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仕事がしんどいです

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 はじめまして、最近辛く感じ始めたのでご相談させて頂きます。
 高卒で第一希望とした会社に就職することができました。配属から約一年経ちましたが、未だ馴染めていないように感じます。部署の方からは「未成年の女の子」という認識で、気を使ってくださっているのが伝わります。コロナ禍のため、一緒にお昼ご飯を食べることもほとんどないこと、フロアには社長・副社長の席もあるため、仕事中の雑談があまりないことも要因かと思いました。
 7月末に部署自体の移転があり、事務所内は部署のメンバーしかいなくなるため、以前より話しやすくなり馴染むきっかけになるかと期待していました。確かに、部署内の雑談は増えたように感じますが、わざわざ「私」に話しかける人はいなくて、私から話しかければいいかとは思うのですが、仕事中にどこまで雑談していいのか、先輩は今話しかけられて迷惑ではないか、必要以上に心配になります。仕事の内容のことは聞けるのですが、それでも、今大丈夫かな、この内容きいていいかな、この文章なら失礼じゃないかな、と頭で繰り返し考えてしまいます。
 それでも勇気を出して話しかけたりすれば、答えて下さりますし、笑顔で、客観的に見れば何も迷惑がっているようには見えないのですが、なぜか私の中で得体の知れない恐怖感が広がります。しんどいと感じます。仕事の話をする時もそれは同じで、怖い、しんどい、つらい。でも何が怖くて、何が辛いのかと言われればわからないです。強いて言えば、声質、顔つき、言葉の端々から威圧感を感じる気がします。
 また、移転前・移転直後に部署内の女の人でお昼ご飯に行かれてましたが
お誘いいただけませんでした。コロナ禍で人数も制限しないといけない、そんな中ですが、3人も4人も変わらんやん、というのが本音です。私から先輩、ご飯行きましょ!と言えればそれでいいですがそんな勇気もなく、そんな間柄にまだなれていないのが現実で、しんどいです。
 今までは、何も周りの人たちがどうこうではなく、自分が頑張れば、自分が変わればいいという考えと、プラス持ち前のポジティブシンキングで乗り越えてきました。ですが、何きっかけだったか、嫌だな、しんどいな、と思ってから自分でもびっくりするくらいネガティブな思考回路が広がってしまいました。
 少しでも心を軽くしたいです。アドバイス頂けますでしょうか。宜しくお願い致します。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

お話を読んで、ゆきさんは、とても気遣い屋さんで共感性の高い方なんだな、という印象を私は受けました。
ポジティブで気も使えて、きっと話すと楽しい方なのでしょう。
新型コロナの影響で、そんなあなたの良い所を知ってもらう機会が少なくなったのは残念です。

まず、提案したいのは「得体の知れない恐怖感」の原因を深く探ってみること。
恐怖は未知のものに対して感じることが多いです。知ってみれば「なんだ、こんな事だったのか」ということが往々にしてあります。

仕事場での場合、相手のことを知らないというのが大きな原因かもしれません。
> 仕事中にどこまで雑談していいのか、先輩は今話しかけられて迷惑ではないか、
勇気がいるかとは思いますが、そのまま聞いてみてはどうでしょう?
相手の心は相手が一番知っています。思い悩むより聞いてみましょう。
相手を知って「こういう人なんだ」と分かれば、自ずと恐怖感は無くなっていくかと思います。

また、
人を変えることは困難なので、「自分が変わる」という考え方は今まで人間関係を円滑にしてきたことと思います。
その反面、「自分が変わる」ことによって、相手の想いを優先して自分の想いを横に置いてしまっているかもしれません。
ご飯に誘ってもらえないけれど自分から言うのも…ということも、その人たちとご飯が食べたいのではなく、単に寂しさを埋めたいだけだったり、今までしていたことを義務的に「しなければいけない」と自分で追い詰めている可能性もあります。
そんな関係や生き方に疲れが出て、その人たちとは距離を置きたい自分も居るのかもしれません。

本来なら、人間関係の理想は気を遣わない、自分が自然でいられる関係です。
仕事場の人とは、ある程度距離を置いてビジネスライクに仕事だけする、というのも一つの手です。

あなたの心はあなたにしかわかりません。
また、相手の心も相手に言葉にして聞いてみないと分かりません。
自分の想いは本当は何を望んでいるのか?
今は「自分の心を大切にする」ターニングポイントが来ているのだと思います。
ゆきさんが楽しく生きるために、考るキッカケにしてみてはいかがでしょう。

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おきもち

子育て支援センター相談員として活動後、日蓮宗僧侶として出家。 自身もジェンダー、鬱病、自殺願望、不妊、毒親等の悩みと闘ってきました。 そんな中、仏さまの教えはいつも心の拠り所となっています。 「全ての人が仏になれる」 「全ての人が幸せになっていい」 楽しむ自分も、つらい自分も悲しい自分も、全て愛されるべき存在です。 自分の中の仏様を大切に、今、この世で幸せになれる方法を一緒に探しましょう。 微力ながらお役に立てると嬉しいです。

それ、アタシの中でプライオリティ超絶高め案件を用いる。

ポジティブシンキングも良いですが、もっと良い方法は、受け取る物事に善悪やポジティブやネガティブを添えない視点です。
それが「禅」の視点。
物事、出来事、今日の授かり、出会い…。
それらは今から出会うものの中で実際によく見ていただきたいのですが、受け取ることにはあなたの主観が入っていないはずです。
そのままの授かり状態がある。
世の中は、SNSや他人の言動で全然関係ない人たちが炎上しますが、まず、突っ込みたいことは「それ、あなたに直接関係ないことでしょう?」というトコロ。
気が付くと人は面白いことに自分の正義を押し付けている。
しかも、その現場ではないのに全然関係ないところから。しかも、その情報だって最初にその情報が流れる時点で加工されているものも多いのに全然関係ない人がキーキー騒ぐという現象は今後も続くことでありましょう。
この出来事に対する過剰なまでの反応活動は、個人の脳内でも同じようなことがおこなわれているものなのです。
今日出会うことに、今からやること、すぎたことをいちいち取り上げてはワイドショーのようなことをしていませんか。
そんなに騒ぎにするようなことではないのに、自分の中では気になるわけですから仕方ありませんが、極端に言えば社長社主からのプライオリティ高め案件よりも自分の脳内プライオリティを第一優先事項にしてしまう。つまり人間には誰にでも優先順位があるということなのです。その優先順位、優先度、優先ポイントを変えてみてはいかがでしょう。
あなたは自分を損ねられることに恐れを感じておられるのかもしれません。
そこでつい身を守ることを優先しておられますが、その分、チャンスも見逃してしまっているかもしれません。
そこで優先順位を変えるのです。
あえて中に入り込んでいくことによって「自分の社会人スキルを向上するために」飛び込んでいくという姿勢を持つのです。
優先順位を変えるには自分の欲を用いるのです。
仏教では貪=むさぼりの欲は三毒の一つとされますが、欲がいけないのではありません。欲望は用い方によって世の中を救いに導く菩提心となります。
自分を守ることは何よりも大切ではありますが、自分自身が向上していくことも大切です。
あなたもこうなりたいという意識があるのですから、そこで自分がこうなりたいというオフィシャルな願望を最重要優先順位として脳内で配置するのです。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

ご回答ありがとうございました。
正直、ここへ投稿した時点で、
自分の気持ちを言葉にできたことから
少し心が軽くなったのですが、
回答を読み、思わず泣いてしまいました。
頂いたお言葉から自分なりに考えて
実践して参ります。
お忙しい中ありがとうございました。

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