妹の死あれから
先月も投稿させて頂いたものです。最愛の妹が亡くなり2ヶ月立ちます。今は仕事行きながら残された母の介護しながらなんとか生きてますが、やはりまだまだ妹を助けられなかった罪悪感で苦しくて本当に地獄です。何故体調悪そうだったのに普通に仕事に行ってしまったのか。電話一本で休めたのに、今まで何度も休んで来たのに何故油断したのか、本当に妹に悪くて悪くて申し訳なくて、まだ40才でまだまだこれからだったのに、薬は昔から苦手で今までも飲めずに重責発作なってたけど、その都度回りの家族が救急車早めに呼んで助かってたのに、今回は家族も年取って亡くなったり、母も認知症でまともなは僕しかいなかったのに仕事なんか行って妹が1人苦しんでたのに死なせてしまって本当に申し訳ない気持ちしかなくて。妹の居ない世界は無意味です。死にたいけど母も居るし妹の為にも死ねない。だから地震や事故にあって死ねるのが理想かなとも思います。もう生きる意味ないです。
薬飲めなくてお薬ゼリーや薬をきったりしてましたが、結局昼飛ばしたり朝を飲んだり夜を朝方に飲んだり朝6時まで起きてたり最後の方はもう生活や服薬がめちゃくちゃでした。全然言うことを聞いてくれなくて、怒ったら泣いて、すねて耳塞いだり最後は僕もよう見んかったです。本当にわがままが酷くて。僕が管理できなかったです。もっと早く嫌がっても泣いても入院や入所させとけば死ぬことはなかったです。日帰りのデイサービスに半日行くのすらめちゃくちゃ嫌がっても泣きわめいて大変でした。僕が最後は疲れてて介護が適当になってしまって殺してしまったと思います。人殺しは死を持って償うべきです。妹はもうトイレも行けない、歯も磨けない、ご飯も食べれない、鼻もかめない、車椅子にも乗れない、見たかったテレビも見れない、iPadも見れない、ゲームも出来ない、本も読めない、絵も書けない、歩く練習も出来ない、寝れない、起きれない、ジュースも飲めない、外食も外出も出来ない、話せない、もう何も出来ません。妹を見殺しにした僕はのうのうと生きてる。何故死刑にならないのか。妹に未来を消してしまった。色々話し聞いてもらいアドバイス頂き少しは前向きになった時もありましたが、やはり罪悪感に戻ってきてしまいます。無理とはわかってても妹に会いたいです。また母と3人でワイワイ賑やかに普通に生活したいです。
僕は先日4月26日未明に最愛の妹礼子あやこを僕の判断ミスで死なせて亡くなってしまいました。家族は認知症要介護5の母とその障がい者でてんかん病気持ちので妹です。父は10年ほど前に他界しており、それを気に大阪から家族のいる愛媛県に来ました。母は2012年のことです。母が2014年くらいに認知症になりそこから近くに住む叔父と僕とケアマネさんヘルパーさんディサービスなど利用しながら何とか生活してきました。その叔父も数年前に他界してしまいました。僕は長年パチンコ屋で働いてきて2交代制で昼間はデイサービスやヘルパーさん使ってましたが夜は2人に任せてました。その夜勤務の時に妹がてんかん発作お越し嘔吐物による窒息で亡くなってしまいました。
妹に守れなくてごめんねと謝りたいですけど最後の日妹は体調悪そうだったのに薬もなかなか飲めずにご飯も食べてなかったのに、僕はイライラしてどうせどうにかなるだろうと甘く考えて仕事に行ってしまいました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたの寂しさのそばには、皆がいますよ。繋がっていましょう。
今までの質問も、読ませてもらいました。
妹さん、今までも発作があり救急対応をなさってきたのですね。あなたは、家族の一手を担って、お支えしてこられた。それは、容易なことではなく、ご苦労も多かったことと思います。ご自身の時間や、休まる時も、後回しにして、ご家族のために生きてこられたのではないでしょうか。
やっても やっても、やり尽くしても、あの日あの時、判断が違っていたら〜
どうしても、後悔と自責の念が頭から離れないのですね。
あなたがお兄さまでよかったと思うのですよ。妹さんは、最後まで愛されて生きることができた。発作は、誰にもコントロールが出来ず、あなたが誘発したわけでも、放置したわけでもないのです。
仏様は、あなたを責めるどころか、あなたの最愛のご家族を、安養の浄土へとお導きくださっていますよ。妹さんは、発作からも病からも解放されて、今全てが満たされた状態にあります。寂しい想いなどなさっておられず、お兄さんとの思い出を、ありがとうと味わっておられることですよ。
あなたが安心出来る様に、誰も責めたり苦しまずに済むように。それが仏様の願いであり、お救いであります。
あなたにとっては、お母さまや妹さんと過ごされた楽しかった時間が、特別であり、あの頃に戻りたい、時間が戻せたら、そう思わずにはいられないほどに、最愛の妹さんなのですよね。
あなたの寂しさ、お辛さ、一緒に聞かせていただきますね。オンラインでもご相談なさっているようですし、この場でも。
いつだって、あなたの寂しさのそばには、皆がいますよ。
繋がっていましょう。
質問者からのお礼
中田住職、返信ありがとうございます。
何度も読み返しました。
何度も泣きました。
妹が亡くなってから色んな人に話し聞いてもらいましたが、中田住職の言葉が一番心に響いたかも知れません(泣)
僕は21歳まで家族と妹と一緒に住んでましたがそこから15年くらいは関西で1人暮らししてました。両親のお陰で本当に大学も行かして頂し自分の仕事もして自分の人生を歩ませてもらってましたが、父が急死してしまいそれから母と妹しか居ないので、男の僕が愛媛県に来て今の生活してました。ので若い頃好きに生きさせてもらった分、残りの人生は父の代わりに母と妹に全て捧げようと決意して大阪での暮らしを捨てて愛媛県に来ました。ので全然しんどい時もありましたが、今の生活が生き甲斐であり、楽しいものでした(笑)
今まではそれなりに上手くやってこれたかも知れませんが、やはり最後自分が居ないときに妹があんなことになってしまって、全てが終わったと言う気持ちです。
2ヶ月しか経ちませんが、ずっと苦しいですね。
妹と妹為に懸命に頑張って来た両親や回りの方々にも大変申し訳ありません。
今は話を聞いてもらいたいです。
仕事仲間は気持ちわかりません。
中田住職にも一度オンライン相談したいです。