納骨について
先月、父が他界し、遺言で、お坊さんも呼ばず、火葬葬で済ませてほしいとのことだったので、葬儀を行ったのですが、火葬をする前に納骨の件で、父が姉のために70年近く前に買った墓(現在は母も納骨されています。)の住職に連絡すると、「戒名もつけず、お経も上げないのであれば、納骨は出来ない」と言われ、現在も、納骨できないでいます。戒名もつけず、お経も上げないと自分の家の墓に入れることができないのですか。前の住職の時に頼まれて墓を購入し、その際、戒名もつけず、お経も上げなくても、他の宗派の人でも構わない。お布施も気持ちで良い。と言われ、頼まれて買ったと父が言っていましたが」と聞くと、永代供養であり、所有権はなく、登記などもしていない。何か言いたいのであれば、沖縄で住職 もしている顧問弁護士から内容証明を送る。過去同じようなことがあったが、一切認めていない。前の住職はでたらめなことをしていた。」と言われました。姉や母の際は、戒名もつけ、お経も上げたのですが、今回は故人の意思に従い、しなかった為、納骨出来ない状態です。購入した時の条家もないですし、現在の住職になってからも見たことがありません。真言宗の寺です。良い助言お願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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ご自身の儘にすることは、寺院墓地では難しいと思われます。
まず、お墓のある「墓地」は「買う」ものではありません。
買うのは「墓石」のみです。したがって墓地の所有は寺院の
規約に則るものとなります。
寺院墓地はとくに、寺院への寄付と、寺院への信仰とによって
貸し得られたものという扱いとなります。
ですのでその寺院墓地に入るということは、必然的に
寺院を支える信徒となることが約束されるものです。
その上でともに仏教を学ぶものとして、また、寺院の本尊などから
自身のこころに「信心」を芽生えさせていく為に、戒名というものが
与えられます。
これも「買う」ものではありません。じぶん自身のこころを磨くため
師となる存在から賜るものです。
前住職の発言がきちんと文章などによって遺されているのであれば
納骨も可能でしょうが、それがないのであれば、現在の住職、
責任役員である総代方、寺院の規約などが反照されます。
なぜこういうことになっているか。それは、寺院墓地が「私有地」である
ということが大きくかかわります。
私有地ですから公的な資金援助もありませんし、なによりも管理のうえで、
どこで火葬されたりしてきたかもわからないようなお骨を納めることも
場合によっては出来うるのです。
そうならない対策としても、寺院墓地にお墓がある場合、
その家の葬儀を執り行うということが管理上も必要になることがあります。
くだんの事に関しては、寺院住職ともっと話し合う必要があると
思います。しかし、小生が思うには、そこまで特に寺院への思い入れが
ないのでしたらどこか別な霊園へ改葬すべきではないかと思います。
じぶんの思いの儘にしたいのならば、それが叶う一般墓地で果たすべきです。
もうひとつ・お父様がなぜ戒名も葬儀も不要だと言ったかをしっかりと考えて
頂きたいと思います。
そこには、遺されるものたちへのお父様からの「思いやり」が必ずあります。
余計な出費などをさせたくない。子供たちを困らせたくない。俺の事など
忘れて生きて行ってほしい。少なからずそういう思いが込められていると、
思うのです。
この思いをどう受け止めていくか。遺されたものとしての課題では
ないでしょうか。
いろいろと失礼を申しました。お父様の安らかなることを祈ります。
あなた様のこれからに、さちあれ。さちあれ。合掌。
再度お寺にご相談なさってお話なさってみては
お父様がお亡くなりになりさぞお辛い悲しい中と存じます。心よりお父様のご冥福をお祈り申し上げます。
ご納骨については再度御住職にお会いしてできればゆっくりお話を伺った方が宜しいかと思います。その中でお寺の規則を確認し、双方ご納得頂けない場合にはやはり別の墓地に移るほうがいいと思います。
お寺の運営にもかかわって参りますので、双方がご納得するする形でご納骨なさる方法を選択することが望ましいです。やむを得ない場合は第三者に入って頂き(例えば行政書士の方等)ご相談なさってもいいと思います。