人間関係
いろいろ考えましたが凡人の幸せは人間関係で決まると悟りました。
しかし私は人間関係では辛いことばかりで人と付き合うことが嫌になり人を避けるようになり嫌な思いをするぐらいなら一人の方がマシと孤独を選んで生きるようになりました。
いわゆる人間嫌いというか人間恐怖症みたいなものです。
でも孤独も人間には耐え難いもので寂しくて潰れてしまいそうです。
どうすればひどい人間関係でなく良い人間関係が持てますか?
コツを教えてください。
生きる理由がない。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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人を信じるのじゃなく信じられる人間になる
人間って怖いものだと思うことが多々あります。hasunohaに何度も書いていますが、私たち夫婦の仲人夫婦は私たちには嘘とカネをよこせとウザイ消えろの3つしか言いません。仲人のうちオバサンの方はうちの家内と同じ滋賀県立八幡高校を出ていますが、それを私たちに言うのが嫌なので嘘をついて誤魔化していました。しかし、同じ高校の通学圏に住んでいるので人間関係がたっぷり重なり、そんな嘘はすぐバレます。この嘘がバレてから家内は高校時代のことを話さなくなりました。私がされてもそうなると思います。仲人夫婦はともにお寺生まれお寺育ちの住職とその妻です。坊さんも信頼できません。
上記のように人間は嘘つきで強欲で利己的です。なのにこの夫婦のように外面を飾ることには長けていますから始末が悪いです。表面上は人格者っぽく振る舞い、肩書があったりすると余計に始末悪いです。
仕事の人間関係はずっと顔を合わせていけないので、さらに厄介ですね。
幸い、今は一人で仕事ができる時代です。知り合いの住職の甥御さんが大学を卒業したはずなので、どこに就職したか尋ねますと、PC一台で自分で仕事をしているとのことでした。どうしても会社が合わないなら、こうしたことは確かに可能です。そうしている人はたくさんいます。
人間関係の作り方もさまざまでしょうが、私の檀家さん以外の人間関係は同業者の住職連、それから子ども食堂などのボランティアさんたちなどでしょうか。住職連も檀家さんたちも正直にいうと一筋縄ではいかない人もいます。
だから、表題にありますように人を信じると裏切られますが、人に信じてもらうようにしようと思っています。それはなかなか簡単なことじゃありませんが、一例を挙げてみます。仕事を失って困っておられた方に仕事を紹介しようとしたときがありました。結果としては自分の力で再就職先を探されたのですが、私がそのように動いたことに凄く感謝してくださって、以後、よい関係が継続している方もあります。
かくいう私も恩をあだで返したこともあり、いろんな人に迷惑をかけて生きています。そのことを思い出したときいつも申し訳のないことをしたと後悔しています。
人間関係に、これ、という万能薬はなく、皆さん、試行錯誤を続けながら周囲の人と共に生きているのだと思います。
拝
人間関係で苦しまれているとの事
孤独の程お察しします
この世の苦しみは我に執着する事で生まれると言われます
言葉を変えれば
自分の利ばかりを考えるから
お互い利を与え合う事が出来なくなり
心がそして生き方が苦しみを生み出す構造になってしまう
そんなふうにも言えます
引きこもる事が悪いとは申しません
それが身を守る為に必要な時はあります
ところがそこに留まろうとしがみつく事は
それもまた己の利ばかりを考えている事に他ならない
故に一人であるから幸せになれるとは限らないのですね
今苦しんでいる事態はまさに一人であれば傷つく事は無いという
その己の根拠のない思い込みに執着することによって生まれています
人の群れの中にいても
一人であっても苦しみの原因は変わらないのですね
では人との関係を良いものに変えたいのであれば奉仕的な気持ちを大切にしましょう
明るく振る舞い
笑顔を保ち
他人が嬉しくなる言葉を元気という思いやりをもって使う
基本的な事ですが
こうした努力を怠らない
素敵な人に良い人は惹かれ集まります
反対に自分の内ばかりに気を向けて悩んでいる人に人は魅力を感じませんよね?
そういう人には自然と意地悪な人が集まってしまいます
類は友を呼ぶは仏教由来の言葉
このようにこの世のロジックは実はとてもシンプルなものと、しかと捉えて望んで下さいませ
私もいじめられてたので根暗ですよ
でもそういう利他的な正しい行いを続けていれば自然と人間関係も良くなって恵まれていくものであります
合掌
質問者からのお礼
回答ありがとうございました。お礼が遅くなって申し訳ありませんでした。鬱で文が書けませんでした。