生き物を殺すことについて
先日も質問しましたが、他人に迷惑だから生き物を殺す(マスクをすることでコロナウイルスを間接的に殺す、シラミを殺すなど)ことは仕方ないとおっしゃられていますが、迷惑がかかるからという理由で罪のない生き物を殺しても極楽浄土(天国)に行けるのでしょうか。
僕なりに考えてみましたが、やはり無理があるのではないでしょうか。
環境破壊によって迷惑を被っている動物は人を殺すどころか危害すら加えてきません。それなのに、人に迷惑をかけないために生き物を殺すというのは、道理に反するのではないですか。
生きるために殺すことは仕方がないですが、シラミやコロナなどは殺さなくても(人間が)死ぬわけでもないですよね?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
他の生き物を一切害しないために自殺するという例もありますが
コウヘイさま
誠におっしゃられておられることは正論となります。
それがゆえに感謝、供養が大切なこととなります。
もちろん、究極的な動機として、例えば、他の生き物を一切害しないために自殺するという例もあります。
しかし、それだけでは輪廻し続けている原因である、無知・無明、過去世の業を全て清算できるだけの善業にはならないのであります。
もし、それだけの善業となるなら、生まれたての子をすぐに殺してあげるだけで、その子は善業を積むこととなり、極楽や他の浄土へ赴けるだけの境涯、境地になれることになりますが、そんなことは全くないからであります。
根本的な原因となっている無知・無明、真実執着、倶生諦執、過去世からの悪業、全てを浄化していくために、どうすべきであるのか、その方法をお説き示されましたのが釈尊となります。
そのためには、智慧と福徳という二つの資糧は欠かせないものとなります。
具体的には六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)となります。
畜生、餓鬼の衆生も含めて、人間も同じような中で、もだえ苦しみ喘いでいます。それは輪廻し続ける限り、お互いに変わることは全くないのであります。
それがゆえに仏、その教えとの縁をもたらせることができる供養ということをもって、その命に報いる感謝をその者に返すこともできることになります。
コロナウイルス一つ一つにもです。
水の中に住む微生物一匹一匹にもです。
川口英俊 合掌
阿弥陀仏は悪人を救う
南無阿弥陀仏と念仏を称(とな)えれば、極楽浄土に往生できます。
極楽浄土を造られた阿弥陀仏が、念仏すれば極楽に往生させると誓われているのです。
極楽浄土に往生すれば、私達は善人(菩薩)に生まれ変われます。
そうすれば結果的に、殺生をする悪人が減るのです。
極楽浄土で修行し、悟って輪廻転生から解脱すれば殺生を繰り返す世界から卒業できます。
悪人だからこそ、極楽浄土で修行すべきなのです。
悪人を善人にする学校である極楽学園は、入学希望者である悪人を拒まないのです。
もしも悪人だから入学できないとしたら永遠に善人になれませんが、そうではなく、阿弥陀仏は悪人を極楽浄土に導いて善人に改良してくれるのです。
道理に反する悪人だからこそ、極楽浄土で修行させてもらうべきなのです。
質問者からのお礼
わかりやすい回答ありがとうございます。
たしかに生まれたばかりの赤子を殺すことは決していいことではないですね。また、殺生をしてしまっても極楽浄土へいけるのですね。納得しました。