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社長を辞職しようと思っています

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20年前に入社した会社で約10年ほど雇われ社長をしております
楽しく働いておりましたがもう一人の役員との軋轢があり会社運営がうまくいかなくなっており、役員との考え方の相違という仕事以外の問題で悩むことが精神的にも疲れてきてしまいました。
会社のことを考えますと辞職しもう一人の役員にお任せしようとおもっています。家族もおり今後の生活を考えると不安があるのは事実です。ただ今の役員とは一緒に運営はできないことは確定しています。
新しい事業にチャレンジしたいと思っています。無謀でしょうか?ご助言抱けますとありがたいです。よろしくおねがいします


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自らをおさめる「長」に。

ある会社の社長さんが先日、より大きな会社と合併(吸収?事実上の乗っ取り?)して、引退されてしまいました。
親御さんの代から引き継いだ会社でしたが、なんとも複雑な心境だったのではないかと思います。ですが、それまでも社長さんは随分と運営に気苦労されていらっしゃったようで。
人間の一生を考えてみましょう。
一生とかいう。
人生とかいう。
ですが、今日しかない。今しか経験・体験できないはず。
では、いつ心はしあわせになれるのか。ずっと社長を続けて嫌な思いをして幸せになれるのか。億、数千万、数百万のお金を得て身も心も安らかになれるほどの幸福感が得られたか。それ以上の金を得てる人が尊敬できる立派な生き方をしているのか。
本質は勝敗、優劣、競い合い、戦場に等しい世界。
自分には自分の身の丈に合った生活費があれば、本当はそれでいいのではないか。
私もたいそう高級なお酒を頂戴することもありまやたが、それでも自分には下町のなぽれおんが身の丈にあっているようで。よって、引退されるなら、今日の一秒、今日の一食、一時をご家族と幸せに過ごされたら良いでしょう。
仏教では怨憎会苦といいまして。
対人関係、嫌いな相手、憎い人との関係性は人生にツキものですから、それを超えよ、という。
立派な禅人は山岡鉄舟・西郷隆盛のように敵陣に一人で飛び込んでいくような胆力を持つ。天下に敵なしだからです。敵とはどこにあるかと言えば、自分と相反する考えを持った相手だから敵になる。だったら、その人と一緒になればいい。自分も高まる。相手の人間性も高まる。一緒に協力して互いにいい方向に活動の方向性を向けていけるように提案・表明・対話・会話を重ねていく。
お互いに真実の価値があれば一緒に会社をやっていこうということになる。実権を握りたいだけであれば蹴落とし合いになる。あなたが辞めることでウハウハになるためにぶつかり合っているのかもしれない。それでも、あなたに真実の価値、真実の高まりの人間性があれば、敵なしになる。
自分もいつ会社を辞めてもいいという位の度量があるなら、より高い価値観を見つけて妥協したり、折れること、折り合いをつけることだってできるでしょう。どこかしら変にプライドが邪魔していませんか?
本当に向き合うべき尊厳やプライドや自負心があるなら、どっちに価値があるか。
自らを一度「統理」し「長」となるべきでしょう。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

拝読させて頂きました。
あなたが大変お悩みなさっていらっしゃることわ読ませて頂きました。
今あなた自身とてもおつかれになっていらっしゃることはわかります。ひとまず何日間は考えずに心身共にゆっくり休んでみてはいかがでしょうか?あなたの身体を癒し心をゆるめてゆっくりとなさってみて下さいね。今はお盆です。ご先祖様をお迎えなさり心を込めてご供養なさりながら自分も家族もゆっくり休めてみましょう。仕事のことはひとまず傍に置いて先ずは自分のこと家族のことを大切になさって下さいね。
そして心身共に回復なさってみましょう。

リフレッシュなさってからゆっくりとお仕事のこと、会社のこと、社員の皆さんとのことをあなたなりにお向き合いなさってみてはいかがでしょうか?

あなたは経営者ですから充分先々のことめ含めて様々な意見も聞きながら検討なさり、そしてご自分でご判断なさることと思います。

あなたがあなたとしてしっかりとご判断なさり、これからの未来も皆さんと一緒に心豊かに充実した毎日を生き抜いていかれますように心より祈っております。
そしてあなたを心より応援してますね。

お返事ありがとうございます。またあなたのお気持ちお聞かせ下さいね。心よりお待ちしております。

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おきもち

個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

質問者からのお礼

非常に遅くなりすいません アドバイスありがとうございました

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ