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人が一切信用できません。

回答数回答 2
有り難し有り難し 35

友人、恋人、ゼミの教授、多くの裏切りに遭って人を信用するのができなくなってしまいました。

実家に戻らざるを得ない状況まで衰弱し、家族にも気持ちや考えを理解されず七ヶ月がすぎましたが、1mmずつ生活習慣を整え、家事と運動をこなし花を生けられるまで家事力は身につき、高校時代あたりまで体は身軽になりました。

ですが人を信用する力は戻りません、そもそも幼少期から家族に心を開示しようとあまり思ったことがありません。
上司や同僚が自分の魂を殺さない保証はないので、どうやって外貨を稼げばいいか困っています。皆さんはどうやって人を信用しているのでしょうか??


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自分をちゃんと持っている人は強いことを知ってほしい。

大変だったのですね。。。身近な人に傷つけられたり裏切られたら、もう何も信用出来なくなり、生きることにも価値も意味も無くなって、毎日がバカらしくなりますね。

家に帰ってこられても、ご家族も そのことを理解してくださらないのね。
あなたが大変な時に。傷つき弱っている時に。

生きてきた今までが、何だったのだろうと、虚しくなりますね。

この世の中は、いろんな人がいて、いろんな考えがあって、正しい.間違いも、平気で変わっていってしまう。それだけ人の心は、影響されやすく、いい加減な面がある。信じていた自分の心も、未熟な部分がある。それはね、あなたが悪いと責めているわけではないんだよ。良い意味で、疑ったり 見抜く力も備えなければならない。見切る.逃げるタイミングも知っておかなければならない。それは、自分を守るために必要になる。

反対に、備えた自分の力も限界というものがある。広い視野を持ちたくても、見ている部分は一部の好む部分に集中してしまう。もちろん極めることも素晴らしいけれど、人生を生きるためには、広く物事を見て知ることが大事になってきます。

私は、偉そうなことを言えるほど生きてもいないし、いろんな世界や多くの人に出会ってきたわけでもない。
だから、必要だと感じています。

今の.これからの自分を守るために、これから先も出会う必要がある、そういう自分でいたいなと思っています。

あなたに言えることは、それでも生きていくためには、自分で一歩を踏み出さなければならないということ。傷つくこともあるだろうけれど、自分をちゃんと持っている人は強いことを知ってほしいし、そんな人に出会っていってほしい。
そして、あなた自身が、何にも振り回されない人になっていってほしい。
自分しか信じちゃだめと言いたいわけではなく、違う人に出会ったときに、危険だと回避したり、なるほどと認め合えたり、間違いだと押し付け傷つけてしまったりせず、ちゃんと自分を守りながら、他と一緒に安心に生きていく道を求めてほしいと思うのです。

他を知り認め合いながら、ときには流されていきながら、まだ見ぬ世界を知ってほしい。

働くことを恐れずに、得る喜びを感じてほしいなと思います。

応援していますよ。
そして、いつでもハスノハへ。

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有り難し
おきもち

はじめまして(*^^*) 中田みえです。 教善寺 住職として、母親として...
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信用できる自分自身を目指しましょう。

 お辛いお気持ちをお察し致します。その上で少し辛いことを申しますことをお許し下さい。
 あなたが人を信用できないのは…人を信用していないからです。
 ならば、御自分を信用しましょう。信用できる自分になれば良いのです。
 御自身を磨きましょう。知識・教養を高めましょう。本を読みましょう。芸術や趣味にも力を注ぎましょう。運動やスポーツで体力も向上させましょう。
 そうやって御自身を向上させ、信用できる御自身を作り上げましょう。やってみましょう…。 
 それらに取り組まなければ自分を信用することはできず、元より人は信用できない状態のままです。それでは困りますよね…。
 結局、人が信用できない…そして自分も信用できないと思うのは「役に立たない、思うようにならない・動かない、自分の思いに逆らう」からではありませんか。
 人は自分の思ったようには動きません…それはあなたが他の人の思うようには動かないのと同じです。人は「他人の思うようには動きたくない」存在です。
 身も蓋もない回答とお感じでしょうが、もう、それは事実であって変えようが無いのです。
 その隠しておきたい気付きたくないことを、事実であるからこそ あえて明らかにして下さるおはたらきを仏と申します。
 仏は事実しかお示しにならないからこそ信用できるのです。もっとも「信じると言う我が心自体も移ろいゆく」為、仏は 私が仏を信用するということも重視されませんが…。
 それでも、まずは「ある程度信用の出来る自分自身」を目指しましょう。それには「何かをやってみる、継続する、自分である程度満足いく結果を出す」しかありません。自分をある程度信用できるようになれば、人を信用できなくても生きていけます。
 御自身による努力を全くしないままで、人は信用できないと言っても空しいだけです。
 さあ、何でも良いです。何かを探して、それに取り組みましょう…全てはそこから始まります。
 あなたを仏様が応援し続けていらっしゃいます…それだけは信じて下さいませ。

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おきもち

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