観点ではなく、一個の人間として安心させるためが適切である、と先に述べたのです。
「理解してもらえる日」が来るか、来ないか。
いずれにしても、それは親離れ、子離れの末の「理解」であるべきです