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失恋、彼女が元彼氏との子を妊娠した

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こんにちは、カズキと申します
私は2年ほど前から付き合っていた彼女がいました。

その彼女とは遠距離恋愛をしており月に一度会っているという関係でした。
ですが、つい昨日その彼女が元々付き合っていた彼氏の方との子を妊娠してしまったのです。

私は彼女とは真剣な交際をしており結婚も視野に入れて話をしていたのですが、
私と彼女の年も8歳と離れていて、かつ
お恥ずかしながら経済的余裕も多いとはいえない状況でした。

そんな自分に愛想を尽かしたのか、もしくは元彼氏のことを忘れられなかったのか
そのような行為に至ってしまったと電話で言われてしまったのです。

私は彼女とは毎日連絡をし、私自身浮気などせず、真面目に接してきたのにとても悔しい気持ちでいっぱいです。

正直、その話を聞いたあと自殺も考える程でした。本当に絶望と喪失感に襲われて本当に不安で仕方がありません。

彼女はその人との子を産み結婚を望むようです。しかしその話を受けても彼女は私の事が好きと言います。

私も彼女の事が好きな気持ちは抑えられませんが、相手の方への憎悪が抑えきれません。理性を失いそうになってしまいます。

この事が原因で私生活はもちろん、仕事、
人間関係にも影響が出そうでなりません。

私としては彼女に幸せになってもらいたいと思い、その話を聞き入れました。
しかし、心の奥底で許せない自分もたしかにいるのです。

私は今後、どのように生きていけばよろしいのでしょうか、お教え願えれば幸いです。
よろしくお願い申し上げます。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

愛別離苦から救われるには内なる相手を滅して今の尊厳をうやまう

①「脳内彼女と現実のリアル彼女は別ものと知る」
まず、その女性はあなたの思っていた女性ではなかったということ。そこにズレがありました。あなたの理想と実際の彼女の現実は異なるものだった。そこをもう少し丁寧に見つめる。
そもそも遠距離。つまり、そもそも「会っていなかった」という現実アリ。隣にもいなかった、目の前にもいなかった。哀しいが「それ」。
つまり、そもそも自分の思い描いていた遠距離恋愛とは妄想理想ワールド。その時点で手が届いてもいなかった。厳しいようですが、それが現実の遠距離恋愛のリアル。貴方にも彼女にとっては脳内ビジョンだけの遠くのイイ人より、近くのやさしい実在する人の方がリアルを感じられる相手でしょう。彼女自身がそういう選択をした現実アリ。それが世の男女。それが世の女性。それが恋愛というものの真実。怒りは不要。むしろ、そこで今から再出発!と、この現実をあなたが真摯に受け止める!女性に対する理想や、恋愛に対するそれまで思い描いていた理想・イメージ・妄想・きっとこうに違いないという、脳内のセルフ設定はみなマイワールド=妄想!断絶!実は恋愛に限らず、親子でうまくいっていない人、対人恐怖症、コミュニケーションのすれ違い、すべてがみな各自のセルフ脳内マイワールド妄想です。
あなたが今思い起こす「その彼女」。それは脳内にあらわれる「あなたの内部だけの」セルフイメージであって、当のご本人さまは、こちらの予測を裏切るまるで予測不可能なトリッキーな動きをしているはずです。多くの人が相手のリアルではなく、自分が脳内で思い描いている想念の側を相手にしているのです。この脳内パートナーと現実の相手とのズレ・差異がなくならない限りは実は人間は本当のコミュニケーションすらできない。
現実の彼女は二人いない。一人は脳内理想想念の彼女。一人は現実の彼女。最初からその人は一人だったのです。
②「人は人を所有できない」
人は他人を所有できない。結婚しても相手に子供ができたとしても、それでも個人は個人。単独の個人存在。この世のあらゆる人間が誰のものでもない。お互い自由な存在であり、自由な選択肢を持っています。よって、貴方も彼女もパートナーを選ぶことは時と場所と場合・状況の変化に応じてどう転ずるかはわかりません。人は人を所有することなどできないのだ、と原点に立ち返ってみましょう。よって、ご縁に感謝。✋

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

ありがとうございました。
自分の中での妄想だったわけなのですね…
私自身、そういった箇所はあったと思います。
人は人を所有出来ない、大変勉強になりました。もう一度原点に立ち頑張ろうと思います。本当にありがとうございました

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