hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

悪口は良くないことですか?

回答数回答 1
有り難し有り難し 23

人への悪口や批判的な事が自分の中に浮かぶとき、自分の事は棚に上げて、とか何様なんだ、などと自問自答が起きることがあります。
悪口を言いたい瞬間というのはありますが、言う事や言っている自分にやや抵抗を覚えます。
なんだか醜い事をしているような、後ろめたい感情を含んでしまいます。
出来るならばあまり悪口を言わないように、と一応心がけています。

とはいえ、世の中は悪口、愚痴を平気でいう人が多くいるように感じます。
その人達は多少なりともそういった後ろめたさのようなものは感じないのか、と不思議に思います。

そこでお聞きしてみたいのですが
お坊さんも他人への悪口を言いますか?
また、仏教やお坊さんの立場から見て、悪口、他人を悪く言う事はするべきでないことなのでしょうか?


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

僧侶も人、衆生も人

お釈迦様の教えに「懺悔」さんげ、があります。キリスト教にも「懺悔」ざんげがあり元々は仏教用語なのです。しかしどちらも大体似ております。
人は誰しも罪過を造らずには、生きていけません。
してはならないことをし、言うては成らない事を言い、思うては成らない事を思う。例え一つ一つが軽くても一生の間に積み重なり大きな罪過となり、私たちを引きずり回し迷いをもたらす事となる。
お釈迦様のお教えの元、どんな罪業も懺悔文をお唱えし悔い改め心より善行を行うるならば消滅する事ができます。
僧侶は一生殆どが修行で悟りを開いたとは思う事はないのです。これを「未在」の心で未だ悟りには至らず!常にまだまだの心を持って日々修行に励めとの教えです。
それ故にたまには僧侶も人間である為、悪いと分かりつつも罪は犯すのです。
しかし善行を持つて少しでも悪業を無くす事は出来ないが軽く成る様務めるのです。
それが「懺悔」なのです。
懺悔文)
我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう)
皆由無始貪瞋痴(かいゆうむしとんじんち)
従身口意之所生(じゅうしんくいししょしょう)
一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいさんげ)
【現代語訳】
 私が、過去に行ったあやまちは、全て始めもわからない深い貪り、怒り、愚かさ(三毒)によります。それは、身体の行い、口の行い、心の行い(三業)から生まれ起きたものです。全てを、私は今、仏様に照らされて悔い改めます。
【コメント】
 釈迦の教えは、苦しみから解放され幸せになることです。その苦しみの原因は自己中心的な欲望です。己が今日までに造ったあらゆる罪の報いの恐ろしさを痛感し心から悔い改めることが大切です。
貪(とん)「貪り」
淫欲、財欲、食欲、名誉欲等
瞋(じん)「怒り」
自分を見失い怒りにまかせた状態
痴(ち)「愚かさ」
(貪、瞋、痴)の三毒
心が欲望におかされ道理のない状態は、己の身と口と心から生じたものである。
もちろん、懺悔したからといって全て帳消しになる訳ではない。益々煩悩の深さを知り、心から懺悔し、決して悪業の報いを忘れないことである。 その苦しみから離れるにはあらゆる善行に施すのです。その善行が心より己の喜びとなったとき、そこで初めて懺悔の功徳が現れてくるのではないでしょうか。
無責任な人間、己を見つめ直し懺悔しましょう。

{{count}}
有り難し
おきもち

質問者からのお礼

山口秀徹さん

ご回答有難うございました。
悪業を無くす事は出来ないが軽く成る様務める、このことを忘れずにいたいと思います。
懺悔の気持ちを持っていたいです。
ご意見ありがとうございました。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ