傲慢な性格を変えたい
私は傲慢で、性格も悪くて、人を大切にできません。人生のある時点からこうなってしまいましたが、治そうと思ってもなかなか治りません。どうしたらいいんでしょうか。自分中心の自分でしかいられないと思うと死にたくなります。もちろんだんだん人も離れていっています。辛いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「自己中心」がスタートライン
こんにちは。
本当に自己中心の人は、「自分中心の自分」を問いません。
本当に「傲慢」な人は、「傲慢」という言葉が自分事として考えられないでしょう。
矛盾してるようですが、自らを省みて変わりたいと思った瞬間から、あなたは既に変わり始めています。「傲慢」でない方向へ、「自己中心」を慎む方向へ。
仏教は、自分が「自己中心」であるという事実からスタートします。それが変えがたい根本的事実であると。
あなたが望むのであれば、仏教を学ばれてはいかがですか。ご自身のお家の宗派、お寺を頼りにする、或いはインターネット上の情報や動画など豊富にありますから一度触れてみてはどうでしょうか。
「自己中心」は、紀元前の昔から人間が向き合ってきた問題です。一度腰を据えて学んではいかがでしょうか。
傲慢の使い方を改める
傲慢はエネルギー。
我欲も怒りもエネルギー。
活用法が間違えばわが身を汚し、他者をも汚す。
どんな美人女優さんでも裏の顔がエゴイズムであれば人気が下がるでしょう。
人の求めるべき美しさや強さとは見た目のきれいさ、見た目の強さではいけない。その結果が自分をも損ね、相手にも不快な思いをさせてしまうからです。
だったら、そのエネルギーで自分をも幸せにして相手をも幸せにできるように転用すればいい。孫悟空の話で喩えれば、あなたがあなた自身の釈尊となって、わが愚かしき暴れん坊の孫悟空のようなが傲慢なキャラを掌の上で転がしてよい活動をさせればいいのです。
オリンピック選手だって、欲望をエネルギーに変えている。怒りもエネルギーに変えればよい成績になる。だからと言ってスポーツマンシップに則らず、スポーツマンシップすらエゴで「乗っ取る」ような態度であればずるいことをしてでも勝とうとする浅ましさとなり、勝った後に品のないガッツポーズをしたりする。それは誰が見ても品がない。横砂が保持すべきことは単に勝敗で勝つためのだらしなさではなく、人間性・誠実さでもあるように、汚い手を使って勝ってもそれは世界の独裁主義国家や家庭の中のエゴイストが家長となってモラハラ状態と変わらんものです。
では、どうあればよいのか。
人間には我という鬼がいる。誰の心の中にも我、我の鬼、餓鬼、傲慢な鬼が住んでいる。こ奴は何かを成し遂げたい。腹を空かせている。ところが人間と同じくジャンクをいくらたらふく食べても心底おなかが満たされない。それどころか食べれば食べるほどに体にも心にも害がある。人間は騙せない。では高級料理を毎日食べれば満たされるか。こんどは心が満たされない。では、その傲慢な鬼は何を欲しているのか。地位か、金か、名声か、他人から褒められることか、評価か世間体か。愛されることか。それらをほしいままに手にした人が手が合わさるような生き方かと言えば物珍しいのでフラッシュをたかれる程度。
そこで賢人たちはどうしたか。
自分自身が心底満たされる方法・手法をさがした。
自分のシステムに目を向けた。
それは人間の道理。
どうすれば人間は心底満足するのか?
それを求めるエネルギーとして傲慢を使ってみた。
本物を追及する素晴らしい力になった。
傲慢やエゴは自己の真実、自他の幸せを求めるための上手なエネルギーとして転用することです。
煩悩に気付く
欲、怒り、怠け、プライドなどの煩悩に気付くようにしましょう。
たとえば、昨日一日の自分の言動を振り返ってみて、欲・怒り・怠け・プライドに起因する言動を思い出してみます。
そして、「あのときのあの言動は煩悩に負けていたな。もう少し違うやり方があるな。」と反省してみましょう。
ただし、後悔(過去の自分への怒り)は持たないで、未来に向かって改善するために冷静に分析しましょう。
「欲・怒り・怠け・プライドは煩悩。煩悩は悩み苦しみ失敗の原因。」
と毎日念じるようにして、煩悩を見える化する智慧の眼、自分をマネジメントする理性を鍛えましょう。
毎日続けていれば、きっと、いつのまにか人格が向上します。
質問者からのお礼
ありがとうございました。
自分や他人のために自分のエネルギーを使う。自分の幸せ、目の前にいる人の幸せが一体なんであるのか少しずつ考えていこうと思います。
毎日の生活を振り返り、その反省を活かしたい。また仏教についても少し調べてみます。
少しずつ変わっていけるよう日々の努力を怠らないようにしていきます。ありがとうございました。